心ある人たちの支えのなかで生きてることに気付いちゃった

昨夜は日星親善テニスのいつもの友人たちと一緒に晩メシを食べた。HDBの軒下にあるなんてことないホーカー屋台で、これまたなんてこない福建麺を注文。いつもの4人でテーブルを囲んで食べ始めたんだけど…。

食欲がない。

まぁ客観的事実としてあまり美味しい福建麺ではなかったんだけど、僕の味覚もかなりおかしい。全然味がしない。ふやけた粘土を食べているようだ。さらに胃が消化を拒否しているらしく飲み下すのに苦労する。

これはメンがヘラっているサインだ。

大学でクソみたいな研究室に配属されたときは片頭痛に悩まされたし、クソみたいな職場では突然腹を下すようになった。僕の身体は非常にわかりやすく出来ていて、メンタルが崩れると即効性をもって体調に現れる。

そして昨夜僕は気づいてしまった。この素晴らしい仲間たちと、もうあと幾度も食卓を囲めないことに。

シンガポールで僕は変わった

先週、突然僕の部署が廃止されることになった。それで僕は今月で職を失い近いうちシンガポールを離れることになるんだけど、当初ぜんぜん動じなかった。

普段からミニマリストに徹しているので引っ越しは簡単。さらに貧乏生活に慣れているし貯金もある程度ならある。いつでもどこにでも行ける。会社都合のレイオフなので退職金も貰えるし、むしろこれは次の国に挑戦するチャンスだと。

じゃあこの落ち込みようはなんだ。

日本で暮らしていた僕はとにかく余裕がなく、いつも自分を中心に生きていた。時間に追われ疲れていると、他人のことを気にかける余裕など無くなる。クソだと思っていた大学の研究室、クソだと思っていた日本の職場。これももしかしたら僕に余裕がなく、頑張っても上手くいかない不都合な真実を組織や周りのせいにしていたのかもしれない。

そんな風に自己中心的に生きてきたので日本を離れる葛藤は皆無だった。

一方、シンガポールに移住してからの約6年間、僕は打って変わって「時間持ち」になった。毎日まだ明るいうちに家に帰れる。土日は確実に休み。そんなゆとりのある暮らしのなかで、僕はいつの間にかモノやカネではなく、まわりの人たちに重きを置くようになっていたらしい。

シンガポールを去るリアリティーがようやくわかってきた。住む場所を変えることで変化するのは収入や仕事だけではない。

僕の生活を彩るかけがえのない人たち。

例えばいつも一緒にテニスをしているシンガポール人男子は、僕にとって初めて親友と呼べる外国人だ。なんというか手加減する必要がない。ポジティブな内容もネガティブな内容も、政治的に微妙なトピックでさえも彼とは言いたいことを何でも言いあえる。

今では生来ぼっち属性の僕が、毎晩のように誰かと遊ぶようになった。

シンガポールを離れるとそんな彼らと物理的距離で隔てられるのだ。

嬉しいことも不快なこともいろいろあったけど、この6年間シンガポールで心ある人々に囲まれて暮らした時間がどんなに恵まれていたか。その有り難さを心のそこから思い知った夜だった。

働く自信

されど我は働きたくない。

違うな。意欲の問題というより「働く自信」が枯渇してしまった。

日本で社会人として挫折したときはホステルでバイトすることで働く自信を取り戻した。それをバネに背伸びして外資に転職してみたものの、シンガポールで3年半も正社員として働いているうちに自分の業務スキル不足、英語力不足、何より自信の無さにうんざりしてしまった。

こんな状態で胸を張って「僕を雇って下さい」とアピール出来ない。きっとパッとしない履歴書しかかけないし、もし面接まで進めてもオドオドと自信のない受け答えしか出来ないだろう。

自分の欠点を理解しているのに、から元気でそれを覆い隠すような不誠実な振る舞いはしたくない。そんなんで自分を偽ってもし採用されたとしてもすぐにバレてまたクビになる。

疲れたよパトラッシュ…。僕はこれからどうしたらいいのだろう。