やっと来た金曜日!
やっと来た17時!
ビールを目指して一目散に会社を飛び出すっ!
…のかと思いきや、僕はいつも5分くらい経ってから会社を出る。デスクでTwitterをやっていることもあれば、トイレで音楽を聴いて時間を潰すこともある。
帰り道で同僚と出くわすのが嫌なのだ。
だからオフィスから一斉に吐き出された人たちがバスや電車で遠くへ運ばれていくまで時間をあける。これは全員必ず定時退社できる職場の思わぬ弊害だ。
駅までの道、下手したら都心までの電車。
そんな長時間、興味ないどうでもいい人たちと一緒にいたら苦痛で発狂してしまう。またはせっかくのアフター5を疲れ切ってベッドで過ごすことになる。
地獄の世間話
僕は世間話が出来ない。
何も考えずに当たり障りのないことをしゃべると、
- 一方的に
- 僕が興味あることを
- 相手も興味があるかに関わらず
- 解説するようなマシンガントーク
になってしまう。
これを避けるために相手の表情を注視して、喜怒哀楽を読み取り「不快」要素を感じたら何が悪かったのか考えて、適切な話題を模索する必要がある。
これに疲弊する。
話し下手なら聞き手にまわれれば良いと思うだろう。でも騒音や喧騒から相手が話す内容を選り分ける能力が低く「え?」「もっかい!」みたいな聞き返しが増えてしまう。しかも日本語ならまだしも英語で複数人としゃべる時は更に酷い。
結局は聞き手にまわっても世間話で僕は相手を不快にさせるんだ。
そんなわけで、今までの人生でやらかした大量の失敗を踏まえ、周囲がガヤガヤしている時は自分がしゃべり続けるのが1番マシな空気になるという結論に達した。
友達を呼ばないで
そんな世間話が苦手な僕でも、
- 趣味や雰囲気が合う人と
- お互い興味ある話題を
- サシでする
ならその場を楽しむことが出来る。結局、複数の音から必要な情報だけ抜き出すのが苦手なだけなんだ。あ、あと興味の幅がとても狭い。でもこの2つさえ回避できさえすれば、僕でも豊かな人間関係を築ける。
ところが。
「あ!あそこに友達がいる!おーい、一緒に遊ぼうよ!」
おいコラ!余計なことすんじゃねー!
友達はたくさんいたほうが良い。大勢で遊んだ方が楽しい。
この世はそんな「危険思想」で毒されている。君と遊ぼうと僕はやって来た。それなのになぜ雑多な人間を混ぜるのか。君の友達が僕の友達になるとは限らないと考え至らないのか。小一時間問い詰めたい。
せめて僕の了解をとって欲しいものだけど、結局了解を求められたところでYes意外に場の平穏を保つ返答はないだろう。
詰んだ。
この後数時間に渡って僕は聴覚をフル稼働させ、不快な時間を過ごし、疲弊することになるんだ。突然参加人数が増えたとき、僕は常に帰ることを考えている。
街で知り合いを避ける
こんな風に僕がまともに会話するには物凄いエネルギーが必要だ。
だから人と会う時は相応の心の準備をする。前夜に長めに寝て「対人関係エネルギー」をフルチャージしつつ、仕事で無理しないように手を抜き、万全の態勢で望む。
ところが都市国家シンガポールは小さい!
ブラブラほっつき歩いているだけで知り合いに出くわしてしまう。これはある意味シンガポール最大のストレス。しかも大抵みんな迷惑なほどフレンドリーなので、目が合ったが最期「ここで何してんのさwww」みたいな立ち話に突入する。
なんでイチイチそんなことを説明しないといけないのか(=^・・^#=)
あぁぁぁもう嫌だ。
なぜにこの世はこんなにも僕に不都合に出来ているのだろう。旧約聖書で「光あれ」と神が唱えた直後くらいからこの世の成り立ちに介入したい。そんで僕が成り立ちに介入した世界では、アダムが知恵の実を食べたことで人類は3人以上で話すとボンビラス星に飛ばされる運命を背負うんだ。