無職のすゝめ

いやぁ、幸せだ。

早いもので無職になってから10日あまりが経った。発達障害だ鬱だと理由をつけて社会で上手く泳げない僕だけど、シンガポールの米系企業をクビになってそもそも社会で泳ぐ必要がなくなったらブログが書けなくなっちゃった。仕事ダルい労働はクソ。この鉄板ネタが無職になったことにより使えなくなっちゃったんだよね(=^・・^;=)

しかももうね、安寧という言葉がピッタリなやんごとなき日々。もはや何の文句もない。

平日昼間という最も生産性が高い時間を二束三文で企業に売らなくていいのは素晴らしく幸福なことだ。

それに限られたエネルギーのすべてを自分の情熱の赴くままに投入できる。毎日定時で帰れたとしても1日の英気を労働に搾り取られたあとでは本腰を入れて取り掛かれなかったんだよね。だから気の向いた時間にパソコンを持って図書館に行き、調べたかったものや読みかけの本を1つ1つ消化していく毎日はこれまでの人生を取り戻しているようで充実感に満たされる。

生きててよかった。無職さいこー(=^・・^=)♬

寝たいときに寝たいだけ寝られる

それにしても好きな時間に好きなだけ眠れるのが幸福すぎる。

これって基本的人権だと思うんだけど、現代社会で賃金奴隷をやっていると企業が指定した時間に寝起きするのが「当たり前」とされてしまう。これが実に不快だった。僕は睡眠障害があって長らくデパスという精神安定剤無しには寝られなかったし、鬱が酷いときにはフルニトラゼパムという強い睡眠導入剤に頼っていたこともある。

ところが好きな時間に好きなだけ寝られる毎日に放り込まれたら、こんな僕でも自然にグッスリ寝られるんだよね。

朝型夜型の睡眠リズムは遺伝子で決まっているという。そして発達障害の傾向があると夜型遺伝子を持っている可能性が高いと。朝型の迷惑な連中が実権を握るこの不快な社会に無理矢理睡眠のリズムを合わせていたから「障害」とされてしまったのであって、僕が正常であり社会の方が異常だったのだ。

無条件の幸福感という何にも変えがたい価値を手っ取り早く手に入れる方法が「質の良い充分な睡眠」である。しかも睡眠は場所さえあれば1人でできるしお金もかからない。この幸福感を企業に二束三文で切り売りして中途半端なお金を稼ぐなら、その時間でぐっすり眠った方が人生の満足感につながる。

労働とはまさに害。ダメ!ゼッタイ!

お腹がすいたときに食事できる

あと地味に幸福を感じるのは、好きな時間に食事を取れること。

サラリーマンこと賃金奴隷をやっていたときは朝昼晩の食事の時間がキッチリ決まっていた。規則正しい食生活は健康にいいように言われるけど、僕はこれに関して激しく疑問。人間の体調は24時間サイクルでキッチリ規則正しくは動いていない。

少なくとも僕の身体はそうだ。

昼休みまでまだ時間があるのに小腹が空いて要らんもんを間食しちゃう。それでいざランチに繰り出すと食欲がない。とはいえこのタイミングで食べておかないと夕方にまたお腹が空くことになる。だからさっぱり系のものを無理して食べたり。こんな風に食事の時間を限定されることにより逆に身体に負担をかけていた。

無職になってからは腹が空いたら昼間の空いている近所のスーパーに行って、肉と野菜中心の食事を時間をかけて自炊している。そして南国シンガポールの太陽を見上げながらビールを開けてブランチと洒落込む。

この幸福感!

もうね、一生この生活がいい。健康的に知的好奇心を満たされ、疲れたら好きなだけ休息できる生活。これに飽きるなんてありえない。

満員電車のなかでこのブログを読んでいる皆さん!無職はいいぞぉ(=^・・^=)♬