昨今、日本人は年寄りに電車で席を譲らないと何かと話題になる。
マナーが良いことを誇って止まない民族にもかかわらず、実際にそれを実践している人は少ないと。
この点においてシンガポールは過剰なまでに席を譲る国だ。
妊婦や年寄りのみならず、小学生くらいの子供にも普通に席を譲る人がいる。まぁこれはこれで席をゲットした子供が兵役に向かう青年を立たせてスマホでゲームを始めたりするのでモヤるわけだが。
でも久しぶりに帰国して満員電車に揉まれると、日本人が電車で席を譲らない理由、ベビーカーに文句を言う理由は痛いほどよくわかる。
通勤距離が長すぎる
シンガポールやマンハッタンであっても、世界の名だたる大都市は意外とコンパクトだ。
例えばシンガポールは国土が小さいこともあり、僕の友人たちはみんな片道30分以内で通勤している。僕自身もマレーシア国境にほど近い北の町まで都心から通勤しているにも関わらず、電車に乗っている時間は40分に満たない。
これでも通勤時間が長い部類だ。
しかも朝晩1時間程度のラッシュアワーを避ければ電車が充分空いている。席がほぼ埋まってパラパラと人が立っているくらい。だから席が必要な人が乗ってきたら気軽に譲る気になる。
何せあと15分もすれば目的地に着くのだから。
一方、日本の僕の実家はなんちゃって東京都とはいえ、最果ての辺境にある。ここから例えば東京駅に行くためには、バスに加え電車を2回乗り継いで2時間近くかかる。電車に乗ってる時間は90分くらい。
しかも日本のラッシュアワーは長い。こんな田舎の駅なのに、平日の朝9時ごろでもまだ相当混んでいる。もちろんやってきた上り電車に座ることはできない。そのまま90分立ちっぱなし。
山手線の混雑は朝7時にピークを迎えると言うので、それから2時間たってもまだラッシュが収まっていないことになる。
こんな狂った長距離移動を毎朝毎晩強いられたら、余裕やゆとりや労りの心など早々に枯渇して席を譲る気になどさらさらならない。
長距離列車と都市交通が分かれてない
そもそもシンガポールやニューヨークで席を譲った譲らないと言っているのは、大都会の地下を走る都市交通の話だ。
日本で言えば東京メトロや都営地下鉄みたいなもの。
だから始発駅から終点まで乗っても1時間に満たないし、謎の私鉄に乗り入れて地上に出て、そこから更に1時間も運行するようなこともない。だから都市交通で年寄りに席を譲っても、その後15分ぐらい立ってれば目的地に着くのだ。
つまりは街がそれだけコンパクトにできていると言うこと。
一方、日本の鉄道網はそもそも長距離列車と都市交通が分かれてない。地下鉄がそのまま私鉄に乗り入れ、僕のように片道90分間電車に乗り続ける人も珍しく無い。
東海道本線や湘南新宿ラインのように県をいくつもまたいで2時間以上かけて通勤する人も普通にいる。こうなると長距離列車に乗って通勤しているのと変わらない。
海外でも長距離列車で席を譲る人はいない。そもそもそんなに混雑しないし、多くは指定席だからだ。
それに加え日本の長時間労働。
9時始業の21時退勤を週に5日。これに片道2時間の通勤が加われば、思いやりやいたわりの気持ちがどっかに消し飛ぶのは当たり前だ。
心の余裕を奪う都市構造
日本の大都会の人たちはみんなギリギリのところで踏ん張って毎日を生きている。電車が3分遅延してお詫びアナウンスが流れるほどに、みんな時間に追われ余裕がない社会。
それもこれも都市構造がバグっているのが原因だ。
大都会、特に東京に都市機能が一極集中した結果、人々が住む場所がなくなって住宅地ははるか彼方の地方都市に追いやられてしまった。それで毎朝毎晩、過酷な民族大移動が発生している。
思いやりやゆとりを人々から奪い取る地獄の都市構造。
年寄りに席を譲らないのも、ベビーカーに文句を言うのも、痴漢や痴漢冤罪が発生するのも、人権を無視した満員電車で長時間通勤しなければならないからだ。
もうこれは人々の意識やマナーの問題ではありえない。
また焼け野原から都市計画をやり直す訳にもいかないので、リモートワークを国家戦略として推進して行くのが現実的な落としどころだろう。
物理移動はダサい。オフィスで仕事をするのはダサい。おうち最高。
まずはここから意識改革をして、 東京がゆとりや思いやりを育む街になってほしい。