デジタル過渡期のダサいデバイスだからスマホを持たない話

先月は休暇を取ってベトナムで過ごした。

その出発の日、飛行機が早朝便だったので空港へはタクシーで行くしか無かった。僕はタクシーが嫌いで普段の生活では余程のことがない限り避けている。でも電車がまだ動いていない時間じゃしょうがない。

それで駅前の通りで流しのタクシーを捕まえようとしたんだけど、賃走か迎車のステータスばかり。待てど暮らせど空車のタクシーが来ない。

この日は太陰暦に基づく旧正月の三日目。だから営業しているタクシーが少ないであろうことは予想できた。それにしても、ここまで捕まらないとは…。

待ち惚けで20分以上経ち、そろそろ飛行機の時間が不安になってきた。

冷静を装って観察すると「迎車」のタクシーがとても多い。いつしかタクシーは道で捕まえるものではなく、スマホの配車アプリから呼ぶものになっていた。すでにスマホが無いとタクシーに乗れない時代が到来している。

この朝、僕はスマホを持たない生活のリスクを思い知らされた。



社会インフラとしてのスマホ

シンガポールの郵便や宅急便は事実上電話して配達に来てもらうものだし、銀行や行政手続も電話番号をもとに本人確認が行われる。

さらに宅配スーパーが一般的なシンガポールでは、定番の日用品は定期的に自宅まで届けてもらうのが一般的になりつつある。この受取りにも電話が必須だ。

スマホは社会インフラとなり、持ち歩かないと日常生活に大きな支障が出る。その重要性が今後さらに高まることは確実だ。

とはいえたまに発生する雑事のために、常に電話を持ち歩くのはミニマリストとしてシャクだ。

あれ(=^・・^;=)

こんな発言をはるか昔に聞いた覚えが…。

そう。PHSが流行った20年前、生活指導の中学教師がこんなことを言っていたんだ。

「電話常に持ち歩くのは馬鹿らしい。必要な時は公衆電話を使えばいい。友達とは面と向かって話せ」

その後、程無くして1人1台以上(!)スマホを持ち歩く時代が到来し、需要が消えた街の公衆電話ボックスは次々に撤去されていった。あの頭の固い中学教師でさえも、今ではちゃっかりスマホを持っているだろう。

にも関わらず、僕自身がスマホを頑なに拒否する側になろうとは…。

未来は誰にもわからない。



スマホに費用と労力を吸い取られる

僕はもう3年くらいスマホを持っていない。

24時間全情報にアクセスして何でも出来る状態にあると、ADHDの多動と衝動が増幅されるからだ。

ADHDに毒なのでスマホを手放して2年経った
ここ2年以上、僕はスマホを持たずに生活している。 正確にはiPhoneSEが家の貴重品入れの中で眠っているけど、SIMを契約していない...

テルアビブってどこの首都だっけ?送ってもらったEMSいつ届くんだっけ?今日はAdsenseの収益いくらだろう?Twitterの通知が溜まってるな…。お、上司からWhatsapp来た!

脳の雑音として次々と湧き上がる「不要不急の疑問」、どうでもいい人間関係に繋がっている通知の数々、キュレーションアプリがゴリ押ししてくる下らないニュース、話題のゲームの誘惑…。

スマホがポケットに入ってさえいれば、こんな淡い関心の全てをいつ何時でも満たすことができる。

この状態はメンタルに害を与える。

脳の雑念は悪ガキのようなもので、構えばかまうほど調子に乗り騒がしさを増す。それで片時も、たとえ友達と会っている時でさえもスマホが手放せなくなり、仕舞いには寝る時間を削って不要不急の情報を貪るようになる。

しかも。

充電の残量を常に頭の片隅で意識し、重い電池パックを持ち歩いている人も多い。スクリーンプロテクターやスマホケースにおカネを使い、毎年コロコロ変わる通信会社の契約約款に翻弄され、最新の格安SIMの勉強に時間を取られる。さらに発達障害の場合は、無くさないように落とさないように気をつける心的労力も加わる。

これはもうペットみたいなもんだね(=^・・^=)

現代人はスマホの「お世話」に労力と費用を取られている。そりゃもうデジモンやたまごっち以上の負担だ。

デジタル機器は公共物となる

一昔前のスーパーコンピュータを全員がポケットに入れている未来感溢れる日常。

でも僕はデジタルライフはまだ発展途上にあると確信している。そのうちスマホ的な機能は建物や街灯に埋め込まれ「公共物」となる。

「この前のあの店までタクシー」

小声でそう言うと、壁の人工知能が虹彩認証で僕を認識する。そして命令の履歴から「あの店」を特定してくれる。ヘイSiri!なんて言う必要はない。視線の動きから他の人間に話しかけていないと判断するからだ。

程なく完全自動運転のUber(ウバ車)が到着する。こいつも虹彩認証で僕を認識し自動でドアが開く。「あの店」で食事をしたらそのまま店を出ればいい。出入り口には虹彩認証があり、紐付けられたクレジットカードから自動で引き落とされる。

そして店を出ると別のウバ車が待機しており、言わなくても自宅まで連れてってくれる。過去の履歴から木曜日の夜に「あの店」で食事した僕は、その後90%の確率で帰宅しているからだ。べつに用事があるなら勝手に用意されたウバ車を無視して立ち去ればいい。その車は即座に別の人の「見込み需要」に配車される。

このようにスマホみたいなダサい機械を持ち歩かなくても、玄関の鍵から納税手続きまで全て生体認証によって完結する未来。そんな真のデジタルライフが完成したら、人間はもう機械に飼われることを拒否できない。

ミニマリストでSF好きの僕は「人間がスマホを飼う」今のダサいデジタル過渡期が不快で仕方ない。

だから来るべきその時までスマホとインターネットから距離を置く。