燃やせ

お客様…!

深いグレーのスーツに身を包んだサラリーマン風の男が20枚入りの葉書を内ポケットに入れた。大手雑貨店で文房具売り場を2年も担当すれば、お客のちょっとした仕草から万引きを狙っている人物を特定できるようになる。それで彼の後を何気なく尾行していたんだ。

「は?普通に買おうと思ってんだけど。金払えばいいんだろうが、あ?」

購入前の商品を内ポケットに入れる行為は万引きです。既に警察には通報済みです。守衛所まで一緒にお連れいたします。

「はぁ?ふざけんじゃねぇよバイトの分際で!」

田舎とはいえ大手デパート系列の雑貨店ともなると、月によっては万引き被害額が10万円を超える。だから僕みたいな「アルバイトの分際」を含め全従業員に緊急時の通報ボタンが支給されていて、このボタンを押せば守衛所が即座に警察へ通報し、警備員としての訓練を積んだ保安担当者が現場へ駆けつける仕組みが完成している。残念だったな、おっさん。

実際今日も初老とはいえ身長180センチはあろう屈強な警備員が即座にやってきて、ネズミ色のスーツ男は言葉もなく脇を抱えられ最上階にある「取り調べ室」連れていかれた。警察に引き渡すまで外から施錠できるあの部屋に軟禁されるのだ。

年賀状と暑中見舞いの季節には泥棒が増える。官製葉書は換金出来るからだ。もちろんキャラクターモノの年賀状20枚入りなんて盗んでも数百円にしかならない。それでもちゃんとした身なりの大人による万引きがこうも毎日絶えないのは、この国の不景気を如実に物語っている。

あの泥棒サラリーマン。駅向こうにあるチケットショップで現金化して今夜は牛丼でも食べたかったんだろうか。

∞∞∞∞∞∞

日常。

変わらぬ平和な毎日ほど残酷なものはない。以前捕まえた万引き犯が警官と店長の前で涙ながらに戒告するのを僕は通報者として傍聴した。その時に本能的に日常は残酷だと思ったんだ。

「犯罪であることは理解しています。申し訳ありません。生活のためでした。もう…限界なんです…。」

生活のため。愛する家族の「日常」を守るため。彼は食費に当てていた月1万5千円を夕食を削ることで節約し、浮いた金額を家族の銀行口座にこっそり戻していた。それでも家計はどんどん苦しくなる。幼い息子が保育園でもらってきたインフルエンザをこじらせた時など、全額自己負担の入院費を払えず妻に深夜残業と偽って交通整理のバイトを掛け持ちした。派遣社員として働く彼の雇用主は、彼の扶養家族を健康保険に加入させていなかったのだ。

「そんな懐事情でよく結婚なんてしたな」

腕組みをしながら聞いていた店長が、彼と同じ年格好の万引き犯に対して不躾に言い放った。40手前の店長にも幼稚園に通い始めたばかりの息子がいるはずだけど、同じ父親として同情する余地はないのか。こんな田舎では三十路も後半になって結婚するのはかなり遅いほうだ。大手デパート系列の正社員とはいえ、この街で小売店の給料などたかが知れている。あながち彼だって店長に抜擢された勢いで結婚に踏み切ったクチだろうに。

さっき僕が出したお茶をすすりながら警官も神妙な顔で頷いている。警察学校から駅前の交番に配属されたばかりだという彼の顔にはまだ幼さが残る。丸刈りにした頭とよく日に焼けた肌。警察の制服を学ランに変えたらきっとまだ高校生と言っても通るだろう。万引きが発生する度に使い走りによこされる彼は、僕みたいなアルバイト店員の間で「野球部さん」とか「球拾い君」と呼ばれている。

新米巡査の彼には毎日のようにご足労願っているので大きなことは言えない。でも長年にわたる派遣社員の血がにじむ苦労を、公務員の若造に踏みにじられる中年の万引き犯が僕には不憫だった。

「家族を持ったのは…そうですね。こうなってしまった今や、おっしゃる通りとしか…」

いつもと同じ仕事。いつもと同じ実績。派遣社員とは言えパフォーマンスを5年も維持しているのはすごいことじゃないか。そう思いようやく自分の仕事ぶりに自信をもって地元の女性と結婚。ところがようやく生活が安定して子どもが生まれた途端に雇い止めにあった。

