外国人が暮らしやすい社会は全員にとって暮らしやすい

日本に帰国した際、昔なじみで集まって肉を食らう場を設けて頂いた。

そのレストランは子連れに優しいのがコンセプトらしく、エレベータを降りると沢山のベビーカーがずらりと「縦列駐車」されていた。僕の世代もこのような場所を利用するようになったんだな。話を聴いていると安定の独身組も婚活を始めた人がチラホラ現れ、僕もずっとこのままで良いのだろうかと染み染み考えてしまったよ。

さて、全員揃ったので席に通され店員さんが水とメニューを持ってきた。

「当店はお子様連れが多いためご配慮お願いします」

え!?どういうこと?何をすればいいの?

思わず声に出ていた。「ご配慮」という曖昧なお願いが具体的にどんな行動を指すのが純粋にわからなかっただけなんだけど、なんだか空気が読めない感じになってしまった(=^・・^;=)

「ぶつからないように気をつけたりね」

自身も子持ちであり常識のある旧友にたしなめられてしまった。

日本ではこういうことが頻繁に発生する。確かに僕は常識がない。それに子供が嫌いというか興味がないので、子供に関する知識を持ち合わせていない。でも結婚願望のない男性なんて多かれ少なかれこんなもんじゃないか。

だからこの場合は「お子様にぶつからないようにご注意ください」の方が具体的でわかりやすいと思うんだけどなぁ…。

日本は忖度社会

上司や顧客は「常識」を振りかざして必要な説明をすっ飛ばす。スクールカースト上位者は必要な説得をすることなく大衆圧力を振りかざしてくる。こういう連中の曖昧な意向を汲み取る能力が著しく低かったために、僕は日本社会から脱落したフシがある。

政治家に忖度したことで国会が紛糾する癖に、日本社会はというと「常識」に従って適切な忖度が出来ないと生きていけない場所なのだ。

その根本的な原因として、日本には何が問題でどう改善するべきか具体的に言葉で表現出来ない人が多すぎる。

「ひどい!さいてー!」

僕が小学生のとき、女子というのはこう言えば何でも上手くいくと思い込んでいる厄介な生き物だった。でもその実「さいてー!」と喚いたところで感情を垂れ流しているに過ぎない。それだけじゃ僕は行動の何が問題だったのか理解出来ないし、だから改善も出来ず同じ女子と再び同じトラブルが発生する。

ケッピーバリア(=^・・^#=)!

この手の有害な「説明できない女子」は、公共の場で怒鳴り散らす恥ずかしいオッサンと本質的に何も変わらない。感情を爆発させて喚き散らせば周りが忖度して良きに計らうだろうと「常識」に甘えているのだ。

外国人依存社会に対応せよ

日本では長らくそんな甘えが許されてきた。

「常識」に従って適切に忖度出来る人が社会の多数派を占めていたので、これが出来ない異端児を叩いて社会から排除すればそれで良かったのだ。

ご多分に漏れず僕もバッチリ排除されたわ(=^・・^#=)

ところが今や日本社会は外国人に大きく依存している。そしてこの傾向は年々進んでいくだろう。当然、外国人である彼らは説明せずには日本の常識を理解しないし、喚き散らす日本人に盲目的に従うメリットもない。

まぁ仕事なら日本人に合わせたマニュアルで適応することが出来るかも知れない。給料のためにね。でも彼らだって仕事が終われば一般市民。彼ら独自の「常識」に従って、日本の街で普通に暮らすのだ。

もう日本人の「忖度」は日本国内でも通用しないフェーズに入っている。

だからこれからは日本人の「忖度」に頼らず、誰もが納得するように必要なことを順序建てて説明していく必要がある。

そして結果的にこれが出来ないと、近い将来日本人であっても日本でマトモな職に就けなくなるだろう。同僚や上司や顧客が外国人になるのだから。そしてもし感情的なって他人を公衆の面前で罵倒しようものなら、彼らの常識に従って然るべき報復を受けるかもしれない。

でも本来、外国人が住みやすい社会は全員にとって暮らしやすい。僕自身が外国人としてシンガポールで暮らしているから、これは身をもって確信している。必要なことを誰にでもわかりやすく伝える社会。感情的にならずに建設的な議論が行われる社会。

それは誰にとっても暮らしやすい社会だ。

日本人もこれからは外国人に依存した新しい日本社会に対応していく必要がある。その第一歩は、問題点と改善案を感情的にならずに具体的な言葉で表現することだ。