東京郊外の音を聞いて郷愁に浸る

お散歩に行くワン!U^x^U

実家で飼っている白いワン様は、家の中で用を足せない。だから朝晩必ず散歩に連れて行く必要がある。もう人間の歳では70歳を超える老犬なのに、シモの管理は今でもしっかりしたヤツだ。

とは言え最近めっきり衰えて、散歩で踏破する距離がガクンと縮まった。

でも僕が帰国した時は何故か知らないけど2キロ3キロと距離を伸ばす。多分犬たちは所属する群の「戦闘力」を意識している。要は飼い主のフィジカルの強さ。散歩中に別の群と鉢合わせしたときに、ガチンコ戦って勝てるかどうか。

普段はもう端から見ても老夫婦になってしまった両親が、朝晩代わり番こに散歩している。だから地域最弱の部類としてトボトボ散歩していると言う。

でも僕が帰ってきた時は飼い主が一応若い男性だ。実家がある地域は凄まじく高齢化してるので、若い男性に連れられている事は犬にとって鼻が高いのかもしれない。どことなく胸を張って歩いているような気がするし、強そうな大きな犬とも強気に関わろうとする。

そんなわけで実家にいるときは積極的に犬を散歩に連れ出すようにしている。もっともお犬様は僕を連れて歩いている気分かもしれないけど(=^・・^;=)

朝の東京郊外の音

朝7時半。

東京郊外は懐かしい音で溢れている。

実家の周りの道には近所の小学校へ通う子供たちがたくさん。僕と違ってうちの犬は子供が大好きらしく、一人ひとりに「よー!」と挨拶して回る。

今時の小学生のランドセルは色がバラエティに富んでいて驚く。こんな寂れた郊外の小学校でさえ、男は黒、女は赤なんていう悪しき強迫観念が完全に消えている。紺色や臙脂色、深緑や皮の色を活かした茶色。そんなのを好き好きに背負った子供たちが、宿題だったらしい音読をしながら農道を歩いて行く。

聞くところによるとここは校区が狭いらしく、特に集団登校などしなくても最寄りの通学路に出れば誰かしらが歩いている状況らしい。

長閑だ。

すると少し離れた小学校から懐かしいチャイムの音が響いてくる。

始業15分前を知らせる合図らしい。にわかに子供たちがざわつき、やんちゃそうな男子のグループが駆けていく。それをからかう女子のグループ。あの中にそれぞれお目当ての相手がいるのかもしれない。

僕が小学生の頃に好きだった髪の長い女子は今頃どこで何をしているのだろう。なんだか懐かしくなってしまい、帰国中に母校を訪ねてみたくなった。

昼の東京郊外の音

散歩も終わり本格的に酔っ払う時間だ。

近所のスーパーが開店したので、刺身の盛り合わせと好きな銘柄のビールを大人買い。それでちょうどビールを開けたタイミングで、竿竹屋の宣伝が聞こえてくる。

竹やー、竿竹ー!

物干し竿を竿竹と言うこと。あの棒はその昔、本物の竹でできていたと言うこと。幼い頃はそれを知らず、竿竹屋の軽トラは謎の存在だった。

とは言えその軽トラを目撃したのは人生で何度かしかない。特にあの宣伝を流しながら走行している軽トラに出くわした事は物心ついてから1度しかないと思う。

あれは不思議なビジネスだ。

考えてみれば、本当に物干し竿を買いたい人はあのアナウンスを聞いたら一目散に家を飛び出し、軽トラを捕まえる必要がある。

マジでそんなことが可能なのだろうか。そしてそこまでして物干し竿を買いたい人がこの町にいるのだろうか。そんなことを考えてビールをゴクゴク飲んだら、衝動的に買ってみたくなってきた。

母さん、ウチ物干し竿いらない?

「要らない怒」

そうですよね(=^・・^;=)

それでその時は衝動がおさまったんだけど、いい感じに酔いが回ってきた頃にまた別のヤツがやってきた。

網戸ー!網戸の修理はいかがですかー?

うぉー!今こそ34歳プロ犬お散パーの瞬発力を見せつける時が来た(=^・・^=)!僕は飲んでいたビールを一気で空にして、玄関を飛び出した。

僕の実家は入り組んだ住宅密集地の中にある。だからそういった軽トラが入り込んでくる道りから少し離れている。音を頼りにクネクネ曲がった細い路地を通り抜け、勢いよく通りに出た。

その時既に網戸修理の軽トラは、僕から100mくらい離れた場所に通り過ぎていた。するとその時、いきなり軽トラのテールランプが白に光り、僕の方へバックしてきた!

ちょっと待て!そういえば、我が家に網戸ってついてたっけ(=^・・^;=)?

僕慌てて両手で×印を作り、何かの間違いだった風を装った。すると軽トラはめんどくさそうにバックを止め、再びオートマ車のクリープでノロノロと前進を再開した。

何と言うユーザインターフェースだろう。

ウェブサイトで物売る場合。サイトを訪れた人の視線を完璧に掌握し、最も注目される場所に商品購入のボタンを配置する。それは膨大な統計に基づきセオリーが確立している。

それに対して竿竹屋と言うのは、ひたすら音楽を流して街を練り歩く。その間運転手はバックミラーとサイドミラーで後方から人が飛び出してくるのを虎視眈々と見ているのだ。

こんな商売が成り立つのか(=^・・^=)!

すごいぞ日本!

夕暮れの東京郊外の音

酔いつぶれて昼寝して、目覚めるとちょうど夕方の犬の散歩の時間になっている。今日という日は犬の散歩に捧げられたといっても過言では無い。

まぁそういう日があってもいいよね(=^・・^;=)

夕暮れ時がこの街を一番美しくすると思う。定時退社が基本のシンガポールでは、このくらいの時間には家路を急ぐサラリーマンで溢れている。

でもここは東京郊外。

なかなか定時で帰れないお国柄だし、たとえ17時で仕事を切り上げたとしても、満員電車に揺られてこの時間にこの街までたどり着くことができない。

だから紅に染まる細い路地は、もっぱら犬の散歩している老人がヨボヨボ歩いているだけだ。

日本にあってシンガポールにないもの。

それは電信柱と電線である。

東京オリンピックを控え日本でも電線地中化が都市計画の課題となっているようだけど、電信柱と電線の黒いシルエットは夕日にとても映える。特に僕は子供の頃から無数の黒い線に味付けされた夕日を見て育った。そんな僕の原風景とも言えるこの夕日がオリンピックでなくなってしまうのは寂しいな。

そんなことを考えながら犬を連れていると、突然大音量で「ゆうやけこやけ」が流れる。

あぁ。

日本に帰ってきたと実感する。

ライフスタイルが変化して今では子供たちはあまり外遊びをしないという。それに昼間寝て夜勤で働くような人も多いだろう。それでも17時になると街に大音量でこの曲が流れる。

もはや子供に帰宅促す本来の意味から昇華して、文化として地域に浸透している感がある。

変わらない音、変わらない時間

僕の子供の頃から30年以上何も変わらない毎日の繰り返し。

グローバル社会に追いつくよう改革が叫ばれる日本社会だけれど、長い時間に育まれた伝統が文化的に豊かな生活環境を作り込んでいる。

ガラパゴス化などと揶揄される昨今、ある意味でそれが日本人の生活を豊かにしている側面もあるのではないかと感じた。