日本にも外国人が増えた。
インバウンドの観光客だけでなく、日本社会を支える労働者として日本で暮らす外国人。
特に都心で深夜のコンビニや牛丼屋に入ると、かなりの高確率で外国人に接客してもらうことになる。そしてそこで売っている食材を作っているのも外国人労働者たちだ。例えば実家から少し離れたところにコンビニ弁当をOEMで製造している大規模な工場があるんだけど、その周辺には桐野夏生の小説に描かれたそのままの世界が広がる。
一昔前まで外国人労働者と言えば中国人や業種によっては韓国人という印象だった。それが今では出身国の範囲が広がり、ベトナム語が飛び交い褐色の肌を持つ人たちも目立つ。
ここで僕が疑問なのは、それまでコンビニや深夜の牛丼屋を切り盛りしていた日本人はどこへ行ったのかということ。
フリーターで生計を立てられる国
フリーターは日本で唯一、雇用の流動性が高い働き方だ。
仕事が嫌だったらすぐに辞められるし、また働きたくなればすぐに再就職できる労働環境。
だからアベノミクスで就職戦線が歴史的な売り手市場になった昨今、日本人労働者はより良い待遇で働けるようになったんだろう。その穴を外国人労働者が埋めてくれているわけだ。
本来は時給を大幅に引き上げて経験者を引き止めるべきなんだけどね。
雇用の流動性が上がればブラック企業が淘汰され、給料が上がり、モノが売れるようになり、めぐりめぐって日本製品の付加価値も高まる。それがインフレ目標を定めている政府の方針でもある。
こんなふうに僕は雇用の流動性を高めると労働者の幸福度が上がると確信しているんだけど、これをイマイチ納得してもらえないのは「フリーター=不安定」という印象が先行してしまうからだ。
実際にアルバイトは給料が安く雇用が不安定であることは間違いない。それでも日本社会、特に接客業はフリーターの人たちを必要としているし、正社員になるより簡単かつ気楽に仕事につけるのもまた事実。
一方、パートタイムの仕事は世界中どこにでもあるけれど、日本のようにフリーターとして生計が立てられる国は実は少ない。
もう7年くらい前、僕が東京で暮らしていた時はシェアハウスに住んでいたんだけど、ワーホリビザで日本にやってきた同居人の韓国人は昼間は日本語学校に通いつつ毎晩遅くまで荷物の仕分けのアルバイトをしていた。
韓国にも同じような仕事はあるけれど、給料が安いしそれに対して物価が高いからそれだけでは暮らしていけない。でも日本ならアルバイトの給料だけでも贅沢をしなければ一人暮らしができる。そんな自由な生活が楽しいと夜な夜な語っていたのをよく覚えている。
シンガポールでもアルバイトに精を出す学生さんや、家族を支えるためにパートタイムで働く人たちがいる。それでもその微々たる給料だけで生活費を全てまかなう事はかなり難しい。シンガポールは物価が高いので、韓国と同様にフリーターという生き方では親元から独立できない。
希望の国のエクソダス
失われた何十年。日本は随分落ちぶれて、韓国との経済格差は年々縮まるばかり。シンガポールには早々に追い抜かれてしまった。
それでも日本は生活費がまだまだ破格に安い。
シンガポールや韓国をはじめほとんどの国々がインフレに苦しむ中、日本人は本当に珍しいデフレーションという経済状況を享受している。
デフレはモノがどんどん安くなっていく不思議な経済だ。だからフリーターのように安い給料でも、工夫して節約すれば今でも相変わらず生計を立てることができる。
例えば一昔前は6000円も払ってキャリアと契約しなければいけなかったケータイも、今ではスマホに格安SIMを刺せば月々数百円でインターネットを楽しめる。
それに日本に帰国すると物の多さに圧倒される。
世界中のブランドが集まっているだけでなく、雑貨やお菓子、マッサージやフィットネスの種類、それに新聞や雑誌の多さ。給料が上がりインフレしている振興国と比べても、欧州や北米先進国と比べても、日本の物質的な豊かさや娯楽の多さは世界でも希に見る恵まれ様と言える。
でも。
経済にかぶれる前の村上龍氏の名作「希望の国のエクソダス」。この作品の中で主人公の少年がこんなことを言う。
「この国には何でもある。だが、希望だけがない」
デフレによって物の値段が下がっていく社会構造のため、フリーターの給料でも生計を立てることができる。でも何か大きな夢を叶えたい、日本を出て挑戦をしたい。そういった希望を抱いたとき、周りの国が軒並みインフレしている世界ではそれを叶えることは難しい。
「カネの若者離れ」と揶揄されるように、日本人の購買力はデフレとともに確実に低下している。そのような状況で挑戦する意欲と資力を持つ人が減っている。
世界の一流大学に留学する日本人が減り、新興国エリートにその地位を奪われ、延いては国力が逓減している。
ようはジリ貧。
デフレの日本ではそこそこ頑張ればそこそこの生活が手に入る。これは事実だ。でも何か大きな希望を抱き、それを実現しようと思うならば、それは年々確実に遠ざかっていく。
僕は祖国を誇りに思うけれど、それでも希望を求めシンガポールへ帰っていくんだ。