不精な僕はヒゲを剃るのがずっと苦手だったんだけど、シンガポールの中華街にあるフェイシャルサロンに行ったらプロのおねぇさん(60)が綺麗さっぱりツルリん卵肌にしてくれた。しかも眉毛までイケメンにしていただいて。まぁ眉毛だけイケメンになったところで残りの部分とのギャップに苦しむわけだが…。
そんなことはどうでもいいとして。
この還暦のおねぇさんはかなりのお喋りで、内気な僕としては若干会話が面倒くさい。それでもちゃんと対応すれば「若いオトコ割引」を適用してくれるので会話を拾うのに気を抜けない。ツラい…。そこで限りなくどうでもいい息子自慢みたいな話題は速やかに止めて頂き、シンガポール文化とか歴史に関する少しでも興味が持てる情報を引き出す方向で頑張った。
それで話題を変えるフックを探していたんだけど、唐突におねぇさん(60)が「あんた、両親にいくら送ってるのよ?」と聞いてきた。初対面の会話で給料とか家賃の額をきいてくる典型的なデリカシー崩壊シンガポール人だけど、還暦にもなると親への仕送り額を気にする人もいる。
よし、こっから攻めるかな。
愛とはおカネ
シンガポールでは親に仕送りしている若者が多い。
慢性的に住宅難なシンガポールではたとえ借家でも一人暮らしするのが難しく、若者は結婚するまで三十路を過ぎても実家に住むのが普通だ。だから仕送りといっても実家へ払う家賃という意味合いが強いのかと思ってたんだけど。
この還暦おねぇさんは、もう結婚して家を出た息子からも毎月3万円くらい受け取っているという。それに加えて旧正月には親に金一封を送る紅包(ほんばお、あんぱお)という「逆お年玉」文化があって、年間にしたらおそらく40万円程度は仕送りされていることになる。でも彼女自身もまだ働いているし、旦那も自分のビジネスでフルタイム勤務だという。
ぜんぜん仕送りが必要な懐事情でないのでは…。
「愛とはおカネ。あんたも産み育ててくれた親にキッチリ仕送りをしなさい!」
曰く、愛情を示すとはおカネを送ることであり、その額が愛の大きさなのだという。でも独立してからも実家の近くに住んで一緒にいる時間を持ったり、節目ごとに両親を食事に誘って毎日電話をする…。シンガポールの若者はおカネに変えられない方法で両親をとても大切にしていると思うけどな。
「それは家族として当然のこと。愛情を示すことはまた別!おカネよ!おカネ!」
アッチョンブリケ(=^・・^;=)!
親が若者を国に縛る
彼女はちょっと極端な人かもしれないけど、シンガポールで特に僕の親に当たる還暦世代と話すと多かれ少なかれ同じ価値観を覚える。
でも一方でシンガポールの若者が親を経済的に支援できるほど裕福かというと、少なくとも僕の周りの人たちは違う。世界でも有数の金持ち国家であり、一人当たりのGDPは日本を遥かに凌駕するシンガポール。ところが格差が広がった現代において平均値はあまり意味を成さず、実際は一部の超エリートが経済指標をガバチョと引き上げているに過ぎない。
一般的なシンガポール人は慎ましい給料で慎ましく暮らしているのだ。
だからこそ、親が子供に貢がせるこの風習はずっと謎。困窮しているわけでもない親を経済的に支援したために、シンガポールの若者は行動を制限され、結婚を逃していると感じる。
例えば結婚するためには新居となる公団住宅の頭金、何かと物要りな新生活の軍資金、さらに親が工面してくれない場合は挙式や結納金までも積み立てていく必要がある。母親が愛情をおカネだと断言する文化で、婚活女子が男性に求める条件ともなると背筋が凍る。ところが苦労して作った貯金から年間40万円も親に流れていくんじゃ、いつまで経っても結婚資金が貯まらない。すると実家に住み続けるしかなくなる。
これじゃまるで蟻地獄じゃないか…。
しかもそんな家族による高齢者福祉の提供は、シンガポールの社会システムに組み込まれている。例えば高齢親と同居していると税金が減免されたり、逆に親を扶養しないと刑罰の対象になることも…。これは福祉の拡充を政府に求めるエネルギーを国民から削ぎ、身近な家族に負担を押し付けている気がするのだが…。実際、還暦おねぇさんは政府に福祉を求めるという概念が全く無く、むしろ家族が面倒を見ずに政府に頼るのは無責任だと言っていた。
さらに男性は徴兵制があるので40歳になるまで予備兵として毎年のように訓練に参加する義務を負っている。
まさにがんじがらめ。
シンガポール人として生きるのはキツいと愚痴をこぼす友人に、僕は「海外に移住すればいいじゃん、憧れの国とかあるでしょ」などと軽口を叩いているんだけど、あまりウケが良くないフシがある。これは両親と国家システムにがんじがらめにされているため、自分の都合だけで自分の人生を決められないことが大きいのだろう。
シンガポール人、特に男性が背負っている社会的期待と責任を思うと時に気の毒になる。
僕はシンガポールが好きであっという間に6年も住んでしまった。欧州や北米にもそれぞれ合計1ヶ月ずつ滞在した事があるけど、シンガポールほど暮らしやすい国は世界広しと言えどそうそう無い。
でもそれは僕が現地の風習を免除された外国人だからなのかもしれない。