ベトナムのホーチミンで過ごした休暇が忘れられない。
美味い飯、安いビール、裏路地でくつろぐワンニャン軍団、気の良い女性たち…。
現地で20年も暮らしてらっしゃるブログの読者さんも、シンガポールの外資で経験あればホーチミンで現地採用は難しくないだろうと言ってくださった。
実際に内定さえ貰ってしまえば就労ビザの取得はそこまで難関では無いらしい。企業からオファーをもらっても政府に蹴飛ばされるシンガポールに比べたら、現地採用にとって働きやすい、いや、働き始めやすい環境だ。
これは人生の転機!
海外就職の第二章に突入してやる!
そんな風に鼻息荒くシンガポールに帰ってきたのだけど…早いものであれから2ヶ月。何も行動を起こさぬまま時間が過ぎていく。
シンガポールのこの居心地の良さは何だろう。
僕は別に文句たらたらシンガポールで働いているわけじゃない。いやむしろ33年間の人生で1番充実した時間を過ごしている。
シンガポールの他にも居心地の良い場所があることはわかった。でもそこへ移るだけの動機が足りない。この気持ちはなんだろうとずっと考えてきたんだけど、昨日なんとなく答えが出た。
僕はホーチミンで暮らしたいんであって、ホーチミンで働きたいわけじゃないんだな。
天は人の上に経済格差を作った
日本人ならばマレーシアにビザなしで入れる。しかも3ヶ月も居られる。
だから週末に路線バスに乗って、安い日本料理や日用品買いにマレーシア領ジョホール・バルに遠征するのは普通だ。シンガポールに就活目的で来たならばマレーシア経由でビザランすることも可能(2018)。
ところが中国人はこうはいかない。
最近何かと話題の中国だけれど、中国のパスポートの強さは世界200ヶ国中70位。
まだまだ低賃金労働者の排出国である以上、中国人を無条件に受け入れられない国がたくさんあるようだ。
シンガポールのお隣の国、マレーシアもその1つ。
だから中国籍の友達を海外旅行に誘う際は細心の注意を払う。
たとえ路線バスで行けるお隣の国であっても、彼らにとってはガチで観光ビザを取るべき国なのだ。
それをむげに週末日本食を食べにジョホールバルに行かないかい(=^・・^=)♬などと誘ったら、変なマウンティングになってしまう。
そういう軽率な言動は友情に楔を打ち込む。
無意味な平等意識
これは無意味な平等意識なのかもしれない。
それでも経済的格差とパスポートの強さ。そういった国籍による格差は、時に気まずい雰囲気を作る。
僕はベトナムのホーチミンでとても居心地が良かったんだけど、それは観光客としてお金を使う立場だったからだ。
もしホーチミンの街で働くならば、こうした経済格差は毎日意識することになる。
ホーチミンで仕事をしようと思ったら、多くの場合現地の人たちを統括する立場になる。ブリッジエンジニアとして日本からのアウトソース案件を管理する仕事。工場の品質管理、生産の進捗を統括する立場。
こうした外資系の仕事はどこの国の資本であれ、結局はベトナム人の給料の安さに集ってくるハイエナでしかない。
経済的な搾取構造。
これは同じ国内であれば倫理的な批判の対象になるにもかかわらず、その間に国境が1本挟まっただけで公然と認められる。
僕はそこに加担することに強い葛藤を覚える。
具体的には給料の安い人たちをコキ使うような仕事がどうしてもできない。
経済水準の高い社会で暮らす気楽さ
そこいくとやっぱりシンガポールは暮らしやすい国だし、同時に働きやすい。
なんといっても1人当たりのGDPで日本をはるかに凌駕する国なのだ。もちろんシンガポールも強烈な格差社会だけど、それでも僕の周りのシンガポール人たちは僕と同等か、むしろ僕より稼いでる。
しかもシンガポールのパスポートはアジア最強だ。
だから一切の手心、というか無用な配慮をする必要がない。僕ができる事は、シンガポール人の友達も普通にできることなのだ。
この気楽さ。
例えば僕は毎週シンガポール人と一緒にテニスをしているんだけど、テニスコート借りるのに1回20ドルかかる。日本円なら1800円くらいだ。
でも仕事上がりにテニスで汗を流して1800円とか、有意義な投資でしかない。これはシンガポール友人たちにとっても同じこと。
だから「これは面白い!」って思ったら、素直にシンガポールの友人達を誘える。
フィリピンのマラパスクアっていうダイビングスポットが綺麗らしいよ!今度キナバル山に登ろうぜ!レーシングドローンを自作してレースに出場しようぜ!みたいに。
それぞれ10万円くらいかかる趣味ではあるけれど、彼らはおそらく気にしない。面白いと思ったら彼らは素直に乗ってきてくれる。
経済格差やパスポートの強さは、時に人間関係に楔を打ち込む。
僕は観光客としてお金を使う立場なら日本より貧しい国に滞在することを楽しめる。でも、腰を据えて現地の人たちと喜びを分かち合いたいと思うなら、同じような社会的ステータスの人たちに囲まれて暮らしたい。