ここ最近、日本の僕の地元より赤道直下のシンガポールの方が涼しくてヤバい。
そんな異常気象にも関わらず、普段どおり野外で部活に勤しんだ子供が熱中症で死んでいるというニュースを読んだ。中には虐待教師が適切な対処を怠った結果として生徒の命が奪われたケースもあり、学校の責任が問われている。炎天下で水分補給を禁止したり、炎天下で野外活動を強制している時点でそもそも狂っている。
でもよく考えると教師って頭がイカれた人が多い職業だよね。
大人になってから子供のころに起きた出来事を振り返ると、学校は明らかに一般社会とはズレた価値基準で動いていた。そのズレが時に生徒を死ぬまで追い詰める。そんな狂った組織を主導している教師という種類の人間に問題があるのは明らかだ。あるいは教師がそのような振る舞いをせざるを得ない、公教育を取り巻く環境が存在する。
今思うに、そもそも彼ら教師は総じてかなり頭が悪かったと思う。とりあえず底抜けに勉強が出来ない。勉強を教えるのが本業にも関わらず。例えば公立中学校の教師が自分の生徒と一緒に模試を受けたら、学年トップの中学生より偏差値が低い可能性が充分ある。
僕が中学生の時、受験勉強に煮詰まって数学教師に質問に行った。公立の学区トップ校を軸にそれなりの私立高校も併願するつもりでいたんだけど、中学の教科書を完璧に理解していれば合格点が取れる公立校と違って私立は捻った問題ばかりを出してくる。このころ過集中を勉強に使えるようになっていた僕は、一夜漬けで教科書を丸暗記してたとえ熱を出しても期末試験で学年5番よりは下がらないくらいの成績を出せていた。これが人生の瞬間最大風速だけどね…。
それでもまともに塾に通っていなかった僕は、私立校にも通用する受験テクニックに疎かった。
とはいえ中学教師に質問に行ったのは間違いだったようだ。僕はその問題を何日もウンウン考えて、その上で質問に来ている。だから教師が解こうとしている道筋が白髪が混じった彼の肩越しに覗いただけでちゃんちゃらマト外れなことはわかる。そもそも出題の意味を理解していない。でもこれは偏差値70くらいの有名私立高校の問題だ。先生と言えど難しいんだろう。
当時はそう思った。
でも。今考えると中学生に数学を教えるプロが、自分に生徒が受験する学校の数学の問題を解けないって異常事態だよね。能力不足で教員免許を剥奪すべきだと思う。その後順当に大学生になった僕が家庭教師として教える立場になった時、この事実に気付いてしまった。あの中学教師は大学生の僕より教えるのが下手くそだったし、中学生だった当時の僕より勉強が出来なかったと。
でもなんであの時、僕は自分より勉強が苦手な教師に反発することもせず、その能力不足を目の当たりにしても「さすがの先生でもこれは難しいんだな」などと自己完結していたんだろう。そもそも中学生にすら学力で劣る教師が、なぜ偉そうな顔して教壇に立っていたのか。
それこそ洗脳じゃないか。
学校は宗教施設
学校という組織は人材の流動性が著しく低い。入学したときの教師陣が、そのまま卒業まで学年を担当する。生徒も生徒で入学したときの同級生とほとんどそのままのメンバーで卒業証書を受け取る。場合によっては小学校から地域の中学校へ持ち上がり、丸々9年間も一緒なケースだってある。
飢饉や疫病が流行るたびに遷都して大仏とか作ってきた民族だ。そんな固定された集団の秩序を保つには「宗教」が有効。
学校には存在意義がわからない無駄な規則が多い。携帯電話を禁止して髪型やスカートの丈を揃えると、いったいどれだけ偏差値が上がるというのか。むしろ進学実績が高い学校ほどこれらの規則がユルいことを考えても厳しい校則の効果には疑問が残る。さらに炎天下で運動するのに水を飲んではいけない、ポカリスエットを含む甘い飲み物は飲んではいけない。そんな生徒の命を奪う危険な規則も存在する。
じゃあなぜレベルが低い学校の校則ほど理不尽に厳しいかというと、教師が威厳を保つためだ。
学校と同じように、宗教にも意味不明な戒律が多い。これを食べるな、これをするな、異教徒の存在を許さない。特に厳しい自然環境で育ってきた砂漠の宗教ほど、義務と禁止事項が厳格なる傾向がある。誤解を恐れずに僕の分析を述べるなら、中東の砂漠で人間が生き残り社会を維持するには宗教を軸にみんなで団結しないと社会システムを維持出来なかったのだと思う。疫病が流行るたびに遷都して大仏をこしらえてきた文明と同じだ。
犯罪を抑制し、労働を奨励し、社会秩序を維持する。宗教は厳しい自然環境の中で政治的指導者に権力を集中し、瞬発力のある意思決定が出来る独裁的な統治機構を作り出してきた。
グソグソ田舎のグダグダ校ほど校則が厳しいのは正に宗教と同じだ。
暴力、色欲、そして怠惰。社会を崩壊させる問題が日々発生する修羅場を統べるには、絶対権力者たる教師に権力を集中して強権的に治めるのが手っ取り早い。
そういう意味で学校とはほとんど宗教施設だ。外界の社会よりもキツい規則を敷き、教師にそれを取り締まる警察権を与えることで力尽くで治安を維持している異常な空間。
でもそもそもの話、宗教化しないと維持できないそんな歪んだ組織がこの21世紀に存在する意味があるのか。
もう学校というハコは要らない
3年前、僕はセンター試験を受けた。
ずらっと並ぶ現役高校生に混じって、三十路のおっさんが冷や汗垂らして問題を解く姿はそりゃ滑稽だったに違いない。でも数年ぶりに見る制服姿のキャピキャピ女子高生を「クソガキ」としか認知出来ず、自分の老いを感じたのが一番ショックだったな。
そんなことはどうでもいいとして。
受験にあたり、僕はスタティサプリというインターネット塾のお世話になった。アプリを開いて自分のペースで学習を進められるサービスで、なんと月額980円だった。しかもその内容が素晴らしい。最強の塾講師を集めたというだけあって、半年真面目に授業動画に沿って問題を解くうちに、模試にもよるけど僕が現役高校生だったときより偏差値が5〜15上がった。17歳より31歳の方が好成績を叩き出したのだから、それなりに誇って良いと思う。
まっ、それでも志望する学部は不合格だったんだけどね…。
ヤバい、ツラい(=^> <^;=)
学校の存在意義は学力の向上以外にないと確信している。学校に社会性や秩序を学ぶ場として意義を見出す人もいるけどナンセンスだ。僕は日本の国公立の教育を小中高大受けたのに、社会性も秩序も身につかず日本社会から脱落したのだから。
組織を維持するために生徒の命を生贄にする学校という「宗教」を廃止すべきだと主張する。もう学力を上げるにはスタディサプリでいい時代だ。協調性みたいなのを身に着けたい下らない連中は、同じく宗教じみたサッカーでもやってりゃいいよ。