行き先を迷ったら多様性が高い方へ足が向く

昨日まで造作もなく出来ていたことが、より多くのエネルギーを注入しないと捗らない。昨日まで覚えていたはずなのに、薄い霞の奥に隠れてぼんやりとしか思い出せない。

脳にブレーキがかかっている。何かがおかしい。

東京で務めていた時、僕は人生で初めて精神科のドアを叩き、予想通り「抑うつ状態」という診断を頂いた。

でも結局、精神安定剤とSSRIが列挙された処方箋を薬局に持っていくことはなかった。本当は助けてほしくてしょうがないのに、自分が助けられる「弱者」になることが許せなかった。僕は愚かなプライドのために勝手に治療を放棄し、事態を悪化させる道を選んだ。

それから程なくして茨城県つくば市に転勤になった。

その縁もゆかりもない場所で数年働いた後、僕のメンタルは限界に達した。

もうプライドなんて構ってられない。夜ちゃんと眠りたい。叫び出したい絶望感と消えてなくなりたい消失願望の荒波から開放されたい。

そして目の前に溜まっていく仕事をこなさなくてはならない…。書類の束を手渡されただけで半狂乱になってしまう。そこに書いてあることが理解できない。そもそもちゃんと読めない。以前なら意識せずともこなせた仕事が、もはや頑張っても出来ない難題と化していた。

脳が壊れる。自分が壊れる。

その日、誰もいない給湯室に駆け込んで、職場から自転車で通える場所にあるメンタルクリニックに電話した。

均質な社会

「新規の患者さん受け入れは3ヶ月後から再開予定です。リストにお並びになりますか?」

僕が理解できていないのだろう。思わず何度も確認してしまったが、何も間違ってなかった。患者が多すぎ病院の対応能力を超えている。だから新患受け入れを停止している。再開見込みは3ヶ月後。

バイクで15分くらいの距離にある2つの病院にも電話したものの、答えは同じだった。新規患者の受け入れは数ヶ月後。

狂っている。

筑波研究学園都市。国の研究機関が集結した計画都市だ。

この街はまるで、近隣の構造物が視界に入らぬよう綿密に計算されているディズニーランドのようだ。研究施設が立ち並ぶエリアを一歩外に出ると、そこは田畑が広がり暴走族が暴れまわる茨城の田舎。

地域社会から断絶されたその場所は、塀の高いコンクリートの建物が整然と並ぶ景色以上に、そこで暮らし働く人達も均質。街と人に厚みがない。だから「立派な社会人」でいられなくなると、一撃で居場所がなくなってしまう。

博士号保持者の人口密度で日本一を誇る学園都市は、メンタル不調者の数でもヤバいところだった。※これは10年近く前の状況です

多様性を求めて

それからは本能的に多様性を求めて住む場所を決めるようになった。

東京都大田区の下町、蒲田。旧住民による濃密な地域社会と、外国人をはじめ僕ら新住民が交じり合う。オウム真理教の指名手配犯が潜伏していた街だけあって、いろんな人が住んでいて飽きない。

そして多民族国家シンガポール。3人に1人が外国人であるこの国の、中でも最もカオスなインド人街に住んでいる。

次にどこで何をしようか。

そんな人生の分岐点に立った時、僕は多様性が高い方を選ぶ。いろんな人がいろんなことをやっている場所。そこで誰もやっていないような生き方をしたい。

それが、もう二度とウツ病にならない人生だから。