伝統やマナーをでっち上げて商売している奴は敵だ

ここ最近シンガポールはなんだかずっと煙たかった。

またインドネシアで熱帯雨林を焼き畑しているのかと思いきや、この時期の風物詩、シンガポール発の大気汚染である。

これはハングリー・ゴーストと呼ばれる東南アジアの華人文化で、道端でとにかく紙をめっちゃ燃やす。詳しくは過去の記事を読んでいただきたいのだけど、ハングリー・ゴーストは日本のお盆と同じで先祖の霊魂が戻ってくるイベントだ。ただ日本は自分の家に帰ってきた「自分の先祖」をもてなすのに対し、シンガポールにやってくるのはダークサイドに堕ちてしまったどっかの誰かの霊なのだ。それも地獄からいらっしゃった実刑確定の方々。

華僑文化のお盆「ハングリーゴースト」が今年も地獄にお帰りになりました
シンガポールでゴミをポイ捨てすると高額な罰金を取られることは有名だ。ところがみなさん、信じられますか、これは僕んちの近所の光景でございます。逮捕しちゃうぞ!毎年8月末からの約1ヶ月間、シンガポールの至る所で紙片が散乱し、さらにそれらに火が付

だから敬意よりも恐怖心の方が強くなるらしく、紙で出来たあの世のおカネをお焚き上げしたり食べ物や飲み物をお供えして穏便に地獄へ帰っていただくのだ。シンガポールにはこのために紙で出来たおカネ、御札、他にも紙のベンツやお屋敷まで売っている専門店がある。日本で言えば仏壇とか売っているような場所だね。結構精巧に出来ていてお値段も安くないんだけど、みんな抱えるほどのお供え物を惜しみなく火にくべていく。

しかも実際にハングリー・ゴーストをヴォルデモート卿が如く恐れている人は多く、「名前を言ってはいけないあの人」とばかりに「好兄弟(ハォションディ=good brothers)」と遠回しに呼んだりする。

僕はシンガポール人の友人と毎週テニスをしているんだけど、彼も好兄弟を恐れる1人。

2時間もテニスをしていると、隣のコートのボールが紛れ込み自分のボールもよそのコートに飛んでいってしまう。だから毎度家に帰ると自分のボールが2個くらい減って、逆に見覚えのないボールが2個くらい混じっている。そしてこの時期、彼はこの誰かのボールを拝借することを嫌う。地獄から開放されて街を徘徊している好兄弟たちは、道端に落ちている物に取り付くという。そんなケガレたモノを使ったり家に持って帰ると呪われてしまうのだそうだ。

とはいえまぁ僕は文化圏外のお気楽外国人なので、彼には悪いけど全然気にしていない。

それにシンガポールの人たちが全員がハングリーゴーストを信じているかというと、実はそうでもない。もちろんマレー系やインド系の人たちは我関せずだし、中華系の人たちの中でもキリスト教を信じている人はあまり頓着しないように見える。あと、ありがちだけど若い人たちも熱心にお供えをしなくなっていると聞いた。

まぁ伝統なんてそんなもんだよね。

本来伝統や風習ってやつは社会的圧力に屈して渋々やるもんじゃなく、そこに意義を見出す人だけがやればいいことなんだ。

外国人として外国に住んでいると、伝統や風習が絶対的じゃないことに気づく。日本にいた時は年賀状に返信しないことに罪悪感を感じたし、節分には豆を撒き散らしたり恵方巻きも試した方が良い気がしたんだけど。

それにグローバル化の流れはもう止められない。街に外国人が増えて自国民も外国に流出し、文化の継承者が減って地域性が失われていく。そしてマクドナルドとセブンイレブンに覆われたこの世界はノッペリと均質になっていくのだ。

風習や伝統をビジネスにするな

ところがガラパゴス化著しい日本って、逆に新しい「伝統」や「習慣」が次々と発生してないか!?

ハロウィンとか恵方巻きなんて僕が小学生の時は存在を知らなかったし、クリスマスにケンタッキーを食べる習慣なんて絶対になかった。あと、イベントの後に日本人ならゴミを拾え的なクソみたいな圧力も最近のことだと思う。

僕はこういう「新しい伝統」にカネのニオイを嗅ぎ取って素直に楽しめない。

すっかり太古の昔から行われているように洗脳されているけど、年賀状、お節料理、お中元、お歳暮にしたって、郵便局、デパート、ハム屋なんかが無駄な消費を焚き付けているだけだ。何が無駄だって、油や加工肉を何キロももらっても喜ぶ人より返礼品の心配を始める人のほうが多い。ゴミ拾いにしたって赤服の一派がビジネスに利用している感があるし、土用の丑の日は絶滅危惧種を殺した上に食べずに大量廃棄するイベントだ。

風習や習慣は地域で長いこと育まれてきた歴史の産物にも関わらず、それを勝手にでっち上げて商売の道具にするのは文化への冒涜でしかない。

マナーは風習じゃなく暴力

さらにクズだと思うのがマナー教育を生業にしている連中。

名刺の渡し方や正しいお辞儀の仕方というけど、いったいそれが正しいといつ誰が決めたのだ。日本全国絶対にその作法が正しいと証明できるのか。外国人や外国で育った日本人に対してもそれが正しいといえる根拠は何か。

マナーという名の暴力
僕の海外生活も6年になり、日本の「外国度」が年々増している。たまに帰国する生まれ故郷を「外国」と感じ、そこに滞在する自分を「外国人」と認識する感覚。これは自分の日本人としてのアイデンティティを再発...

僕のような感覚過敏持ちはスーツにネクタイをしめるとそれだけで疲弊して生産性が下がる。同じようにストッキングを苦手としている女性もいるし、化学物質過敏で化粧が出来ない場合もある。そういう人たちにスーツを強要し、肌荒れやアレルギー反応に耐えてでも化粧をさせるのは残酷だとどうして感じないのだ。

きっとサイコパスなんだろうな。

さらに赤ん坊を連れて電車に乗る時はどう振る舞うべきか。公共の場でベビーカーはどのように扱うべきかなんて頭がおかしいとしか思えない。当然電車では赤ん坊と親が過ごしやすいように振る舞えばいいし、他人の自然な振る舞いを見て不快になる異常者が逆に公共の場に出てくるべきでない。

誰かが金儲けのためにでっち上げた「新しい伝統」と根拠なきマナーは社会悪だ。積極的に潰していきたい。