日本人墓地を訪ねシンガポールに生きた同胞の歴史に想いを馳せる

寅さんや三丁目の夕陽のように、古き良き日本を描く作品は多い。

当時は現代とは比べ物にならないほど治安が悪く、男女差別や貧富の格差もハンパなかったはず。でもそんなネガティブな部分はノスタルジックなオブラートに包まれ、近代化以降に失われし暖かい人情にだけにスポットライトを当てる。

シンガポールについて言えば、そんなノスタルジーはイギリス統治時代だろう。

英国東インド会社のラッフルズ卿がこの地の地政学的価値に注目てから、シンガポールは貿易の中継点である自由港として発展した。

ラッフルズ卿は今でもシンガポールの礎を築いた1人として親しまれており、その名は有名なラッフルズホテルを始め、駅名、学校、病院などに残っている。

シンガポールがイギリスの植民地だった時代から、この島では日本人が暮らしていた。

都心部から電車とバスで30分ほどの場所に静かに佇むシンガポール日本人墓地公園。ここには約130年前から終戦までの半世紀の間に、この地で没した日本人1013柱が眠っている。

ずらりと並ぶ同胞の墓石。

その1つの前で手を合わせ、併設の案内板に目を通す。すると彼らの多くが娼婦と軍人であったことに衝撃を受ける。

当時シンガポールで暮らしていた日本人は、戦前は貧困に翻弄されやって来た女性たちであり、開戦後は日本軍だったのだ。

日本軍とシンガポールについては書くことがあまりに多すぎるため別の記事にまとめる。

今日は日本人墓地に眠る女性たちについて考えた。



からゆきさん

現在はBugisの国立図書館がある辺りに日本人娼館があったという。そこでは「からゆきさん」と呼ばれる女性たちが娼婦として働いていた。

彼女らは主に九州の貧しい地域の出身。おそらくはヤクザである「斡旋業者」が貧困層の親に金品を渡してまわり、年頃の女性を集めては海外の娼館に売っていた。

完全なる人身売買。

労働条件も過酷で給料の多くもピンハネされたと言われる。そして売られた先の異国で病気になり命を落とすと、彼女らの遺体は犯罪者や家畜の骨といっしょに打ち捨てられた。

こうした残酷な状況を見かねて「娼館経営者である」二木多賀次郎という人物が、所有地に慰霊碑を建てたのが日本人墓地の始まりだそう。

その後、墓地の管理組合が同胞の互助会へと発展し、現在は駐在員のサロンになっている日本人会に至る。

世界中に中華街があるのに日本人街がどこにもない理由
海外には2種類の日本人がいる。 いずれ日本に戻っていく日本人と、そのまま海外に溶けていく日本人だ。 ビール片手にいろんな国を巡る...

日本人組織の礎を築いた功績は偉大でも、娼館を経営していた以上人身売買に深く加担しており、僕はどうしても二木氏を人格者と思えない。なお、二木氏もからゆきさんと一緒に日本人墓地で眠っている。

その後、日本の人身売買が国際的に批判されるようになり、また日本国内でも彼女らの存在を「国家の恥」として非難するようなった。

そして日本領事館は1920年に日本人娼婦の「追放」を宣言し、シンガポールをはじめ世界各地の日本人娼館は姿を消した。

間もなく日本は太平洋戦争へ突き進んでゆく。



未来に残すべき場所

なんたる理不尽。

貧しい親に売られ、国家の恥と後ろ指さされ、異国で没したからゆきさんたち。追放宣言により帰国できても地元で差別に苦しんだ女性が多いという。

でも…この状況はそれから100年近く経った今でもそう改善していないのではないか。

日本人女性の200人に1人はアダルトビデオに出演経験があると言われる。その背景に貧困があることは疑いようがない。奨学金という名の「学生ローン」の返済に追われ、風俗産業で働く女性もいる。

どうしようもない些細なきっかけで貧困の泥沼に足を取られ、女性が身体を売るしかなくなる日本社会。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」で宮崎駿氏がオブラートに包んで警告している通りだ。

からゆきさんがシンガポールに刻んだ歴史は、今後も語り継いでいく意味がある。

ところがシンガポールは経済発展を絶対的な国是とする都市国家だ。だから古いものをあまり大切にしないフシがあり、再開発で歴史ある建物でもバンバン取り壊してしまう。

その対象は墓地とて例外ではない。

高島屋が入っている目抜き通りオーチャードロードのビルはかつて潮州系華人の墓地だったし、ブキ・ブラウン墓地という歴史的著名人が多く眠る場所も激しい反対運動にも関わらず一部を切り崩して道路を通してしまった。

日本人墓地に対しても1974年に「使用禁止命令」が出され、日本大使館と日本人会が奮闘した結果「公園」として存続している経緯がある。

また再開発の対象になるかもしれない。

だから周辺の閑静な住宅街と調和するよう、塵ひとつ落ちていない花咲く公園として完璧に手入れされている。

シンガポール日本人墓地公園はこの地に生きた日本人の歴史を伝える場として末永く存続してほしい。

僕も同胞として微力ながら100ドル寄付させていただいた。

コラボ記事だよ!

僕が日本人墓地を訪れるのは2年半ぶり2回目。

今回はブログ仲間のWellaさんと一緒に行って、それぞれの視点からコラボ記事第2弾を書きました(=^・・^=)!

日本から見捨てられた漂流民「音吉」を訪ねて
英語の「land」を和訳せよと言われたら、何と訳すだろう。「土地」「陸地」「陸」?私の頭で思いつくのは、せいぜいこのくらい。しかしかつて、この単語を「国」と訳した人たちがいた。幕末の船乗りたちだ。命がけの航海が海外へと出向く唯一の手段であっ

Wellaさんから見た日本人墓地もぜひ読んでみて下さい。

なお、最初に訪れた時の記事はこちら。

http://nameless.life/post-522/

この2年半、果たして僕はブロガーとして成長できたのだろうか。