表向き業績不振ということにされたが、実績は僅かながら前年度を上回っている。派遣社員の正社員登用が法律で義務付けられたことにより、彼はまるで消耗品のように使い捨てられたのだ。

「あぁ…。あれな。」

店長がそう唸って視線をそらした。この地域の景気は元から落ち込んでいたのだけど、そこへさらに地震が追い打ちをかけた。幸い内陸なので津波の被害は免れたのに、若者は次々と都会へ出ていく。それで失業者のチャンスが増えたと思ったら、空いた働き口を埋めたのは最低賃金の半額で働く外国人労働者だった。だからここで暮らす者であれば親類や友人に職にあぶれたヤツがごろごろいる。

僕や店長に限らず、こんな話を聞いたら明日の我が身が不安になるのだ。

その後、彼は必死で転職活動に励むも面接まで進めるのは短期の派遣ばかり。とはいえ家族の生活がある。それ以来、彼は派遣社員として各地の工場で組み立ての仕事を転々としてきた。

しかし日常の残酷さとは目に見えぬ「ジリ貧」にある。明日も今日と同じような何も変わらぬ平和な1日がやってくる。それは正しい。ところがその実、少しずつ少しずつ、目には見えない微かなスピードで大切なものが握り込んだ指の間からこぼれ落ちている。そしてふと気づいた時、地道に紡いできた日常の旋律が一挙にして瓦解する。

彼にとってはそれが今日だったらしい。

5年に渡る彼の涙ぐましい努力は地方都市の経済システムでことごとく空回りし、文字通り満足に食事することさえままならなくなった。そして遂に空腹に耐えかね万引きに手を染めた。

彼の戒告に僕は思わず涙がこぼれた。

ようやくここに来て店長にも感じ入るものがあったのか、結局球拾い巡査と奥で話して被害届を出さないことに落ち着いた。

∞∞∞∞∞∞

澄んだ空気、抜けるような青空。平屋ばかりの町並みの向こうには真っ白い雪を冠した奥羽山脈の峰々が連なる。工作少年だった僕は東北のこの街で生まれ育った。

こうして自分の街を形容するとき自然環境が真っ先に来るのは、さしあたり取り上げるべき人工物が無いからだ。

21世紀になってようやく駅前が再開発され、この街にも東京から有名店が進出してきた。でもそれこそ僕が子供の頃なんて、駅の周辺には戦中から野放しになってきた闇市のバラックがそのまま残っていた。そんなベニア板とトタンで組まれた「繁華街」はとても子供が遊べるような場所ではなく、僕は学校の校庭か家の中で遊ぶことを強制されていた。

でも工作が好きだった僕にとってはそんな田舎町も全然苦じゃなかった。

幼い頃はNHKの子供向けの工作番組に夢中で、キラキラしたセロファンが巻きつけられている針金でモビールを作った。小学校に入ると色とりどりの紙テープを爪楊枝に巻きつけて樹の年輪みたいなコマを作ったし、高校生になっても美術部に入って体育祭の横断幕や文化祭のゲートを作った。

そんな僕は昔ながらの文具店に小学生の頃から入り浸っている。駅前の「バラック街」で子供が唯一出入りを認められていたのがその文具店だったんだ。

その店には幼い頃から僕に良くしていくれるオヤジさんがいて、左手の小指と中指がないところを見るとマトモな出自じゃないことは明らか。でも足を洗った後はここで文具屋を興し、真面目に地域の学校から受注を取って学用品や上履きなんかを卸していた。

ウチは貧乏だったから結局実家を出るまでディズニーランドには連れて行ってもらえなかったけど、工作が大好きだった僕にとってあの文房店はまるで東京のテーマパークのようにキラキラしていたんだ。色とりどりの画用紙、ラメの入った液体のり、高校生になってもブルーインクの万年筆とセピア調の原稿用紙に憧れたもんだ。しかも小学生だろうが高校生だろうが、ちょっと背伸びすれば全ての商品を小遣いで買うことが出来る。

