地震を期にいつどこへでも行ける自分になろうとしてきた

大阪で地震が起こってから「シンガポール 移住」「海外 移住」のキーワードでこのブログにやってくる人が急増している。

わかる。僕も3.11の時に狂ったように同じ検索をした。

なんというか都心で帰宅難民になったのと原発事故を期に、日本という「仕組み」に対する漠然とした不信感が可視化されちゃったんだよね。

暮らす街と働く街が遠く分離され、何万人もが朝晩何時間もかけて移動する都市構造はおかしい。社会人として強要されるスーツと革靴という格好は、実用性に乏しく緊急時に動きにくいし寝にくい。大量の人間を東京に集めた結果、1日でもインフラが止まると食料難になる。

満員電車で腹を下す過敏性大腸症候群に耐えてきたけど、やっぱり東京の街のほうも狂ってたんだ。

それから「直ちに健康に影響はないポポポポーン」ってやつ。集団パニックを防ぐ目的は理解できる。だとしても真実を伝えるという報道の本懐を、大手メディアが足並み揃えて放棄するのには絶望した。

昨日まで原子炉の中にあったものが頭に降り注いでいるんだぜ?水道水に混じってるんだぜ?当然僕は専門家じゃないからそれがどの程度健康に悪いのかはわからない。

でも普通に考えて怖いじゃん。何が起こっているのか真実を知りたいだけなのに。

ところが程なくして福島の人たちや物産への強烈な差別が始まり、おおっぴらに放射能汚染の恐怖を口にすること自体がはばかれる空気に包まれた。それに加えて復興の名の下、怖がったり協力しない者を排除する全体主義的な圧力。

それまで日本を先進国と信じてやまなかった僕だけど、これじゃあどこかの社会主義国と同じじゃないか。

「がんばろう圏外」へ脱出

連日放射性セシウムが降り注ぎ、真実かどうかもわからない情報ノイズがネットに溢れる。そしてそれをめぐる放射脳と全体主義者の情報戦。デマがデマを呼び、いま何が起こっているのか真実が霞んでいゆく。

それでも不安で不安で仕方ない僕はジャンクな震災情報にわざわざ張り付いて、ジワジワと精神をすり減らしていった。

「絆!」「にっぽん!」「がんばろう!」

もうダメだ。

原発事故から1週間ほどで僕は疲れ果ててしまい、結局京都の友人を頼ってしばらく「疎開」することにした。

それで京都駅について驚いた。

街に漂う空気に緊張感が混じっていない。新幹線にたった1時間揺られただけなのに、もう明らかに雰囲気がユルい。これには心底驚いた。パラノイア的な東日本など我関せず、西日本では震災前と変わらない普通の日常が続いていたのだ。

京都で転がり込んだのは古い学生寮である友人の家。そこは畳からウジがわいているわ水道から茶色い水が出るはで、それはそれでアドベンチャーだったんだけど笑。でも朝までゲームしながら酒を飲んだり、昔ながらの銭湯に浸かったり、しばらく学生気分を楽しんだら爆速で元気になった。

程なく有給休暇が尽きて東京に帰ってからも、この緊張感はココだけの局所的なことなんだと思うと気持ちがラクになった。

困ったことが起こったら、その影響範囲外にいち早く脱出すること。これが根本的な自己防衛であるとこの時に悟った。

いつどこへでも行ける自分になる

京都に「疎開」して精神的にマシになったものの、震災で可視化された日本への不信感はもう拭えない。それに連日余震が続き、原発事故の収束も目処が立たない。

でも僕は仕事を辞める恐怖に打ち勝てなかった。結局1年後にはうつ病が悪化して日本から脱落するんだけど、その日が来るまで毎日スーツを着て満員電車に揺られ続けた。

いつ何が起きてもどこへでも行ける人生にしたい。

人生で一番苦しかったこの時期に考えていたのはこれだけだ。ウツで頭が働かなかったけど、それでも絞り出した結論は「英語」と「手に職」が必要だということ。幸いにも技術系の仕事なので手に職はこのまま伸ばしていくとして、問題は英語だ。もっさりした頭でSkype英会話を続けた。マジで残業でも休日出勤でも、毎日30分絶対にフィリピンの先生と会話した。最後のほうは頭が働かず先生も呆れていたけど、それでも6ヶ月間レッスンを欠かさなかった。

たぶん、この行動力が僕の強みなんだと思う。

そう信じて今日まで頑張ってきた。あれから7年。シンガポールでまた仕事を失うのを期に、今度こそいつ何が起きてもどこへでも行ける人生を手に入れてやる。

文章力・技術力・英語力で必ず食える1%の人になってやる
30歳になった時に思った。 このままでは何も達成しないまま、何者でもないオッサンになってしまうと。 文字で書けば、うつ病社畜から...

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