僕の海外生活も6年になり、日本の「外国度」が年々増している。
たまに帰国する生まれ故郷を「外国」と感じ、そこに滞在する自分を「外国人」と認識する感覚。これは自分の日本人としてのアイデンティティを再発見したり日本という国に対する新しい気づきに繋がるので、ブロガーとしては美味しい限りだ。
例えば海外移住して日が浅いウチは、たまに帰国して空港から電車に乗ると「女の人がキレイだな」「やっぱ日本女性は美しい」などと感動していた。格好も小奇麗で各自似合う服装を研究しているように感じる。そして全員が化粧してファッションに気を使っている。
素晴らしい。
ところが最近帰国して思うのは「全員が化粧してファッションに気を使っている」ってよく考えると超ヤバくないかってこと(=^・・^;=)
特段美人でもない女性がスッピンから化粧を施して、インスタ映えする顔に大変身を遂げる動画が定期的に話題になる。極端な話アレである。日本女性は毎朝時間をかけて、多かれ少なかれあの大変身を遂げてから家を出ているのだ。
ヤバい(=^・・^;=)
日本女性を縛る「マナー」
僕など毎日ヒゲを剃るのすら面倒くさい、というか剃ることがストレス過ぎて出来ない。それでも運良く男性に産まれたから無精髭で清潔感がなくてもモテないくらいの副作用しかない。
そういえば日本の職場で上司に不精髭を注意されたことがあるけれど、その上司の鼻毛を指摘したらそれ以降何も言われなくなった。男なんてこんなもんだ。
でも日本には僕のようなズボラ遺伝子をもって産まれた女性だっているはずだ。そのようなズボラな女性が顔面に化学物質を塗ったくる苦労、不本意なその時間のために早く起きなければならないフラストレーション。
更にあのストッキングってやつ。
僕は触覚過敏が少しだけあって、身体に密着する服を着ると常に気になってしまい何にも集中できなくなる。だからスーツにネクタイで働いていた時は、チクチクムズムズするあの感覚に12時間以上耐え続けて毎日疲弊していたものだ。
もうあれは完全にトラウマで、今でもストッキングとかタイツを履いている女性を見ると全身の皮膚に虫が這いずり回るような不快感を思い出してゾワっとする。言わば「逆ストッキングフェチ」だね(=^・・^;=)
そのコンボ。
日本にも必ず存在するであろう触覚過敏持ちでなおかつズボラな女性が毎日どんな苦労に耐えているのか考えると心が痛む。
僕がもし日本で女性に生まれていたらもっと早い段階で社会から脱落していただろう。
マナーと言う名の暴力
それもこれも「マナー」ってやつが悪い。
無精でいい加減な僕と気の合う女性は、これまた無精でいい加減な人が多い。自分がグダグダだと、他人のグダグダにも寛容なのだ。
それで過去にお付き合いした女性が月曜の出勤前に化粧するを眺めながら「大変だねぇ」などと何の気なしに言ったことがある。すると彼女は「面倒臭いけどマナーだからしょうがない」と言っていたのを覚えている。
男性のみならず女性の先輩からも化粧についてダメ出しされると言う。だからもしスッピンで出勤などしようものなら、パパッと化粧するよりもっとめんどくさいことになる。しょうがないんだと。
「ナマ足」などという言葉があるように、ストッキングを履いていない脚を性的に見る向きもある。だからこれに関しても職場のトラブルを避けるためには触覚過敏に耐えてストッキングを履く必要があるのだろう。
ツラすぎる(=^・・^;=)
ここまでくると「マナー」と呼ばれる一部の社会的圧力は、もはや暴力ではないか。
例えば僕が「平服」指定の企業説明会にライダースーツで行ったら「非常識だ」と入れて貰えなかった。僕みたいに触覚過敏があると、リクルートスーツを着て満員電車に乗るだけでぐったりと疲弊する。それに貧乏学生にとってリクルートスーツは経済的負担でもある。
一律全員がリクルートスーツを着ないと企業説明会にすら参加できないのは、どう考えても弱者に対する弾圧である。
全員一律の行動を強制するようなマナーは、それを容易に達成できない人にとって暴力的に働く。先進国として成熟した日本社会は、そろそろ「違い」について寛容になっても良い時期ではないか。