幼稚園児のころ「人体の不思議」がテーマの子供番組が好きだった。
スモールライトで極小の存在になって人間の消化管や血管に入り、博士の解説をリモートで聴きながら身体中を探検するのだ。
末は医者か博士か大臣かと思ったら、立派なダラリーマン(たまに立派な無職)になりました。ご期待ありがとうございました(完)
あの番組の影響か、大きな街を1つの生き物のように錯覚する。
そびえ立つ高層ビル群は街の骨格。骨格の間を縫う血管にはトラックやタクシーが走り回り各器官に栄養を運ぶ。街を行き来するスーツの群れは筋細胞。巡回する白バイは白血球みたいな免疫細胞だ。
日本で仕事を辞めてしばらく、東京の安ホステルを転々としながら住所不定無職をしていた。
壊れて労働を提供しなくなり昼間から酔っ払ってフラフラしている僕は、さながら組織を蝕むガン細胞みたいなもんだ。または体内に紛れ込んだウィルスかもしれない。
住所不定無職の良いところは、寝る場所を毎日変えられることだ。
日程の限られた海外旅行でこうした放浪を経験することはあれど、勝手知ったる東京の街をその日の気分で彷徨い歩くのは新鮮な体験。
今日はほろ酔いウィルスになった気分で「東京さん」の体内をフラフラと探検してみよう。
皇居散歩
特に行き先が思いつかない日は、皇居の周りを散歩するのが好きだ。
とりあえず大手町まで電車に乗って、コンビニでビールを買って西へテクテク。そこから南に折れて皇居外苑を通り抜け、日比谷公園までまっすぐ歩く。
今ではすっかり低く感じる東京タワー(元祖)が、高層ビルに埋もれて遠くに見える。発展の象徴に牧歌的なノスタルジーを重ねるのは滑稽だけど、なぜか僕はこの光景を見ると「ちいさいおうち」という絵本を思い出す。
その手前は名だたる大企業の本社や官庁が集まる勝ち組の街。
優秀な筋肉たちが昼夜問わず滅私奉公している灰色のオーラが見える。ミヒャエルエンデ「モモ」に出てくる時間泥棒たちが今日も暗躍しているのだろう。
そんなコンクリートの人工物に囲まれた真っ只中にあって、皇居外苑は空が広く高い。特によく晴れた冬の午前中は人もまばらで、かっこ良く剪定された松の木が青空に映える。
日比谷公園のベンチでビールを飲んでいると、日本という巨大な生き物がここを中心にゴゴゴと動いているのを感じる。
相変わらず行き先が思いつかない。夏のビールもいいけど、冬に飲むビールもまたをかし。空き缶を勢い良くゴミ箱に放り込み、何の気無し国会議事堂に向かって歩き始める。
法務省の洋館と警視庁のビルが向かい合う桜田門前。僕は歴史オンチなので、この桜田門があの桜田門だと気づいたのは最近のことだ。
ものの300m歩いただけで白い国会議事堂が見えてくる。東京の中心部はコンパクトだ。小学校の社会科見学で来たときには国家の代表たるどっしりとした建物に見えたのに、大人になってから見ると妙に小さい。中学生になってから母校の小学校を訪れると、ブランコやジャングルジムがミニチュアに見える現象となんだか似ている。
それにしても、日本の中心である皇居の周りは、異物排除と秩序の維持を司る免疫細胞が強い。
物々しい公安の装甲車と警棒をもって仁王立ちする警察官。消防署の陰に潜み、内堀通りの獲物を狙う白バイ。ホンダCB1300を改造した瞬発力のある免疫細胞が、シフトを上げながら追い越し車線に飛び出していく様は圧巻だ。彼らの運転技術は日本屈指と言えるだろう。
でも…。
別に悪いことしているわけじゃないけど、真っ昼間から赤ら顔でフラフラしてるってだけで肩身が狭い。実際、職質をくらったら面倒くさいことになるだろう。
僕はそそくさと永田町駅の地下に潜り、南北線に飛び乗った。
戸越銀座温泉
良い感じに酔っ払ったし、身体も冷えた。
よし、銭湯に行こう!
