条件付きの自己肯定感でいると職を失って病む

無職になって最初の月曜日がやってきた。

昨夜はサラリーマンの「後遺症」で軽くサザエさん症候群だった。うわぁ明日はもう月曜日か…という突然の発作のあと、あ!そういえば俺って無職だったわw ウハッw みたいな。

ちょっとしたラッキーで少なくともあと2ヶ月はシンガポールに合法的に住めることになり、友達と離れ離れになるのに猶予を与えられた感じ。これでレイオフが決まった当初苦しんだ孤立感が和らいで、今朝はハツラツとした気分でカフェでこの文章を書いている。

無限に自由時間があるって素晴らしい。

たとえ定時で帰れる仕事だったとしても、夜明け前に家を出て夕方に帰宅するとぐったり疲れる。だからアフター5を生産的な活動に充てることができず、何も予定がない日でも家で独りグダグダと酒を飲んで時間を無駄にしてしまう。でも仕事がなければ自分で決めた「やるべきこと」に朝から全てのエネルギーを割ける。

この充実感!

でもそういえば7年前に鬱で日本の企業を退職したときはそれはそれは落ち込んだものだ。好きで始めた仕事から脱落した敗北感、うつ病で身体が思うように動かない絶望感、自分は何をやっても上手くいかないという無力感。

たかが名刺を失っただけで、アイデンティティを構成する土台がガラガラと瓦解してしまった。これは当時の僕が条件付きの自己肯定感で生きていたからだ。

会社にロックインされない

今回は会社都合退職だから会社に僕の能力を否定されたわけじゃないし、シンガポールというチャンスに満ちた国で再スタートを切ることが出来る。それにコンディションは健康そのもの。

でもそれに加えて、今回ポジティブな気持ちで無職生活を始められるのはこの5年間僕が会社にロックインされない方向で努力してきたことが大きい。

例えば勉強をするにしても会社で必要なスキルを学ぶんじゃなく、逆に旬なスキルを学んで会社で使える場所を探した

その結果、会社の仕事が無くなっても手元には話題のプログラミング言語Pythonを書ける能力とLinuxサーバを運用する能力が残った。他にも月に数万円を稼ぐブログのオーナーだし、お客さんに高速WordPressを作ってあげることも出来る。

今の僕にはこの知識を核にして必要な部分を肉付けしていけば良いという方向性、これが大きな自信に繋がっている。やるべきことがわかっているのだから、あとはひたすら手を動かすまでだ。

他にも職場の人間関係とプライベートの交友関係を徹底して分けた。同僚や先輩とは遊ばないし、友達に会社の人間を紹介することもしなかった。そのお陰で会社に出入りできなくなっても「会いたい人に会えない」みたいな問題を抱えずに済んでいる。

僕がもし5年間も社内でしか通用しないノウハウを磨いて休日も同僚や上司と遊んでいたら…今頃は大きな喪失感に苛まれていただろう。会社にロックインされないようにサラリーマン生活をしてきたお陰で、今回は仕事から自己肯定感を守れたのだ。

無条件の自己肯定感

シンガポールでの社会人生活で得られた一番大きい成果は無条件の自己肯定感だと断言できる。

まぁあんなドン底から這い上がったんだ。俺ならきっとこの先も大丈夫。この7年間思いつくままに走り続けてきた。このまま今までどおり突っ走ってれば個性的で面白い人に出会うし、いずれどこか面白い場所にたどり着くさ!という漠然とした安心感。

落ち込むことがあっても、こんな根拠のない自信が常にメンタルの土台を支えてくれる。

つまり僕のメンタルは2階建て。

「企業に頼らないスキルがある俺は大丈夫」「素晴らしい友人に恵まれているから大丈夫」みたいな条件が必要な2階部分は、あくまでも努力したり挑戦する時のエネルギーにする。フリーランスになってやるぞ!ブログのPVを2倍にするぞ!俺ならデキる!だって〜って感じ。

でもメンタルの根底は「きっと俺なら大丈夫さ!」みたいに根拠が必要ない無条件の自己肯定感で支える。

もしスキルが陳腐化したり仲間からハブられてしまっても、この1階部分に退却すれば病むことはない。1階の土台さえしっかりしていれば、また別のスキルと人間関係をその上に積み直していけばいい。

そんなわけで今日から僕は無職だけど安定したメンタルでスタートを切れそうだ。