内向的な発達障害だけど人と繋がって生きたい

インドで勢力を持っている動物たちには、強烈な貪欲さがある。

明らかにプラスチックばかりのゴミ捨て場を漁る聖なる牛たち。彼らはダンボールなど少しでも植物由来のものをビニール袋ごとほじくり出して食べていた。

体躯の大きさを武器にドブネズミたちを蹴散らし、汚水に浸かって民家から流れ出る汚物を食べる野ブタたち。彼らの免疫システムには不老不死のヒントが隠されていそうだ。

ガンジス川に浮かぶ腐った死骸を貪る野良犬たち。この写真では牛の死骸だけど、宗教的に成仏することを許されず、荼毘にふされぬまま聖なる川へ葬られた人間とて彼らの糧となる。

最初にこのような光景を見たときは、あまりの不潔さに吐き気を催した。

でも3日するとそれも見慣れてしまい、それからは彼らの生への執着にただただ驚嘆するばかりだった。特に僕など鬱病こじらせて死を考えていた人間にとって、狼狽するほどのエネルギーを放ち生きるその姿は、心に強烈な印象を刻んだ。



優しさに包まれて生きる猫

インドの街に動物が豊富なのは、インド人が迫害しないからだ。インドの人々は同じ社会で暮らす動物たちの存在を、ただ認めている。

不干渉。

故意に傷つけたり、邪魔だから遠い払ったり、狂犬病持っていて人間に危害を加える可能性があったとしても保健所送りにしない。その一方で補助を与えることもない。無意味に餌をやらないし、事故にあって怪我した野良犬がいても意に介さない。

だから国土の全てが触れ合い動物園みたいなインドには、人々が生活のすぐ隣で本当に様々な動物たちが暮らしている。水牛やラクダ、ゾウまでが闊歩するサファリパーク。

ところがインドには猫が少ない。

たまに大きな街で汚らしい痩せぎすを見かけるくらい。妙にオドオドしていて、食べ物を投げてもすり寄って来ない。

数千年に渡り人間と共に生きる猫は、もはや人間の助けなしに繁栄できない。猫たちが街で生きるには、好意的な形で干渉してくる人間が不可欠なのだ。

猫はマイペース。

昼間寝てばかりいるので夜は活発なのだろうと思うけど、その実ちょびっと活発になるだけで夜も寝てばかりいる。闇夜に溶け赤子が泣くような奇声を上げて縄張り争いをしたかと思うと、喧嘩が終わった直後には丸くなって寝ていたりする。はぁヤレヤレって感じ。

なんというか、生きる貪欲さが足りない。

あれじゃあ死にものぐるいに命にしがみつく他の生き物に、過酷なインドで生存競争に勝てないのだろう。



社会に適応するための睡眠

このブログは今月バズった影響で、開設13ヶ月目にして14万PVに届いた。

そのせいか、最近は読者の方々から直接会いたいとの申し出を頂くようになった。ありがたき幸せ。それで実際にお会いすると「意外と普通の人で安心した」と言う方が多い。「会話が成立するか心配した」という声も笑

やっぱ文章だけ読むとヤバい人カテゴリなんだろうな(=^・・^;=)

そりゃそうだ。普段からメンがヘラってる発言が絶えないし、気が合う人は1000人に1人とか書いてるしね。

でもフォロワーさんとお会いする僕は、猫をかぶっている。

もう、猫てんこ盛り。超絶頑張って「普通」に見えるようにしているんだ。具体的には人にお会いする直前までできる限り寝ている。それからあからさまに臭わない程度に軽くウォッカを引っ掛けて、意識のレベルを下げている。日本酒やビールはすごく臭うからね。

そうやって対人関係エネルギーを満タンにして、新しい出会いに挑む。

本業の仕事が忙しい時も同じ。対人関係エネルギーが枯渇して職場で潰れないように、自由時間のほとんどを睡眠に充てる。

そんなに人と会うのが苦手なら、申し出を断れば良いじゃないか。

本当にその通りなんだけど、でも僕はやっぱり人と繋がって生きたい。人間社会の一員として暮らしたい。そしてあわよくば誰かから必要とされたい。

でもそれをみんなほど器用にできないから、僕ができる方法でちょっと無理してでも調子を整えて出張って行く。

猫に親近感を覚える

そんな感じにメンタルを整えていけば、サシなら3時間くらいそれなりに振る舞える。そしてこれが重要なことだけど、新しい出会いを「楽しむだけの余裕」を僕も持つことができる。

とはいえ、寝てばかりで人生を無駄にしていると感じることも多い。なんでもっと自然に、社交的に振る舞えないんだろう。どうして心のエネルギーが人より少ないんだろう。

そんな劣等感に打ちひしがれる時、思い出すのが世界中で出会った各地の野良猫たちだ。

彼らは地球上どこにいても、やるべきことが正にやるべき時になるまで寝ている。しっかり生きて休息を取るのではなく、休息を取るためにしっかり生きてる感じ。世界のどこであっても野良猫たちには生きる余裕を感じる。

でも結局、そんな余裕のある野良猫たちは過酷な環境には適応できない。

裏を返せば野良猫たちが幸せそうに暮らしている場所には、彼らを愛でて世話をする心優しい人々がいるということ。そんな心優しい人がいるから、野良猫たちは並の人間より余程ゆとりのある生活を送れる。

そこで、猫たちのようにモフモフじゃなく優雅でも可愛くもない僕は、せめて気軽に会ってその日あったくだらない話をしたい存在でありたい。ひたすら寝て対人関係エネルギーをチャージするのは、そのための最低限の努力だ。

僕はそういう優しい空間で、優しい人々に囲まれて暮らしたい。