南青山のおしゃれ銭湯「清水湯」と迷った。ここから近いし…。ベルギービールも飲める…。
でも無計画に南北線に乗っちゃったし、こう冷える日は黒湯が恋しい。五反田で東急池上線のチンチン電車に乗り換えて、戸越銀座温泉に行こう。
由緒正しい東京下町の商店街にありながら、戸越銀座温泉は立派に「温泉」である。黒湯と呼ばれる天然温泉にも関わらず、そこは銭湯でもあるため入湯税はたったの460円。
まさに、温泉と銭湯のいいとこ取り。
東京から川崎の湾岸地区に湧く黒湯は、その名の通り真っ黒い色の天然温泉だ。古代の堆積物の色が水に溶け出たものらしく、湯温はあまり高くない印象。川崎に引っ越した当初、あまりの黒さにギョッとしたものだ。懐かしい。
五反田から戸越銀座までは僅か2駅だ。この東急池上線がまた良い。
戦前の東京を縦横無尽に網羅していたというチンチン電車の面影を感じさせる。平日のまだ昼下がりだというのに意外に混み合っていて、地元の人達の足として愛されていることがわかる。
戸越銀座の商店街は、さっきの官庁街とは真逆の空間だ。
なんか働いている人達も「筋肉」って感じじゃないし、僕みたいなウィルスが混ざっても白バイや警官に睨まれない。
どこか空気がユルい。都心からやってくるとその良さが際立つ。
温泉は15時からの営業なので、コンビニでビールを調達してノロノロと駅に滑り込んでくる電車を見ながら時間調整。アルミ製の新車両だけでなく、たまに昭和を感じる旧車がやってくるとテンションが上がる。
こうして贅沢に時間を使い、銭湯の一番風呂を狙えるのは無職の特権だ。
銭湯の一番風呂には、まさに無職は恥だが癖になってしまう程の中毒性がある。まだ誰も浸かっていない無垢な大湯船に、大量のお湯を溢れさせてザブンする快感。その景気のいい音を聴きながら目を閉じると、じわじわと熱が身体に染みていくのがわかる。
なんという贅沢。
これを知ってしまうと人生もう後戻りは出来ない。
仕事で疲れ果て必死に有給休暇を取った日は、昼まで寝てよくここへ来たものだ。でも今は無職!気兼ねなく毎日ザブンし放題!
460円の強力な抗うつ剤。
人生が苦しい人がもしこの文章を読んでらっしゃるなら、意地でも休暇をもぎとって平日の昼間の銭湯にザブンして欲しい。
レインボーブリッヂ
街のウィルスなのに心洗われてしまった。
戸越銀座温泉が輪をかけて素晴らしいのは、風呂上がりに生ビールを飲めるんだ。贅沢に贅沢を積み増す。
来世の幸福残量が心配になるほどの贅沢っぷりであるが、とりあえず生きているうちに最大限楽しまなきゃね。ちなみに来世はおキャット様の輪廻に潜り込みたいので宜しくお願いしたい(=^・・^=)♬
さて、昼のイベントをマルっと達成した感がある。
夜に向けたイベントといえば、夕日を見ながらのビールだ。銭湯で体力が全回復したこともあり、大崎駅まで歩いてりんかい線でお台場まで行くか!
などとノコノコやって来たものの、お台場はカップル様たちの社交界であった。1等船室のディナーに紛れ込んでしまったディカプリオの気分。しかもローズは登場しない台本らしい。クソだな。
ここはビール片手に赤ら顔で来る場所ではなかった。
しゃーない。かくなる上はレインボーブリッジの上から夕日を見よう。レインボーブリッジは実は歩いて渡ることができる。しかも無料だ。
でも2km先の芝浦側の対岸に渡るまで、商業施設は一切ない。しゃーないのでお台場海浜公園のコンビニでトイレを借りて、ビールを買い増した。準備万端。
いざ出発。
微妙に有名な偽物の女神を尻目に海浜公園を北へ向かってテクテク歩いてゆくと、あっけないほど自然にレインボーブリッジの歩行者用の入口がある。
ここで重要なのが、橋の東側を歩くか西側を歩くかだ。
橋の中盤で1回だけ反対側に渡れるポイントがあるものの、そこまで1kmは東西どちらかを歩き続けることになる。夕日はもちろん西側からしか見えないわけだけど、日没までまだ時間がある。
だから東側を選択。
新橋や東京駅周辺の高層ビル群、豊洲のタワマンなんかが見える東側の方が眺めが良いんだよね。
レインボーブリッジを歩いていると、ロボットの血管に侵入したように感じる。ロボットに血管があるのかはさておき(=^・・^;=)
無人運転の新都市交通ユリカモメが金属フェンスで囲まれたチューブの中を高速で駆け抜ける。中は夕方の通勤客でぎゅうぎゅう詰め。その両サイドには湾岸線と羽田線をバイパスする首都高速が通ってる。この時間はかなりの交通量があり、また直線なのでスピードもノッている。
橋上の薄暗がりを切り裂くヘッドライトと後に残るテールランプの余韻は、さながら血管を勢い良く流れる血球。データが行き交う光ファイバーの中に入ったようでもある。
橋の上から東側を見渡せば、そこは大東京の絶景。僕はここから見た東京の街が一番好きだ。片手にビールがあればなお良い。
高層ビルだけでなく下町エリアにも明かりが灯り、東京にはいろいろな人が住んでいて、いろいろな生き方がある。でも今この瞬間にみんな平等に夜を迎える。
オレンジが濃くなってきた。今日の夕日は赤みが強く朱色に近い。黄砂でも飛んでるんだろうか。
そろそろ日没が近い。
中間地点の交差ポイントから西側へ移動する。熟れたトマトみたいな朱色をバックに黒いシルエットになった街を眺め、最後のビールを開ける。
さぁ、今夜はどこに投宿しよう。あの太陽がもう一度上がってくるとき、僕はどこに存在したいだろう。
東京は広大だ…!