あの店にいると創作意欲がふつふつと湧き上がってきて、今度はこの材料でこんなものを作りたいとウズウズしてくるんだ。そんなガキの戯言にも関わらずオヤジさんは滔々と僕の話を聞いてくれ、そして店の奥間から納入業者のカタログを引っ張り出してはこの街にまだ入ってきていないわずか数百円の品物を東京から取り寄せてくれた。

あれから10年以上経ち頭がすっかり真っ白になり若い頃より痩せてしまったけど、今でも彼は僕にとって憧れの存在だ。文房具に夢を見る僕の原点は常におっちゃんの店にある。

ま、おカネがあれば美大なんかに進学したいなんて考えた時期もあったけどね。でも身の丈ってヤツだ。いつしか僕は子供の創作意欲を掻き立てるような文具店をもち、商売の傍らで自分の作品を細々とでも世に出すような未来に憧れるようになった。

今でも文具屋のおっちゃんの背中が遠くに見える。

∞∞∞∞∞∞

そして時が経ち、東北の地方都市とはいえ今や新幹線だって止まるちょっとした街になった。

3年前再開発された駅ビルに大手デパート系列の雑貨店が華々しくオープンした時は、ローカルテレビ局が取材にやってきたりずいぶんと話題になった。学生や仕事帰りの女性でごった返した店内に、高卒後しばらくしてからオープニングスタッフとして働き始めた僕は胸が高鳴った。文房具と共に育ってきた僕にとって、こんな地元の田舎町で自分の生き方に沿った仕事ができるなんて。

ところがしばらくして状況は一変してしまった。郊外の幹線道路沿いに超大型のショッピングモールが出来たのだ。田舎の人はクルマ移動が基本だから、駅前一等地という強みは東京ほど生きない。しかもそこに百円均一の有名チェーンが入居したもんだからチェックメイト。僕の店の売上が2桁減するのは時間の問題だった。

当然僕も百円均一の開店と同時に偵察に赴いた。

でもなんてことだ。結果は僕自身が2000円分も売上に貢献して終わった。

僕が子供の頃にあんな店が近所にあったらどれだけ興奮しただろう。そこに親身に相談に乗ってくれる文具屋のおっちゃんはいない。でも東京と同じ商品が始めから全て揃っていて、しかも自分が買いたいものを我慢せず100円で何でも買える。消しゴムだろうが紙テープだろうが、なんでも。

文房具を売っている僕がそんな調子なんだ。もはやほとんどの客は文具に安さしか求めない。僕は小学生のころに貯金して買った布切りハサミを今でも愛用しているけど、そんな人は完全に少数派。子供に買い与える親としても、文房具など学校を卒業するまで壊れなければそれでよいのだ。

そのころから僕の店は売上が下がるだけでなく、万引き被害額も際立って増えていった。いわばダブルパンチ。それはもはや文房具など無価値なものは持ち去って当たり前と認知されてしまったようで、僕は心を潰した。

でも出来る限り手を尽くすべきだ。僕は店長にそう訴えた。

「そうだな。本部に掛け合って防犯カメラを増やそう」

万引き犯が「取り調べ室」に連行されると、警察官の到着後に防犯カメラと照合しながら簡易の実況見分が行われる。そこには犯人が商品を手に取りカバンやポケットに突っ込む瞬間が鮮明に記録されており、それを目の当たりにするとイキがったヤンキーであっても「ちょっとした出来心で…」などと探偵アニメの犯人が如く素直に罪を認める。ところが万引きの玄人ともなると、こうした防犯カメラの死角を熟知しており、さり気なくそこに移動してから犯行に及ぶ。その状況で「別の店で買った」などと言われると、店側としても万引きを立証するのが難しくなる。

だから防犯カメラを新設して死角を潰すことは大きな抑止力になる。さらに店長が所轄の警察署に協力を仰ぎ「球拾い君」が毎日夕方に巡回してくれるようになった。

それでも万引き被害額は増えるばかり。郊外にショッピングモールが建ってから1年もするころには毎月の万引き被害額は毎月コンスタントに10万円を超え、細る店舗利益を驚異的に圧迫するまでになった。

