海外現地採用を経験を引っさげて、現在は日本で活躍している方々にスポットライトを当てるこのシリーズ。
3人目にご登場頂くのは、タイとマレーシアでインフラエンジニアや技術サポートをなさっていたなぐもさむさん!なぐもさんは日本のIT業界でウツ病になってからの海外就職ということで、僕の人生とシンクロ率が半端ない。
海外就職を目指す上で有利な職業というのがあって、IT系のエンジニアもその1つ。今日はそんな「手に職」を引っさげてアジアを渡り歩くなぐもさんの人生を通じて、バンコクとクアラルンプールのIT企業についてお話を伺う。
海外での闘病や現地企業の様子について興味深いお話が伺えそう(=^・・^=)♬
なぐもさむさんインタビュー
なぐもさむさん:いえいえ、こちらこそ光栄です!私もししもんさんのブログは前から拝見してましたよ^^ ウツからの復職というのは、経験しないとわからないですからね〜。
では恒例の乾杯っ!
なぐもさむさん:日本では、新卒で日本企業のいわゆるSIerに就職しました。大手だったので研修とかも充実してましたけど、現場に出ると日本のIT業界ならではの偽装請負でして。。。
なぐもさむさん:インフラ系エンジニアだったので、某携帯電話会社系ネットワークを担当してました。そこを一度退職した後、数年のブランクの後にまたIT業界に戻って、また同じクライアントのネットワークを運用してました。
鬱を発症したのはその頃ですね。東日本大震災のあたりでどうにもならなくなったので、一年休職してそのまま退社です。
で、その数年前から東南アジアとかちょくちょく一人旅をしていて、現地に知り合いもできるようになったんです。その頃にTwitterで海外就職研究家のもりぞおさんを見つけて、彼の最初のセミナーに参加したりで、ノリで最初の海外就職をバンコクでしちゃいましたw
知り合いがいたから知らない街でも無いし、寒いの嫌いだし、環境を変えたかったし、あとはとにかく面白そうってのが大きかったですね。
なぐもさむさん:あの震災は大きかったですね。職場のビルが船のように10分以上揺れたのを忘れられないです。
なぐもさんはインフラエンジニアだったのですね。IT系の技術があると、やっぱ海外就職に有利だと感じてます。
なぐもさむさん:インフラ系エンジニアでかつヘルプデスクも経験したので、これは海外就職では有利でしたね。語学よりもスキルが求められる業界ですから。
かつての私のように日本のIT土方をやっていた人には、違う環境が海外にはあるんだってことをブログを通して知ってもらえたらと思ってます。
ところで最初の挑戦にバンコク選ばれたのはどうしてなんですか?まぁ日本で患ったウツを治すにはユルくて最適な街ですけど笑
なぐもさむさん:最初はバンコクとクアラルンプールで就活をしました。クアラルンプール(KL)でも良さげな案件がありましたけど、バンコクの日系IT企業のほうが面接も盛り上がったので、そっちを選んだんです。
ただ、苦難の道を選んじゃったんですよね。。。
KLの仕事がより好みだったから、そっちで妥協しないで探せばよかったとは思ってます。
なぐもさむさん:もし海外生活が初めてなら、バンコクはすごくオススメです。街もまとまってて、車無しでも快適にすごせます。
ただ、日系企業はたくさんあるけど環境はどうなのかなぁと思います。
クアラルンプールはシンガポールやバンコクより涼しくて過ごしやすく、食べ物も美味しくて私は大好きです。ただ、クアラルンプールは街のエリアが広くてまとまっていないので、車がないと日常生活の難易度は高くなる街でもあります。
なぐもさむさん:就労ビザに関しては両国ともほとんどの企業がちゃんと発給してくれるでしょう。でもマレーシアは観光ビザで3ヶ月も滞在できるので、たまにビザを出さない会社があります。ビザランは厳しくなる一方なので、入国時に入国拒否されたり、ひどいと勾留されたという話も聞きました。会社がビザのコストをケチったために、その国に今後入国できなくなるような経歴がつく可能性もあるわけです。そんな企業は辞めたほうがいいですね。
バンコクで経験なさった日系SIerの仕事で、大変だったのはどんなことでしたか?
