僕は異国を訪ねると必ずスーパーマーケットに寄る。見慣れない食材や肉屋野菜果物の物価、店の内装なんかが地元の庶民の暮らしぶりを如実に表していて面白いんだよね。
そして異国のスーパーでもうひとつ見逃せないポイントが「労働環境」である。
ラグビーで大学に入った脳筋人間が首相にまで上り詰める日本とは違い、多くの国はもっと学歴社会。そんな国では学齢期のどこかで、その後の人生を決定づける大きな試験を突破しないといけない。
例えばシンガポールの小学校卒業試験PSLEや大学受験資格に関わるOレベル、フランスのバカロレア、英国ホグワーツ魔法魔術学校で行われているOWL試験みたいなやつだ。そしてこの試験に向けた勉強をサボっていると、親に口酸っぱく言われるのが「将来スーパーマーケットでレジの仕事しか出来ないよ!」というのも学歴社会の国々に共通していると感じる。
つまりスーパーマーケットのレジ打ちっていうのは世界的にみて「誰でも出来る仕事」の象徴であり、実際レジ打ちに従事している人たちの態度や表情を見ればその国の労働環境を漠然と推し量ることができると僕は考えている。
例えば日本なら過剰なまでに丁寧にテキパキ仕事をしている一方で、その横の壁に張られた求人情報には都道府県の最低賃金がそのまま掲示されていたり。ここから完璧を求めるくせに給料が安い日本の真っ黒な労働環境が透けて見える。
一方、ドイツやオランダではローラー付きの背もたれがついた椅子に座り、コンベアで流れてくる商品を堂々とした恰幅の良いおばちゃんがスキャンしている姿が印象的だった。企業の社会貢献が重要なマーケティング要素になるヨーロッパらしい。低賃金で労働者をこき使ったらブランド価値に傷がつくのだろう。※ただし移民はしばしばここにカウントされない…。
東南アジアの国々では基本みんなダルそうにレジ打ちをしている。「袋入れる?(めんどいから入れないでよ!)」みたいな。そういう国はぶっちゃけあまり発展していなかったり、単純労働を移民に過度に依存していることが多い。
まぁなんにせよ、所変われどレジ打ちが非熟練労働者向けの低賃金職であることは変わらない。
それでも椅子に座りながらベルトコンベアに乗ってくる商品をJANコードでスキャンするだけの国もあれば、スマホゲームをチラ見しながらダルそうに袋詰する国もあり、そして立ったまま大声で商品名と点数を高らかに宣言してから金額を手打ちする国もある。そういう国のスーパーマーケットには無論コンベアなんて装備されておらず、女性でも商品満載の重い買い物カゴを持ち上げなくてはならない。
アレって閉店後に売上と残金が合わないと差額を給料から引かれるらしいね。それを聞いたとき僕はレジ打ちの仕事さえ出来ないんだと絶望したもんだ。
この労働環境の違いはどこから来るのだろう。
技術を拒む者
うつ病になって仕事を失い僕が最初に飛んだ海外はフィリピン、セブ島だった。コツコツやってきたSkype英会話の先生が、HIKIKOMORIをやってた僕を半ば無理やり呼び寄せてくれたんだ。
そして降り立ったセブマクタン国際空港。
ところが預け荷物が待てど暮らせど出てこない。どうやら空港のベルトコンベアが全て壊れているようで、前の日本便の乗客たちも不安そうな表情でターンテーブルの周辺に立ち尽くしている。
そこへ現れたのは屈強な荷物運び人の男たち。
褐色の力強い両腕にデカいスーツケースを2つも抱え、なんと人力で数百個の荷物を捌くつもりらしい。実際ものの15分くらいで僕のデカいバックパックも運ばれてきた。その男たちの身のこなしには慣れを感じるし、ホコリが堆積しているターンテーブルはなんだかもう長いこと壊れているっぽい。ヤバい(=^・・^;=)
その後自分の荷物を受け取るとき、僕は身につけたばかりの英語を試してみたい衝動に駆られた。それで「どうしてコンベアを直さないんだ」と聞いてみたんだ。たぶん…通じたと思う。でも彼は質問に応えずギロリと一瞥されただけだったんだけど、でもその目から僕は彼の強い意志を感じ取ることが出来た。
「そしたら俺の仕事はどうなる?」
フィリピンを発展途上国だと思って見下すなかれ。日本もまったく同じ状況に陥っている。
さっきのレジ打ちの仕事が無駄に肉体労働で非効率なのは言うに及ばず、他にも例えばゴミ収集の仕組みもものすごく立ち遅れていると感じる。
シンガポールや欧州の先進国のゴミ収集車にはトランスフォーマーっぽいロボットアームが付いていて、ボタン1発でゴミ箱を引っ掛けて中身のゴミを取り込んでいく。しかもそのロボットアームは持ち上げたゴミ箱をフリフリして、こびりついたゴミまで残さない仕様。ヤバいカッコいい(=^・・^=)! あれはめっちゃ少年の好奇心をくすぐる。
だからゴミ収集車のロボットアームで掴めるようにゴミ箱のサイズや規格も街で統一されているし、それにプラスチックの重い蓋がついているので猫にゴミを荒らされる心配もない。ゴミを出す市民の側に立っても、ゴミ箱に入りさえすれば市指定のゴミ袋などに入れる必要がないのも効率的だ。
アレなら腕力が衰えてもゴミ収集の仕事を続けられるし、直接ゴミに触れる必要がないので怪我をする危険性も低くなる。
そんなの文化や習慣の違いであり、どうでもいいと思うだろう。
ところが自分が高齢になったり不慮の事故や病気で軽度の障害を抱えた時、日本ではもう一撃で働けなくなってしまう。日本の労働環境は心身ともに「超健常」じゃないと一切仕事を得られない非常に厳しい場所だ。
これが椅子に座ってベルトコンベアで流れてくる商品をスキャンするだけなら、例え脚が不自由になってもスーパーマーケットのレジ打ちなら問題なく仕事をこなせる。これは大きな社会的セーフティネットなんだ。
向上心のない者はばかだ
じゃあどうして我が祖国日本では労働者が働きやすくなる方向で新しい技術が取り入れられないのだろう。
それは、仕事にしがみつく「老害」が意思決定権を握って放さないのが原因だと僕は考えている。
紙の書類を廃止してiPadで打ち合わせする仕組みに反対する。Excelマクロで事務作業を自動化することに反対する。障害者が働きやすい職場にするのではなく、障害者に対して既存のやり方に適応するよう強要する。
仕事にしがみついた老害は自分がよくわからない新しい技術を取り入れることを拒み、学ぶことも拒否する。それだけならまだしも、自分がやってきた旧態然に固執して新しい技術を潰す。
彼らは日本社会をダメにし他人の幸福まで奪う極悪人。夏目漱石の口を借りるまでもなく「向上心のない者はばか」だ。
積極的に潰していきたい。
そしていつの日かロボットアームでゴミが回収され、歳をとっても障害があっても生き生きと働けるカッコいい日本を僕は見たい。