そしてその状況に対して大手デパート系列の経営母体が取った対応は、僕らに対する事実上の残業代未払いだった。

∞∞∞∞∞∞

今後、開店から閉店までしか時給が発生しない。しかも先月分の残業代は未払いになる。そんな噂がまたたく間に広まった。店内に飾るポップを作ったり販促品を設営したり、雑貨屋には閉店後に行う作業が多い。特に最近はみんな遅くまで万引き撲滅に知恵を絞ってきた。だから僕ら従業員は閉店を待って店長に詰め寄った。

「到底納得できません!」

彼は薄暗い店内に集まった従業員を見回して、いつもと違う憔悴しきった声で語った。

「すまない…。今日の営業会議で本部に押し切られてしまった。みんなには本当に面目が立たない。15ヶ月連続の予算未達。本部が突きつけてくる予算ラインに辛うじて近づくのはウチじゃ年末商戦だけだ。一部の店舗じゃハロウィン商戦とか浮かれているが、あんなのは東京の奇祭だしな。それで…この状態が続くとこの店舗の存続すらも…そう長くないと…。」

息を呑んだ。

さらに食い下がる者もいたが、ほとんどはこれで静かになってしまった。田舎だから特に若い女性にとって小洒落た雑貨店で働いていることは一種のステータスになっている。それに僕を含めみんな商品に愛着をもって働いている者ばかり。だから店そのものが無くなってしまうという見通しは、残業代が未払いになることよりもショックが大きかった。

なんだこれは。誰が悪い?いったい何がおかしいんだ。

僕は文房具が好きだ。だから文具を売ることを仕事にして情熱をもって働いてきた。その結果がこれだ。いや僕だけじゃない。この店だけじゃない。あの派遣のおっさんや泥棒サラリーマンだって、多分、きっと、自分のやるべきことを精一杯やってきたんだと思う。それなのに仕事を続けることがままならなくなる。慎ましく暮らしていくことさえ難しくなる。そして遂には食事を切り詰めるところまで追い込まれる。

でも職を失う恐怖の次に僕の頭を支配したのは、この社会システムへの疑念だ。

情熱をもった店員が愛着のある商品を売っている店が潰れ、塑像濫造された安かろう悪かろうを商品知識に乏しい素人が売る店が儲かる。いや、今は儲かっている。きっとネット通販みたいな新たな脅威がこの街にも遠からずやってくる。そしてより効率を重視した商売に、より人の心が通っていない商売に取って代わられる。

駅前再開発で潰された、おっちゃんの文具店のように。

それが資本主義なのは理解できる。でも地方経済をここまで疲弊させ、生まれ育った土地に慎ましく暮らす僕らを食い詰めるまで追い込むなら、それが何であろうがクソ食らえだ。

まだだ。僕がやるべきことをやろう。

閉店の可能性を示唆され士気が下がった従業員たちは、しばらくコソコソ立ち話に興じるも終バスの時間に従って三々五々帰宅していった。結局「バイトの分際」で会社組織に抗う奴なんてそうそういるもんじゃない。僕だって一矢報いてやろうってんじゃない。

でも、何かがおかしい。そこを今夜明らかにしてやる。

僕は完全に明かりが消えた従業員用のトイレに篭り、息を潜めた。

∞∞∞∞∞∞

22時に1階のファストフード店が閉店すると、警備員が巡回して全てのテナントを施錠する。その後は翌朝5時半に飲食店のスタッフが出勤してくるまで、この駅ビルは完全に無人になる。

店の防犯カメラを自分で確認するならこの時間帯しかない。

防犯カメラの映像を再生できるのは警備員室と、警察が万引き犯の実況見分を行う「取り調べ室」だけだ。警備員室は当然深夜でも入ることが出来ない。でも外から施錠できる「取り調べ室」なら、鍵を確保してある。泥棒サラリーマンをしょっぴいた時、球拾い巡査が挿しっぱなしにしていったヤツだ。

警察官が巡回するようになってから明らかに万引きの検挙数が下がった。にも関わらず被害額が減らないのだとしたら、それは巧妙なプロの犯行だ。でもカメラに撮られていない死角は店内にもはや無い。僕ら店員が見逃したとしても、ここのカメラには確実に記録が残っている。

