夜毎に天井のシミを見上げて不可逆な孤独を味わう

寝酒は美味い。

お気に入りの磁器カップをロックアイスで満たし、そこに日本から密輸したスコッチウィスキーを注ぐ。

大量の氷と少量のアルコール。

口に含んだ瞬間、強烈なピート香が鼻腔の奥に突き刺さる。ところが2口目からは氷が溶けた分きっちり正確なペースで薄まって、英国領アイラ島秘伝の泥炭層がこのボトルに与えたその個性を確実に受け入れやすくしていく。でもその一方、アルコール度数に反比例して沈んでいた弱い芳香が花開いてくる。だから僕のお気に入りのカップは氷が融けるとともに芳醇になるとも言える。

弱まるピート香と開花する樽由来の森の香り。この香りが織りなすグラデーションこそがウィスキーの嗜みである。

眼を閉じると身体中の粘膜から染み込んだアルコールが今まさに脳関門を通過し、尖った意識をなだめすかしているのを感じる。

今日も1日が終わった。

天井

優美なアルコールにたぶらかされた意識が、ぬったりと粘性を帯びて眠気を纏う。

これを待っていた。

寝酒の本懐は当然寝ることにある。

でも度数の高い酒を煽って意識を強制シャットダウンするような飲み方は下品だ。せっかく酒に頼って寝るなら、その日の記憶が徐々に白濁して理性が弱まり、鈍重に迫り来る睡魔に魂を売るような厳かな儀式としたい。実際、そんな自分が美しいと思える狂気に満ちた儀式を経た方がよく眠れる。

ウツのどん底にいた時でさえ。

僕は南国シンガポールの三階建ての長屋で今夜も眼を閉じようとしている。

この部屋の家賃は5万円。住宅難の都市国家でルームシェアをせずに一人暮らしをするのは難しい。妥協策として見つけたのがこのシェアハウスだったけど、治安の悪い貧民街としての顔をもつインド人街とは言え都心部で5万円というのは格安だ。

その安い家賃の代償としてエレベーター無し、窓無し、ベッドが面積の大半を締める僅か3畳。まさに独房と呼ぶに相応しい場所に住み着くことになった。もはやエアコンをいくら使っても電気代込みという赤道直下最低限のインフラを誇るしかない状況だ。

そんなまさに寝に帰るだけの我が家の硬いマットレスに、こうしてほろ酔いで仰向けに倒れこむのも早いもので丸5年。その2000日に迫る日々を、僕はこうして天井の染みを見上げて毎夜毎夜終わらせてきた。

古今東西、天井にシミが出来るのってなんでなんだろうね。

この物件は3階建てでここは2階。水回りは別にあって、この上も普通に普通に独居房が存在するはずなんだけど。エアコンのダクトも壁伝いだし液体が漏れるような構造はないのにな。

それでも毎年僕の部屋の天井のシミは広がっていく。

悲しみ、孤独、不安…。

まるで三階に住む人が忘れようとしている辛い記憶が脳汁として流れ出し、夜の間に床に染み出して僕の天井で結晶化したみたいだ。

孤独

悲しみ、孤独、不安。

そんな夜に天井のシミを見上げるたび、僕は孤独に浸る。

今は34歳といえどまだ若い。身体も動くし友達もいる。IT関係の知識で必要とされることもあるし、一緒にテニスをしたりカフェでしっぽり語らうような深く気の合う友達もいる。

でもこれが一生続くはずがない。

本当に一生孤独に生き抜けるのか。結婚しなくていいのか。家庭を持たなくて良いのか。老いて身体が動かなくなった時、そばにいてくれる人を探して、追いかけ、繫ぎ止める努力から逃げて本当に後悔しないのか。

睡眠に問題を抱えていない人ならとっくに夢の奥底に沈んでいるであろう丑満時、僕はどうにか寝入ろうとして天井のシミを見上げる。そんな風に答えの出ない問い掛けに向き合うたび、人生の折り返し地点であるこの瞬間にこんなも伸びきった生活をしていて良いのか自問自答する。

いまは選択できる権利を有したまま「俺は選択しない」と強がっているんじゃないのか。近い将来、年齢でその選択権を奪われ「家族が欲しくても作れない」「実家は両親亡き今存在しない」という完全なる孤独の中でも今のように毎日楽しく暮らせる根拠はあるのか。

僕は毎晩寝付けぬ夜をこうして天井のシミを見上げて過ごしている。芳醇なウィスキーに懐柔された淡い意識で。