「休職しましょう!これが限界です」
日に日に酷くなる消失願望で、ついにちょっとやらかしてしまい、ドクターストップがかかった。
僕も含めうつ病になると「死にたい」とか言い出す人が多いけど、実際に僕が体験したこの気分は「消失願望」に近かった。息をするのにも途方もなく疲労する無気力。もはや命を絶つエネルギーさえ残っていない。
この世に初めから存在しない状態になりたい。
誰にも知られることなく、眠るように。
電車に飛び込むような人も、たぶん最初からそのつもりで駅へやってきたわけじゃない。電車を待っていたら衝動が突如湧き上がってきて、それに逆らう気力もなく、具体的な行動に出てしまう。
自分こそが明日そうなるという静かな危機感を持った時、毎週月曜の朝は身構えるようにいつもの通勤路を進むようになる。
まるで人生のカウントダウン…。
あぁ、そうそう。僕は病院の椅子に座って診察中だったんだ。
壊滅した理解力のため、主治医の提案が右の耳から左の耳へ通り抜けていく。何も考えられず、何も判断できない。それで日本人らしく脊髄反射で「はい」を連呼していたら、自動的に休職用の診断書が出来上がってきた。
それで僕の休職生活が始まった。
世界から拒絶された孤立感
休職して最初の数日は、とにかく寝て過ごした。ただベッドに横たわることしか出来なかった。
とはいえ不眠症である。いくら眠くても脳のスイッチがOFFにならないツラさと、頭蓋骨に重金属を詰められたかのような鈍重さ。
意識がこの間に挟まれて翻筋斗打つ。
それでも仕事に行かなくていいという新しい「日常」は、つかの間の安心を与えてくれた。
その一方で、仕事という義務の足かせが取り外されると、途端に「頑張りブースト」が効かなくなって、さらに生きるエネルギーが減った。
どうやら僕は社会から緊張感の糸で全身を操られていたマリオネットだったみたいだ。それが今や壊れて使い物にならなくなり、社会から糸を切られた役立たずの操り人形。
まさに生きる屍。
風呂に入れなくなるのは鬱あるあるとして、意を決して全身に命令を下さないとトイレに行くのすらツラい。最後に食事を取ったのはいつだっただろう。しばらく風呂に入っていないので買い物にも行けない。
こんな状態でも僕は有機体として生きているらしく、流石に何日も食べないと腹が減る。
働かない頭で考えた末、ネットでウィダーinゼリーを大人買いしてマンションの宅配ボックスで深夜にこっそり受け取った。
深夜の賃貸マンション。切れかかった蛍光灯と、非常口を示す緑の光。こんな時間に起きているのは社会的な義務をなんにも負っていない役立たずだけだ。
糸を外されたマリオネット。
恐怖。
次にやって来たのは強烈な恐怖感だった。
社会と繋がっていない恐怖。置いてきぼりになる恐怖。誰からも必要とされない恐怖。自分の人材価値がベッドに居る時間だけ、比例して目減りしていく恐怖。そればかりか人間として満たすべき基準さえ、指の間からこぼれ落ちていく。
このままじゃマズい。「何か」しなくては。
この切迫感は日に日に強くなっていき、まだ風呂に入るのさえ大変な状態にも関わらず動きはじめてしまった。
結果的にこの判断はウツの回復を遅らせ、休職期間を長引かせた。
昼間出歩く肩身の狭さ
社会と繋がっていない恐怖と切迫感に追い立てられながら2週間ぶりにシャワーを浴びる。そして糸が切れたマリオネットの如くぎこちなく自転車にまたがり、近所のショッピングモールへ向かった。
目指すは書店。
僕はコンピュータ関連の書棚へ行けばフツフツと自信が湧いきて元気になれるのだ。この世には素晴らしい技術がたくさんある。この書棚に並ぶ技術書の、例えひとつでも身につけられれば僕はまだ大丈夫だ。
