じわりと白みはじめた東の空に抵抗するように、見上げればまだたくさんの星が出ている。
東京郊外。放射冷却でキンキンに冷えた冬の夜明け前。僕は白い息をたなびかせ自転車で駅へ急ぐ。ルーチンから30秒くらい遅れてるけど、いつもの電車に間に合うだろう。
ホームに上がった瞬間に「黄色い線の内側に」アナウンス。セーフ。
朝の6時半。まだ星が出ている時間なのに、蛍光灯に照らされたホームにはコートで着膨れした人達が律儀に並んでいる。間髪入れずに入線した電車にも同じような灰色の人達がぎっちり詰まっている。
ドアが開く。
降りる人は誰もいない。もう既に満員に見えるのに、信じられない人数が次々に車内に押し込まれていく。サラリーマンとは伸縮自在なスポンジなんじゃないかと思う。
まぁ僕もその種族の1人なのだけど。
などと呆気にとられている場合ではない。ドアが閉まるアナウンスと共に、ドア枠に両手をかけてなんとか身体を押し込んだ。
生暖かい、湿気を含んだ空気に包まれる。ドアの内側が結露している。湿度100%。煮詰めた体臭に防虫剤、整髪料や香水の匂いで味付けしたような、これがニンゲンの臭いだ。動物園にホモ・サピエンスが展示されてたら、その檻はこんな臭いがするに違いない。
っていうかこの電車がニンゲンの檻か。これから1日、貴重な人生の1日を、自発的に二束三文で切り売りしに行くニンゲンたち。僕らはさながら無抵抗に屠殺場に出荷される家畜だ。
ドナドナドナ…
でも…この安心感はなんだろう。
諦めの狂想曲
サバンナに暮らす草食動物の群れ。外洋で大きな魚群を構成するイワシの群れ。
捕食の対象である生き物は、大きな群れを作って生活する傾向がある。共闘して捕食者から身を守るという意味はあるだろう。でも、その構成員は防衛の役を担うよりか、どこか群れの中で自由気ままに振舞っているように見える。
ようは確率を下げているのだ。
ライオンがやってきても、サメに狙われても、これだけ頭数があれば自分が喰われる可能性は限りなく低い。まさか自分が喰われることはないだろう…。まさか自分が…。
社会人になってしばらく、満員電車に安心していた時期がある。
すし詰めの電車で運ばれていく諦めの空気。この社会を動かしている歯車たちが、鉄の血管で持ち場へと輸送される。その中には体調を崩している人もいるだろうし、この群れを巨視的に見れば1年間で3万人の自殺者を包含しているにも関わらず。
でも。
何が起こってもまさか僕がこの群れの中で餌食にならないだろう。なんの根拠もない。でも、圧倒的な頭数にこのまま埋没していれば、自分なんかが標的にならないという確信を持てた。
社畜の鎮魂歌
郊外の一戸建てのつり革広告。駅にも建設中のタワマンの広告が出ている。
僕はこの頃いつかは庭付きマイホームが手に入ると思っていた。そのうち気のいい女性と結婚して大きな犬でも飼いたい。あと5年も耐えれば…。
なんの疑いもなかった。
まるで人生には一本のレールが走っていて、そこをぎゅうぎゅう詰めの列車に乗ってみんなで進んでいるように感じていた。
スーツの群れに埋没していれば、ここのみんなと同じ未来がやってくる。もちろん毎日クタクタに疲れるし人間関係や仕事もつらい。それでも苦労が報われるその時まで耐えよう。皆そうやって幸せを手に入れるんだ。このレールに乗って進むのが最善なんだ。
ところが一度職場に着きメールを捌き始めると、嘘偽りなき未来を叩きつけられる。
昇進することなく40代になった先輩たち。昇進してもマイホームなど夢のまた夢の上司。それでもマイホームに固執した結果、茨城から千葉を飛び越え片道2時間半の通勤に耐える上司。
職場の給与規定を見れば、それが僕の未来であることは火を見るよりも明らかだ。
僕の仕事は三次受け。
養分。
元請けに搾り取られ、自分の会社にも奪われ、その僅かな残りカスさえも国にゴッソリ持っていかれる。そのカスのカス。生きていくのがやっとの残飯を拝領するため、僕は自我を殺し今日も貴重な人生の1日を切り売りしに行く。
考えてはいけない。
考えたら終わりだ。
考えたら。今まで生きてきた全てを否定することになる。
この世に生を受け、親に育てられ、学校に通い、学位も取った。それなりに頑張ってそれなりの結果を出してきた自負。その全てが「強き者」の養分として犠牲になるためだったなんて。
無抵抗に屠殺場へ運ばれる家畜たち。
考えちゃいけない…!
このまま満員電車でみんなと共に進めばいいんだ。社会に埋没していればまさかこの僕が喰われることなんてない。僕は大丈夫。みんなと一緒に進めば大丈夫。大丈夫…。
逃げろ!!
未来が八方塞がりなら鬱になる前に逃げろ。「ここではないどこか」は必ずある。
過去の自分にメッセージを送れるなら、僕はこう言いたい。
事実それは現実的な選択肢だ。この時既にSkypeの格安英会話がジワリ流行り始めていた。これで英語を身につけ、まだビザがユルかったオーストラリアにワーホリで挑戦することもできた。就労ビザを乱発していたシンガポールに飛び込んで、同じプログラマとして働くことだって出来たんだ。それに見合う実績や業務経験も当時既に持っていた。
あの時もし挑戦していたら、今頃このような国々で永住権を取得していただろう。
思考停止に陥り、挑戦から逃げ続けたこと。ツラさに耐えて我慢することを、努力だと倒錯していたこと。この2つの過ちから僕は健康を損ね、大きなチャンスを逃した。若かったあの時しか出来なかった挑戦を、僕は自らの意思で棒に振ったのだ。
大丈夫…。大丈夫…。このままでいい。このままで大丈夫…。
そんな狂った諦めの唄を乗せて、今日も満員電車は新宿に向け一定のリズムを刻む。