久しぶりに実家に帰るたび親が縮んでいる。
僕は幼児だった頃は地域の子供たちに馴染めず、小学校では勉強ができず、中学校の後半や高校は素行が悪かった。そのため僕の記憶にある親というのは常に怒り狂っており、僕が彼らの期待に添えないと容赦なく制裁してくる恐怖の対象だった。
無償の愛が欠如した家庭環境は僕の人格形成に深い傷を与えた。
うつ病になってからも、社会にうまく溶け込めない僕を両親が理解してくれる事は結局最後までなかった。
午前中に体が動かず、まともに考えることもできない。仕事が成り立たないし、ふとした瞬間にこの世から消えてなくなりたい衝動に突き動かされる。そのうちそれを実行してしまうかもしれない。もう限界だ。だから明日会社を辞めようと思う。
実際にギリギリ思い留まった晩に、僕は実家に電話して両親にこんな告白をした。
でも親の口から出て来たのは「どこにも勤めずに生きてはいけない。会社を辞めたら同じことだ」という冷たい言葉だった。
両親の理解が得られず、結果的に僕はどこにも頼れない状態に陥った。
許す必要はない
そんな両親が帰国する度に縮んでいる。
人生のどん底だった時でさえ僕を理解してくれず、世間体や彼らの期待する社会的ステータスを満たせない僕を批判してきた両親。
正直あの時は家族という関係に心の底から失望した。だから海外に出て数年間はすべての連絡を断った。
でもシンガポールで生活が安定して久しぶりに帰国した折、目に見えて衰えていく産みの親を前にして僕の考えは変わった。
多分僕が社会に溶け込めないのも、そんな僕を両親が理解してくれないのも、最期まで変わる事はないだろう。それでも誰かを、特に近しい存在であるべき人を、憎しみ恨み続ける事は「僕自身にとって」不幸なことなんだ。
だから僕はあの時勢い余って死んでしまったことにする。そして海外に出て僕は生まれ変わったんだ。
僕は真新しい人生を生きている。
老夫婦も老夫婦で、かつてのようなエネルギーはもうない。歳をとると丸くなると言うけれどまさにそんな感じ。理解力も衰えるらしく、外国で外資企業に勤めるという概念をよくわかっていないように感じる。わからない事は批判したり罵倒することもできない。
これはある意味都合が良かった。
僕はこの新しい人格でもって、縮んでいく老夫婦と「別人として」関係を結び直すのだ。
無償の愛を与えてくれなかった両親、がんばっても社会で上手く泳げない僕を認めてくれなかった両親。一方、両親からしたら問題ばかり起こしてくる、期待に見合わない無価値な息子だったはずだ。
そんな僕らがお互いを認めあったり許し合う必要は無い。そもそもそんな事は多分できない。
だから海外で生まれ変わった僕が、昔お世話になった老夫婦と仲良くなる。
長年の軋轢で亀裂が入った親子関係の修復作業、それを僕はこのように落とし込んだ。
物理的な距離が解決することもある
結果的に6000kmの距離で隔たれたことが良い方向に僕の考えを変えたんだと思う。
客観的に親という存在を捉え直すことができつつある。
これから両親はさらに衰えて、いつかは介護が必要な時がやってくる。その遠からぬ将来のために、まだ両親とも元気な今できる事は、過去に囚われずに安定した人間関係を結び直すことだ。
2週間足らずの短い帰国だけど、まだまだ元気な老夫婦と楽しい時間を過ごしたいと思う。もし彼らに介護が必要になったときに、今日の思い出はきっとかけがえのないものになるだろう。