ところが一番明るいと思っていた、Linuxのセキュリティに関する本を開いて愕然とした。内容が全然頭に入ってこない。それどころか、1ページたりとも集中力が持たない。僕はLPIC2という資格を持っているくらいにはLinuxを知ってるつもりだ。それなのに著者の巻頭挨拶から早速先に進めない。
今まで難なくこなしていたことが出来なくなっている。ひと月弱ベッドで倒れていただけで、ここまで衰えてしまったのか。
失望というより、あまりのことに焦った。
記憶を消したい。意識のレベルをゼロにしたい、
アルコールだ。
僕は久しぶりにビールを飲もうとモールの1階にあるスーパーへ向かった。ところが見渡す限り女性と未就学児しかいない。終電間際に電車に飛び乗ったら女性専用車両だった時のような気不味さ。
僕はここにいて良いのだろうか。男はどこに行けば良いのか。
昼間、男はみんな仕事をしているのだ。
僕には出来ない仕事を。
久しぶりの外出は失望を絶望に増幅させるだけで終わった。
重い体を引きずりながら家にたどり着き、ベッドに倒れ込む。そのまま生きる屍に逆戻り。
だけど、それから3日も経つとまた「何か」しなくては自分が消えてしまうような焦燥感に駆られ、取り憑かれたように出かけていく。そして同じように低下した自分の能力と、社会的な役割をこなせない不甲斐なさに意気消沈して家に逃げ帰る。
この繰り返しが1ヶ月ほど続いた。
孤独を癒やすSkype英会話
この無駄な足掻きがウツの回復を遅らせたことは明らかだ。でもそれでも求職して3ヶ月くらい経てば、出かけなくても毎日風呂に入れるくらいには回復した。
すると次にやって来たのは「孤独」だった。
誰かと話したい。でも知り合いとは話したくない。無駄に同情されるか、要らぬ説教をされるに決まってる。そんな惨めな会話は嫌だ。それに会って飲もうとなったら出張っていくだけの体力はない。
そんな時に僕が話したくなったのは、友達でも同僚でもなく海の向こうの明るいフィリピンの人達だった。そして彼らと話すにはSkype英会話に登録すれば良いんだ。
フィリピンのSkype英会話の先生は看護師資格を持つ女性が多い。
人口の1割が海外で出稼ぎし、その送金額はフィリピンのGDPの1割を占めると言われている。だからフィリピンには看護師や介護士といった、出稼ぎしやすい職業の学校が多い。
ところが海外に出ないと国内では看護師が飽和していて、忙しい割に給料がとても安くそもそも仕事がない。だから英語力を活かしたSkype英会話の先生に良い人材が流れてくるのだそうだ。
そんなわけでメンがヘラってる僕にも優しく寄り添い、脈略のない愚痴を聞いてくれる彼女らに救われた。
しかも孤独に裏打ちされた行動により英語が上達してしまった。
ひたすら寝てから
僕は発達障害の二次障害でうつ病になった感がある。
発達障害は先天的な脳の特性によるので、努力や我慢ではどうにも乗り越えられない部分が残る。根性や小手先の工夫で脳の構造は変えられないのだ。
散々悪あがきしたけど、僕の脳の特性は日本でサラリーマンをするのに絶望的に向いていなかった。
その後休職期間を1ヶ月残してなんとか復職出来たものの、急激にまた症状が悪化して京急品川駅のホームで倒れたのをキッカケに結局退職した。
もし根本的に職場や業務内容が合わないと思うなら、無理してそこに自分を押し込めるのではなく、新天地へ飛び立つための助走期間として休職制度を利用するのも手だ。
「ここではないどこか」は必ずある。
日本でサラリーマンになりきれなかった僕だけど、シンガポールの外資に転職したらもう4年も仕事が続いている。外資に転職できたのは休職期間中に英語がある程度話せるようになったのがデカい。
でも。
休職中のメンタルに追い打ちをかけてくる「何かしなきゃ」という切迫感に潰されないよう、まずは心ゆくまで寝て、寝て、寝まくるのが良い。
何かを始めるのは、とにかく徹底的に寝てからだ。