僕は「取り調べ室」に忍び込むと6台ある監視カメラの映像を1画面に表示し、4倍速で再生していった。万引きの場面が写っているならこのスピードで見ても気付ける自信がある。空が明るくなる前には数日分の記録を確認出来る筈だ。

でもそうやって2時間も経った頃、僕の心にモヤモヤしたものが立ち込めてきた。これで丸1日分の映像をくまなく見たわけだけど、店内はやっぱり平和そのものだった。たまたまこの日は窃盗犯が来なかったのだろうか。本当にそうだろうか。まさか…。

僕のなかで今まで必死に考えまいとしてきた疑念が確固たる確信に変わっていくのを感じた。まぁ…正直に言うと薄々勘付いていた。だからわざわざ深夜の忍び込んで防犯カメラを見ているんだ。

実は防犯カメラの死角はまだある。バックヤード。搬入された在庫を仕分けして保管する、お客からは見えない奥のスペースだ。

内部犯…。

∞∞∞∞∞∞

僕は監視カメラのシステムをシャットダウンし、外から施錠し直した。そして非常階段を下って従業員用の通路から店舗の裏にまわった。真っ暗な店舗に避難経路を示す緑色の光が滲んでいる。

その奥のバックヤードから青白い光が漏れている。誰かいる。音をたてぬように注意しながら、僕は部屋を覗いた。1人の中年男が在庫管理のパソコンの前で背中を丸めていた。

店長…。

「あぁ、君か。」

店長は虚ろな目で僕を見上げた。落ち着いていた。目の隈と無精髭が目立つ。前髪の薄さが頼りない。ここ最近、一気に老け込んだように見える。

「うん、俺なんだ。言い訳する気にもならない。俺なんだ。」

正直に言うと、そうだと思っていた。防犯カメラに現場が写っていないのだとしたら、万引きは数字の上で行われている。在庫を水増し発注して差額を懐に入れる。すると売上と合わない分は万引きということになる。だけどそのためには帳簿を改ざんしなければならず、それが出来る人物はここには店長しかいないのだ。

「もう…限界なんだよ。」

知っています。

「店長なんて言えば聞こえは良いが、店で唯一の正社員、みなし管理職ってやつだ。時給に換算したら君らアルバイトよりも薄給だ。それで15ヶ月連続予算未達。毎週営業会議で詰められる。

被害届出さなかった万引きあっただろう。晩メシ切り詰めてたあの草臥れた男だ。あの話を聞いた時これだって思って。俺もあれから家族に金を戻しているんだ。」

帳簿を改ざんしたカネを。

「そう。

最初は数百円。それから徐々に額を増やして…。

営業会議の前は経理のチェックが入る。だから来週分は会議の直後にこうして忍び込んでデータを書き換えないといけない。もう慣れたもんさ。盗まれそうな商品を少しずつ水増していくんだ。

ここまでしても。家じゃ子供を私立小にやりたいと嫁から詰められる。もう…限界なんだよ。」

それでもあなたは従業員を裏切り、会社も裏切り、結果家族も裏切ったんですよ。

「当然、覚悟は出来ている。こんな幼稚な方法だ。見つかるのは時間の問題。でもその日まで。家族にもこの店も君らにも、いつもと同じ日常でいてほしかった。」

握り込んだ指の隙間から透明な砂がサラサラとこぼれ落ちていく情景が頭に浮かんだ。

店長。ここ、燃やしませんか。

それまで青白いパソコン画面を見つめていたかれは、彼はうつろに僕を見上げた。その目が、どういうことだと言っている。

無かったことにしませんか。ここも、僕らも。覚悟は出来ているんでしょう。

そういうことかと、彼は大きく息を吸い込んだ。その長いため息には決意の色が見てとれた。店長は力なく立ち上がるとフラフラと歩き出した。開店以来この店と過ごしてきた日々、家族への愛情が彼の背中に重くのしかかっているのが見える。それは僕とて変わらない。僕は文房具が好きだ。でも文房具を売ることで人が不幸になる。地域が貧しくなっていく。

ここに日常はもうない。もう戻ってこない。

僕たちは高級ライターのショーケースを解錠し、中で保管されていたジッポオイルを在庫全て売り場に撒き散らした。終始無言だった。

そして一瞬視線があった次の瞬間、お互いのライターで火を放った。