なぐもさむさん:日本で経験したことがないほどハードな業務をバンコクで経験しましたねw
日系のメーカー系のネットワークを担当するので、すべてにおいて厳しいんです。製造業だから品質管理が超厳しい。そのネットワークの障害報告書を毎週作成して日本の本社に提出するのがメインの仕事でしたが、そのクオリティが超絶厳しくて、毎日朝7時から夜23時くらいまで仕事してました。
リアルなセブンイレブンですw
報告書はA3にMS Pゴシックの10でフォントも指定されます。グラフも印刷して美しく見えるようになるまで、何度もやり直しです。障害件数も不一致がないように数ヶ月に渡って確認したりとか。
本社側で過去に遡ってケチつけたりする偉い人がいるからってことでw
そんな環境だから、上司や先輩も一度は仕事で体調崩して入院してたとか。。。
正直想定以上の厳しさだったし、しかも意義が見いだせない厳しさだったので、どんどんメンタルも悪化してきて、仕事のクオリティも下がる一方。
よって、試用期間の4ヶ月で終了ということになりました。もうボロボロだったので、いったん帰国して出直すことにしたわけです。
なぐもさむさん:はい。バンコクで働く日本人はタイ好きや酒・女狂いも少なくないので、キツい条件でもそうそう辞めないでしょ、と日系企業側でも思っているんじゃないですかね。。。
なぐもさむさん:平日はほとんど遊べないですね。週末も前社長の時代はゴルフ必須だったらしいので、それに巻き込まれなかったのは幸いでした。
なぐもさむさん:その会社はちょっと特殊で、社長のみ親会社経由の駐在員で他は全員現地採用だったんですよ。
だから駐在員の小間使いみたいなことはなく、上司も現地採用としてはかなり高給でしたし、私の給料もまずまずでした。
でもまぁその分キツいってわけですね。
日系企業が全部悪いとは思いませんけど、やはり勤労環境など含めて労働者に優しいとは思えません。
一方で海外に慣れてないうちの第一歩として日系企業に入るのは、決して悪くないと思うんです。やはり日本の会社だからきちんとしてるので、仕事以外では振り回されませんから。
でも海外に慣れてきたら、外資系企業や現地企業で一度は働いて、日系企業と違う環境があるのを知ってもらいたいと思います。KLの外資系企業は仕事はともかくとして、HRが役立たずなので税金の手続き関係ですごく振り回されましたねw
なぐもさむさん:その会社はタイ人の社員もたくさんいますし、管理職クラスまで出世した人もたくさんいます。一般的なタイ人のイメージよりずっとしっかりして、ちゃんと働く人が多かったですね。
といっても、親会社に振り回される理不尽な業務をやってるのは、日本人ということでw
なぐもさむさん:ネットワークの運用の部署なので、タイ人メンバーも同じように運用業務をしてました。ただ彼らは監視のシフト勤務がメインで、我々日本人はドキュメント作成とかがメインになります。
バンコクでウツ病の治療はどのように対処されていましたか?僕は早々に健康保険から離脱したので、インドから精神安定剤を個人輸入したり四苦八苦しました。
なぐもさむさん:ウツ病の治療は、バンコクでもKLでも現地の日本語通訳がいるような有名病院に行って薬を出してもらいました。保険もきかないので、薬含めて毎月1万円台はかかりましたかね。
でもこういう大きな病院のドクターは英語もキレイでわかりやすいし、ちゃんと減薬を目指していくと今後の指針もハッキリ説明してくれました。だから薬出して終わりな日本の医者よりずっとよかったですね。
KLに行った半年後まで通院を続けて、その後は薬を飲んでないです。
なぐもさむさん:多くの人はそうでしょうね。ただ、私は思い入れのあるクアラルンプールを経験してないので、まだまだ終わりじゃないと思ってました。
なので帰国して2ヶ月くらい休んで、今度はクアラルンプールとシンガポールで就活しました。
なぐもさむさん:シンガポールでも某日系IT企業の件が進んでたのです。それで最終面接はシンガポールでやりたいと言われてわざわざシンガポールに飛んだのに、いわゆるお祈りメールをされてしまって。。。
だからもう日系企業は信用しませんw
バルス(=^・・^#=)!
なぐもさむさん:2回目の海外就活では現地で内定が貰えませんでした。でも日本に再帰国した直後に電話面接したKLの同業種から内定貰ったので、そちらに行くことにしました。
電話面接10分で内定って大丈夫?と思いつつも、外資系だからぜひ行きたかったのです。
これ、とても共感しました(=^・・^=)!
収入や社会的ステータスよりも、断然健康で潤沢な自由時間ある方が幸福度が跳ね上がるんです。
なぐもさむさん:そうですね。バンコクでのキツい経験があったので、まずはやりがいとかよりも、自分が自信を持ってできるかどうかを優先しました。私もこの年だからリーダー職やらなきゃという常識に縛られてたんですよ。
なぐもさむさん:ウツ病からの復職は成功経験を積み重ねるのが重要だと思います。それでKLでは普通のメンバーで入りましたが、最終的にはチームリーダーをサポートする職に昇進できました。
復職は成功体験の積み重ねと言うのは完全に僕の考えと同じです。上手くいかないまま結局いくら空回りしても、それはメンタルの回復には逆効果。
なぐもさむさん:鬱病になる人はマジメな人も多いので、こうならなきゃ!という理想を持ってるんじゃないかと。でも、その理想もまだイメージにすぎなかったりなんですよね。
だから、まずは目の前の小さな成功体験を積み重ねることが、将来的に自分の理想に近づけるんじゃないかと思います。
でもせっかく昇進できたのに日本帰国を決断されたキッカケはなんだったんでしょうか。ブログを拝見する限り充実していたように見えるのですが。
何か心情の変化があったのですか?
