AI自動化時代に「残される」仕事

人はなぜ山に登るのか。そこにビールがあるからだ。 by ししもん.

まぁ山小屋のビールってめっちゃ高いんだけどね(=^・・^;=)

山のビールは大自然の中で運動をした後に飲むから美味いのは間違いない。でもそれ以上に、その「特別感」がデカい。

夜明けとともに歩き始め、何時間もかけて山の奥深くへ分け入る。バランスを取らないと谷底に真っ逆さま、ロープを使わないとたどり着けない難所をクリアし、森林限界を超えるともう人の背より高い草木は生育することが出来ない過酷な領域に入る。

そんな人里離れた到達するのが困難な場所に、なんと冷えたビールが存在する。

ヤバい(=^・・^=)♬

この神々しく光る山小屋のビールを求め、人々は今日も山に登るのだ。多分ね。

荷運び人

この世にビールがなる木があるなら僕は狂ったように植えまくるとけど、文明から隔絶された山奥でも今のところそんな植物は発見されていない。

標高3000mを超える場所に冷えたビールが存在するのは、あらかじめ誰かが運んできて冷やしておいてくれたからだ。

東南アジア最高峰、マレーシア領ボルネオ島のキナバル山(4096m)において、これを生業としているのがポーターと呼ばれる荷運び人たち。

日本昔話で芝刈り(焚き木拾い)に出かけたおじいさんが背負っているような荷運び専用の道具を使い、肩のみならず腰や頭も使って全身のチカラで下界から生活物資を運ぶ。その重量は時に50kgを超え、人間ほどの大きさもあるズタ袋を背負って細い登山道を何キロも行く。

この光景は壮絶なものがあり、下り道で荷物を背負った彼らに出くわすとそのオーラに圧倒され思わず道を譲らざるを得ない。

くたびれたウェストポーチに人間が生存するための最低限の私物を詰め、高山の強烈な紫外線に焼かれた褐色の額には大粒の汗が光る。

呼吸は深く荒い。喉からかすれ出る苦しそうな吐息でシュー…シュー…と歌を歌っている人もいるけど、命をすり減らして一歩一歩を踏み出すその姿は痛々しくも美しい。

一方、下り道は打って変わって水を得た魚に生まれ変わり、素人が足元を凝視しながらヨタヨタ進まざるを得ない岩場を飛ぶように駆け下りていく。この様にも思わず目を奪われるけど、あまりの脚の速さに5秒もしないうちに視界から消える。おそらく彼らは頭の中に登山道の岩の1つに至るまで詳細なマップを持っているのだろう。

登山道で活躍する荷運び人の姿を見ると、下界の何倍も高いビールに僕はそれ以上の価値を見出す。そしてその味と満足感と言ったら。

残される仕事

でも…21世紀にもなって人間が命をすり減らして荷物を担ぎ上げる必要があるのだろうか。

これこそドローンが得意とする仕事じゃないか。飛行ルートは下界の拠点と山小屋を結ぶ直線に限定され、行く手を阻む高層ビルや鉄塔もない。もし墜落しても下界は鬱蒼とした森。人間と衝突して事故を起こす危険性も限りなく低い。

もちろんヘリコプターで運んだって良い。

実際、日本の山小屋の多くはヘリコプターで荷物を上げている。何100kgもあろうコンテナを吊り上げて慎重に高度を上げる登り、そして小屋で発生した比較的軽いゴミを吊るして谷底にダイブして行く下りの飛行。あれ、ヘリのパイロットは急降下のスリルを楽しんでると思う笑

ここボルネオ島のキナバル山でも、ドローンやヘリを使えばもっと効率的により大きい荷物を山小屋に上げられるんじゃないか。

でもこの疑問は彼らの給料を知って一撃で答えが出た。

荷運び人の仕事は敢えて「残されて」いる。

アイアムアヒーローというゾンビ漫画によるとヘリの操縦免許って難関資格らしい。だからパイロットを雇うには相応の給料を出さないといけないし、そもそもヘリコプター自体が数千万円もする。そしてドローンだって積載重量がデカいモデルは高価だし、メンテナンスに維持費もかかる。

この初期費用は営利法人として銀行から借り入れることになるけど、荷運びの収益性が利子に見合わない可能性もある。

それに比べて荷運び人の給料の安いことよ。

聞くところによると彼らの給料は荷物1kgあたり160円程度。一度に40kg背負って2000mの高度を荷運びしても、得られる対価は6000円ちょいちょいだ。しかもそこから靴や防寒着などの4000m峰で生き抜く費用が引かれる。

さらにキナバル山は入山料を取る国立公園だ。マレーシア政府としては運営を効率化するより現地の人の雇用が大切だろう。失業率は政権の脅威。学歴や専門性がない国民に安定した仕事を与えることはどこの国でも喫緊の課題だ。

そういう意味で体力さえあればできる荷運び人は、人工知能やロボットが人間の仕事を奪う時代でも最後まで「残される」だろう。

ここに21世紀の「労働」の姿がある。

ロボットや人工知能で作業を自動化するよりも、人間にやらせた方が圧倒的に安いのだ。だから21世紀に今後も残り続ける仕事とは、収益性がロボット化するより安い単純労働になる。

これは人間の尊厳に関わるなんとも皮肉な事実だ。