僕にはかれこれ6年の付き合いになる「ウツ友」がいる。
6年前に僕がシンガポールのホステルで時給400円のアルバイトをしていた時、偶然そこに女友達を連れて一夜の宿を探しに舞い込んできたのが彼だった。第一印象としては奥手で大人しめな女性からも信頼されるような、誠実でカネもある駐在員って感じだったんだけど笑
そのホステルはジャランバサールといううらぶれた工場街にあった。
国土が狭く不動産が高騰しているシンガポールにおいて、どんな物件でも家賃が安ければ立地に関係なくビジネスチャンスと捉えられるフシがある。それで当時は古くて汚らしい工場や倉庫を、ホステルやカフェといった洒落たビジネスに改装するのが流行っていたんだ。今では模倣が過ぎて飽和してしまった感があるけれどね…。
夕闇が迫り暗くなった後でうらぶれた工業地区を安宿を求めて彷徨い歩くとは、間違いなくシンガポールを深く知っている人だ。
とはいえ根腐れ駐在員というと、たいてい大したスキルもないくせに海外手当で成金状態にあるに過ぎない。だからたかが3年ほどの任期が過ぎた後は手当がガッツリ削られた日本のつまらない給料で満員電車に揺られ、それでいて自尊心だけはチョモランマな儚くキモいサラリーマンに戻っていく。そういう下らない駐在員はカッページあたりで日本人オンリー&日本語オンリーで日本酒を飲み、ドメドメ日本人よりよっぽど優秀な現地人の悪口を叩いている印象だった。
無能で無益な烏合の衆。だから彼ら駐在員の中にも夜のうらぶれた工場街に女性を連れて踏み込む人がいることに驚いた。
そんな興味から彼とはその後もちょいちょい酒を飲む仲になった。
同情じゃなく共感できるか
でも話を聞くと、彼はもう何年もうつ病に耐えながら仕事を続けているという。そしてもう何回か会ううちにわかってきた彼の性格は、なるほど確かに責任感の強いズバリ鬱になりそうな真面目クンであった。
僕は24歳の時にうつ病と診断され、その後貴重な20代を4年近く棒に振った。
その取り返しがつかない「人生の無駄」に何か意味を見出すとするなら、この社会で上手く泳げない「弱い人」の状況に寄り添おうとする姿勢を学んだことだろう。何を隠そう、それまで僕自身が「ウツは甘え」と信じて止まなかったのだのだから。
「朝起きられない」「何をしても楽しくない」「身体が動かない」「死にたい」
そんなの酒でも飲んでテンション上げればいいんだって!
本気でそう思っていた。
思うに。同じような喜びをその場の雰囲気で他人と分かち合うことは比較的簡単に出来るけど、誰かと苦しみを分かち合おうと思ったらそれに見合う同等の体験が前提として必要なんだろう。それが出来ないなら、負の感情を他人に曝け出すなど愚の骨頂。きっと僕のそんな放漫にバチが当たったんだろうな。僕自身が朝起きられなくなり、身体がこわばってピクリとも動かず、何をしても死にたい「消えてなくなりたい」と思うような状態に堕ちてしまった。
催しても身体が動かずトイレにさえ行けないんだよ。ヤバいだろう。
でもそこから国・仕事・人間関係をマルっと全てリセットして、何年もかけて血反吐にまみれて立ち直った。そうしたら計らずも「メンがヘラってる」と言う人の状況を客観的にかつ主観的に受け入れられるようになっていた。
そんな準備が出来ていた僕のところに偶然現れたのがウツ友の彼だったわけだ。
ウツ友は諸刃の剣
ウツ友の彼に同情したことは一度もない。
新卒から間もなく駐在員生活を10年以上続けてきた彼と、日本で早々に社会人を挫折してゴキブリの如くしぶとく東南アジアで現地採用に甘んじてきた僕。その収入格差は何倍にものぼるだろうし、貯金や金融資産ともなれば…。
そんな違いすぎる前提で浅はかな「同情」をするなど不可能だ。
でも。
彼が感じるツラさ、彼が苦しんでいる状況。そんな彼の話を聴いていると、なんとなく僕の中にも似たような体験のサンプルが存在するんだ。だから彼の話を聴く時、僕のなかにある感情はただただ「共感」である。立っているステージは違えど、同じような困難に向き合い、解決したかはいざしらず、とりあえず乗り越えたからこそ今がある。
そういう苦労話が出来る彼の存在は唯一無二というしかない。そんな関係を異国に居ながら得られた僕の幸運は計り知れない。
ただし。
自力で立てない人間が二人集まったところで、潰しあい共倒れになる可能性も大いにある。これは特にウツ友が異性で、その相手に恋心を抱いた場合に良くある自滅パターンだ。はいはい、経験ありですよ。みんなも注意しましょうね。
具体的には次の3つ。
- 金銭的に頼らない
- 性的な興味を抱かない
- 具体的な支援を期待しない
でも極稀に、支えられる部分だけお互いをユルく補いあうような、安定的な人間関係を作れる場合もある。その鍵は感情的な前提に基づいた「同情」ではなく、自分の体験に基づいた「共感」ができるかによると確信している。要は自立するべきところはキッチリ自立すること。そして、それでも満たされない精神的な「共感」だけを相手に求めること。
困った状況にある自分を、同じような境遇を経験した人に理解してほしい。そして得られたエネルギーをバネに、自力で人生を変えて自分の望む未来を紡いでいくんだ。
共感するには自分自身の体験が前提になる。キヲクに刻まれた苦しみを思い出して、相手の状況に重ね合わせる。そういう豊かな感性を外に出していけば、今まで経験したツラい体験が全て「資産」として効いていくる可能性がある。
そんなウツ友に恵まれたなら、経済的自立を回復して社会復帰する強力なバネになるのは間違いない。