なぐもさむさん:帰国の大きな理由は、家庭の事情です。母も70歳を過ぎてから急に老け込んで身体も弱ってきてますし、うちは自営業でもあるので。。。
私は長男ですし姉も嫁に行ってますから、いずれは自分が中心になって問題を解決しないといけないわけです。
だから、母もまだ倒れてなくて、自分も40台前半だから日本で新しいことをやる気力はまだある年齢です。そんなわけ今のうちに一度帰国して実家の問題を片付けつつ、日本で個人的な挑戦もしたいと思ったわけです。
なぐもさむさん:私の周りのアラフォー世代の人も、親の介護などのために帰国するケースはありますからね。
では帰国なさって家業を継がれたのですか?それとも兼業というか、ご家族をサポートしつつサラリーマンという感じでしょうか?
なぐもさむさん:今は家業をやりつつ、自分のほうでも個人事業主として開業して『複業』を目指しています。複数の収入源を持つのは、クアラルンプールにいた頃から目指していたので。
それを目指すには海外よりも実家のほうがベターな環境ですので、いまは日本で腰を据えて挑戦しているところです。
なぐもさんの場合はやはりIT系の特技を活かしてということでしょうか。語学とか海外就職した体験はその後の日本での生活に役立っていますか?
なぐもさむさん:具体的には、Amazonで物販を始めています。今のところ中国の深圳で仕入れてきたのを販売していますが、販売のプロセスがわかったので今後はもっと利益が上がる商材を作れるようになりたいですね。
あとは、ブログなどのアフィリエイトもちびちびとw
なぐもさむさん:そうですね、複業を始めるにあたっては、海外経験が大きな影響を与えています。
例えばマレーシアでも物を買ってきて転売している人は多かったです。一番基本的なビジネスですもんね。ビジネスは安く買って高く売るというシンプルなものだと、彼らが教えてくれました。
あと、海外に行くのはキャリアが心配だという人が予想以上にたくさんいます。確かに日本のキャリアを外れるリスクは否定できません。
しかし、数年外れるくらいならまだまだ戻れますし、現地での努力次第ではステップアップもできます。意義がある寄り道になると思うので、興味があるなら一度挑戦してみてはいかがでしょうか。やらないで後悔するよりいいと思います。
特に日本のIT業界で働いていた人なら、海外でもそのスキルは広く求められます。技術力があれば語学が微妙でもチャンスありです。日本のIT業界は特殊な環境なので、違うIT業界の環境があるのを知ってもらいたいと思います。
そういう意味で海外就職に興味があるけど手に職がない人は、まずは日本のIT企業を数年経験してから海外を目指すのもオススメです。
最後にちょっと重い質問です。
バンコクのコールセンターで働く日本人の実態が本として出版されました。カスタマーサポートも経験なさったなぐもさんは、日本で行き詰まった場合にコールセンターの仕事は日本脱出の糸口として有効だと思いますか?
なぐもさむさん:私はバンコクのコールセンターもアリだとは思います。ただ、そこからステップアップをするのを目指す固い意思がないとバンコクの雰囲気に流される恐れがあります。
でも絶対周りに流されない強い意思があるのなら、最初の就労ビザをもらうきっかけとして利用すればいいんじゃないでしょうか。
まぁ確かに誰にでも勧められるわけじゃないですね。やはり海外なのに日本語だけで仕事ができる環境は特殊ですから。
なぐもさむさん:海外は楽しいことも辛いことも同じくらいたくさんです。両サイドの話をバランス良く情報収集して、変に恐れること無く、かつ油断しないで海外に来てもらいたいと思います。
なぐもさん、今日はどうもありがとうございました(=^・・^=)!
なぐもさむさん:こちらこそありがとうございました!
IT社畜は海外就職に有利
なぐもさむさんのインタビュー、いかがだったでしょうか。
IT系の仕事は日本では給料が安い3Kな場合が多い。でも海外に出やすい職種である上に、技術を引っさげて行けば日本より待遇が良くなるかも知れない。でもせっかく海外に出ても日系企業に就職すると日本と変わらない激務を強いられる危険がある。
医療費が安いタイやマレーシアなら、なんとか払える額の医療費でウツの闘病をしながら海外就職が可能かもしれない。
海外就職でキャリアを見失わないためには、現地の雰囲気に流されず自分の人生を切り開く意思が求められる。そして親の介護や家庭の事情は、海外生活者にとって避けて通れない課題である…。
深い示唆に富んだお話でした。
日本で生き苦しいなら、そこで我慢するエネルギーを挑戦に振り向けると人生が開ける。そう僕は確信している。
でも挑戦するには情報が必要。
どうすれば海外に挑戦できるのかというノウハウだけでなく、挑戦したあとにどんな人生が待っているのかは是非知りたい情報だ。そんな海外就職に挑戦した後の人生模様には、後に続く人たちの背中を押すチカラがある。
読者のみなさんも生の声を一緒に発信しませんか?ししもんブログに登場したい方を募集中です。
ぜひコメントください(=^・・^=)♬