違いに寛容なシンガポールは発達障害の概念が希薄

このブログを始めてまだ日が浅いころ、発達障害は多民族国家に移住するとラクかもと書いた。

ジッと座っていられなかったり、マルチタスクが出来なかったり、テンションが上がると声がついついデカくなったり、相手の感情を掴みきれず空気を読めない行動をしてしまったり…。僕の場合はその場の空気とか目の前の相手が自分に要求している行動は結構わかるけど、社会規範よりも自分の欲求や反感を優先してしまい衝動的な行動で相手の怒りを買う。それに調子が悪い日は判断力が著しく鈍り、悪気はまったくないのに周りの人たちの気分を害するような言動をしてしまう。

こういう諸々の困った「症状」は程度の差はあれ、個性的な自我と公の場で「普通の人」はどう振る舞うべきかがキッチリカッチリ決まっている社会との摩擦だ。

当然、多民族国家でも守るべきマナーはたくさんある。特にシンガポールに関しては狭い国土に様々な出自の人たちが暮らしていることから、民族紛争や暴動が起こるリスクがある。だから例えば他民族や他文化を侮辱することは強いタブーだ。これは実際マナーなんて生易しいものではなく、悪質なヘイトスピーチは法律で厳しく罰せられる。さらに経済発展を国是としているだけあって、仕事に関しては日本より厳しく成果を出してしかもそれをアピールしていく必要がある。それを怠ると僕のようにクビになって住み続けることが出来ない。

でもその一方で「人に優しく」「相手に寛容」「違いを受け入れる」といった自分がされて嬉しい振る舞いを普段から周りの人たちにお裾分けしていれば、シンガポールの人たちは「ちょっとヘン」な外国人である僕を暖かく受け入れてくれる。具体的にはやるべきこととその理由を丁寧に言葉で説明してくれたり、実際にやってみせてくれたり。あと言葉で上手く表現できなくても、ジッと辛抱強く僕の話を理解しようと聞いてくれたり。

シンガポールの人たちのこのような寛容さはグローバル化する世界で頭角を表すに相応しい。

僕は心の底から感謝している。

ラクなのは外国人の特権か

「みんな違って当たり前」

いろんな民族がいろんな「普通」を持ち寄っている多民族国家で生きれば、ハミ出るほど強い「個性」がどこの民族の常識にも抵触せず発達障害でも穏やかに暮らせる。僕はそう確信し、実際6年間も毎日その恩恵を噛み締めてきた。

でも脳の先天的な特性である発達障害は、当然シンガポールで生まれ育った人たちの中にもいる。何年もこの国で暮らすうち、そういたシンガポール国内で苦労している発達障害当事者と思しき人の存在に気付いてしまった。

40歳半ばの中華系シンガポール人元同僚氏も「おそらく」そんな発達障害当事者のひとり。

彼が当事者じゃなかと気付いたのはオフィスのトイレだった。

彼は毎朝寸分違わぬ時間にトイレで手を洗っているんだけど、その様子が異様。手を洗い、顔を洗い、メガネを洗い、またまた手を洗う。これを始業時間まで繰り返す。

強迫神経症じゃなかろうか。

そう思って彼の行動を何気なく観察するようになったんだけど、仕事が恐ろしく遅くて毎朝1番に出勤するくせに僕の部署では唯一残業する人だった。そしてミスも多いらしく彼に対する同僚や上司の評判は芳しくない。

というのも相手を貶して自尊心を保つタイプなんだよね。彼と話しているとはっきり言って不快になる。

例えば別の同僚と僕が次の海外旅行について話しているところに唐突に割り込んできて「混雑する時期に旅行に出かけるなんてナンセンスだ」と持論をまくし立てひとしきり満足すると去っていく。

これで仕事もデキないとなると職場で完全に鼻つまみ者になってしまう。

彼の強迫神経症っぽい手洗い行動は、そんな社会との摩擦による発達障害の二次障害かもしれない。

シンガポールは違いに寛容で「変人」でも暮らしやすいと思っていたんだけど、一緒に仕事をしたりプライベートで気に入られるためには一定の振る舞いが求められる。僕が気楽に生きていけるのはどこのコミュニティにも深く関わっていない一匹狼だからなのかもしれない。

発達障害という概念が希薄

みんな違うのが当たり前の多民族国家であっても、現地にもっと深く入り込んで信頼を得ようとするなら日本並みに空気を読む能力が求められる。

しかも発達障害でも気にせず受け入れてくれるということは、逆に言えば発達障害を認知してもらえず必要な支援を期待出来ないということでもある。

実際に彼も職場で単なる「ウザい奴」扱いで、僕が発達障害やアスペルガーに関するWikipediaを見せてもそんな特性が存在する事を知らないし興味も持ってもらえない。何となくひと昔前の日本、僕が子供だった時の状況に似ている。外見から明らかにわからない障害は認知されにくい典型だ。

発達障害を自他共に認識することには大きな意味がある。

蓄積された傾向に対する対策や、社会との摩擦を減らす工夫を利用できるのだ。それに医師の診断が付けば投薬により症状を緩和させることが出来るかもしれない。

シンガポールにも二次障害を発症するほどに苦しんでいる人がいると思われる。彼らが適切な支援を受けられるようになってほしい。