東南アジアの中華系エリートが世界で活躍して土地ではなく「人間」に帰る感覚

今日は中華系インドネシア人の友達の家で日本のカレーを作って食してきた。彼が空港で買ってきたというサントリーのハイエンドウィスキー「響」までご馳走になって、まさに至れり尽くせり。

マレーシアやインドネシア、タイ、ミャンマー、フィリピンには華人が多い。いわゆる「中華系〇〇人」ってやつ。なお、ベトナム人は漢民族ともともと血を分かっている関係で中華系をあまり区別しない印象。

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そんなことはどうでもいいとして。

東南アジアの中華系〇〇人にとって、シンガポールは民族と文化の揺るぎない首都である。マレーシアやインドネシア、フィリピンで卓越して勉強が出来るのはたいてい中華系国民であり、彼らは中学か高校の段階で祖国かシンガポール政府から奨学金を得てシンガポールに留学することになる。

彼らの知的水準に見合う高等教育が祖国には無いんだと思う。

日本でも灘や開成で学ぶエリートたちはもはや東京大学を目指さないという。国を代表するレベルのエリートたちにとって東大のような祖国のトップ校は世界的にはFランであり、従ってオックスフォードやハーバードみたいな英米の世界最高峰を最初から目指すんだって。ふーん。

まぁ…そういう意味では、中華系〇〇人の彼らにとって世界最高峰のオックスブリッジの下に位置するのがシンガポールの国立大学らしい。

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そんな彼らは15歳やそこらで奨学金を得て故郷を離れ、華僑の首都とはいえ慣れない外国であるシンガポールで青春を過ごす。

これは冷静に考えるとすごい話だ。

僕が15歳の頃なんて毎日友人宅でスーファミとプレステ2に明け暮れて、ろくに勉強なんてしなかった。でも彼らはそんな歳で異国に渡り、シンガポール人や東南アジア一円のエリート層と切磋琢磨しながらギリギリのレベルで課題をこなし経験を積んでいく。まさに順風満帆の人生じゃないか。

それはそうなんだろう。

ところが彼らはそのうち帰るべき場所がどこなのかわからなくなるっぽい。

僕も海外生活が7年目に入り、祖国日本を外国のように感じる感覚を理解出来るようになった。国体や民族社会はものすごいスピードで変化している。流行りの言葉、新しい制度、自分が共有していない暗黙のマナー。テレビをつけても知っている芸能人は誰一人おらず、そういう何気ない疎外感から祖国を外国のように感じるんだ。

それを思春期から味わっている彼ら。

シンガポールに留学してこの国に定住している中華系〇〇人が、祖国を遠く感じる感覚はなんとなく理解できる。

人間に帰る

そんな祖国を遠くおもう感覚は、時に強みでもある。

その実、シンガポール人をはじめこの国に集まってきた中華系〇〇人たちは、文字通り世界をまたにかけて活躍する。そのエネルギーは時に意識を土地に縛られていないってのはここまで強いのかと思うほど。

シンガポールの国立大学を卒業してから現地で就職する。そして奨学金の義務を果たし、その後はニューヨークや世界随一の都市でトレーダーや銀行員としてエリート街道を突き進む人たちが少なくない。

でもその一方で彼らは家族をとても大切にする。

今日カレーを一緒に食べた中華系インドネシア人の彼も「結婚するなら母親を愛してくれる女性」と明言して止まない。個人的感情よりも家族の一体感を重んじるのだ。

僕は彼を単に情が深いというだけには思えない。

彼らにとって祖国の家族や、現地に根をおろしている同郷の仲間こそが帰る場所何だろう。祖国の物理的「土地」ではなく。

彼らの自我を形成している幼い記憶、彼らが思う遠い祖国の追憶。そんな言葉で説明できない繊細な感覚を共有するために彼らに必要なのは、ナショナリズムではなく価値観を共有できる生きた人間なんだと思う。

帰る場所は土地ではなく「人間」なのだ。

住宅難のシンガポールでは自分の都合に関係なく度々引っ越す必要がある。大家が親戚に部屋を貸すことにしたから出て行けなど日常茶飯事。そんな理由を明らかにされるならまだ良い方で、いきなり家賃を釣り上げられて追い出されることもあると聞く。だから僕は大家を信頼できないHDBには住まないことにしているんだけど…。

なんにしても、中華系〇〇人たちは同郷の仲間と家をシェアして、引っ越す必要が生じたら一緒に引っ越す。

いわば疑似家族みたいな感覚だ。

これが彼らの強みだと思う。民族的なつながりを軸にして、見知らぬ異国に帰るべき場所「人間」を作ってゆく。

無職になったけど祖国日本に会い慣れない僕は、世界規模で「迷子なう」である。そんな僕が彼ら中華系〇〇人から学ぶことは多い。

人には「ただいま」と言って安心する場所が必要だ。それを土地ではなく人間に見出している彼らから今日は多くを学んだ。