シンガポールで働く現地採用の日本人は、私立大学の文系出身者がとても多い。
特にMARCH。
駐在員になるとまた事情は違うんだろうけど、現地採用と駐在は所属するコミュニティが違い生活圏が分断されている。だから僕の周りの現地採用仲間と遊んでいると、もはや日本人全員がMARCH卒なんじゃないかと錯覚するほど。
これに関してはシンガポールに移住した当初衝撃を受けて、僕なりに分析したことがある。
おそらく私大文系卒でも早慶レベルになると、わざわざ海外に出ずとも日本国内で良い職に就けるのではないか。そして逆に学歴が低すぎるとシンガポールの就労ビザでハネられるし、そもそもある程度勉強が得意じゃないと英語と専門性を積み増して海外を目指さないのだろう。
この中間。
充分に勉強がデキて、海外志向の学部も整っており、それでいて日本企業の学歴フィルターを最上位で通過出来ない層。シンガポールに来れば日本以上の給料をもらうことも可能なこの層が、優遇してくれない祖国に見切りをつけて海外就職に踏み切っているのではないか。
あと学歴フィルターでMARCHと同等と考えられる関関同立が少ないのは、批判を恐れずに言うなら関西勢はコミュニケーションが独特で地元が好きすぎるからだと感じている(=^・・^;=)
これが3年くらい前に考えた結論だ。
地方国立大卒の現地採用が少ない
ところがこの仮説では国公立大学勢がシンガポール現地採用に少ない理由を説明できない。
確かにエリート駐在員ともなれば旧帝大(特に東大)や筑波や一橋勢が大量にいらっしゃる。
でも駅弁大学こと地方国公立大勢が僕の周りに1人もいない。それなりに勉強がデキて日本企業の学歴フィルターを上位で通過出来ないという意味で、MARCH勢と条件はそう変わらないと思うのだけど。
ひとつに地方国立大学はその地元においては一流だからだろう。
高校時代に僕は東北の山奥で住み込みで働いていたんだけど、一緒に働いていたオババ達に地元国立大への進学を強く進められた。あそこに行けば人生安泰だからと。
マジ(=^・・^;=)?
まぁ実際にOBが多いだけに地元企業や県庁に入りやすいのは事実だ。地元国公立大卒は超局所的に最強の肩書となる。だからわざわざ海外を目指さないし、逆に言えばはじめから地元志向な人が地元の国立大学を目指す傾向がある。
ただ地方国立大学に入る学生には、地元思考以外にもうひとつの潮流がある。
国公立縛りの貧しい家庭で育った僕のようなヤツだ。
貧乏家庭の呪縛
「ウチは私立にやるカネないから」
中学生に上がった頃から私立には行けないと親に口酸っぱく言われてきた。それで何も考えず成績に見合った公立高校の普通科に進学した。
そして文系理系でクラス分けがある高校2年生。僕は学校に馴染めず、成績も芳しく無く、上手に生きられない自分に悩んでいた。
そんな折に再度。
「ウチは私立にやるカネないから。あと浪人も出来ないから国立落ちたら就職な」
試験の度に親が呼ばれる僕の成績で奨学金が取れるとは思えない。その上、高校生活でさえ落伍した僕が社会に出て働くなんて無理だろう。
大学の専攻は何が良いか、将来どんな職に就きたいか。進学校に通う高校生ならこの時期に誰しもが通る人生の登竜門だ。
ところが僕は考えるべき人生の選択を放棄し、浪人せずとも入れる国公立というだけで大学を選んだ。
後悔しかない。
価値観に貧乏が染み付くと、努力と投資によって人生の切り札を増やすのではなく、手持ちのしょぼいカードをどの順番で切るかで勝負するようになる。
無論、しょぼいカードを上手い順番で切ったところで当然しょぼい結果になる。
実際、就活でも僕は語学留学やインターンなど自己投資をして新たな可能性を増やすのではなく、今の学歴で就職できる安牌にエントリーした。
その結果がウツ病社畜。
後悔しかない。
大人からでも自己投資
シンガポール在住の日本人は、僕の人生の選択肢に最初から無かった私立に小学校から通い、海外の大学を出ている人も珍しくない。こうなると教育費の格差は1000万円以上だろう。
この勝ち組国家に移住した当初、貧乏コンプレックスを感じさせない周りの日本人達に嫉妬し、卑屈になったものだ。
これからも僕は必要な自己投資をせず、取るべきリスクを避けるのか。いつまでも挑戦から逃げ、グダグダ文句を垂れながら歳を取っていくのか。
もう後悔するのは嫌だ。
貧乏家庭の呪縛を振りほどいてやる(=^・・^=)!
僕はブロガーとして生計を建てたい。手始めにここから自己投資していくことにした。
気になった本は全て買う。知りたいと思った好奇心を、おカネをかけて全部満たしていくんだ。ブログを設置するサーバーにもちゃんとおカネをかける。執筆に必要なガジェットや有料アプリにも惜しまず投資し、作業は気の利いたカフェでする。
貧乏の呪縛を振りほどいて今年は結果を出しに行くぜ(=^・・^=)!