2008年。リーマンショックで派遣切りの嵐が吹き荒れたころ、ネットカフェ難民というキーワードがメディアを賑わせた。時を同じくして大阪の個室ビデオ店が人生を悲観した客に放火され16人も死亡する事件が起こり、ネットカフェを始めとする個室スペースで寝泊まりしている生活困窮者の存在が世に知れ渡ることになる。
その後徐々に調査が進み、彼らの数や生活実態が明らかになった。
それで犯罪防止の観点からも福祉に取り込むかたちで支援するのかと思いきや、身分証提示や年齢確認の厳格化など困窮者の排除に向かったのは実に日本らしい。
あのあと彼らはどこへいったのだろうか。
とはいえ僕はそこまでの困窮状態に陥ったことはない。せいぜい帰国した時たまにネットカフェで夜を明かすくらいだ。
まぁシンガポールで普通にサラリーマンしていたわけで、帰国した時くらいはちゃんとしたホテルやせめてホステルに泊まればいいんだけどね。でもさ、ホテルって予約するのが果てしなくダルいんだ。半角だ全角だハイフン入れるなとか、嫌がらせのパズルみたいなフォームを埋めないといけない。あの手の入力フォームを僕は一発でクリアしたことがない。盛大に真っ赤になるね。出血大サービス。あとチェックアウトする日まで選択しちゃって料金を多く取られたり。
それに予定っていうのは変わるもん。しかも指定した到着時刻に間に合わないかもしれない。そんな諸々を心配していると折角たまの日本で過ごす夜にそわそわしてしまう。ホテルはいい加減な人間にはハードルが高すぎる。早急になんとかして頂きたい。
でも大丈夫。日本には予約なしで泊まれてネットカフェよりもっとちゃんと寝られる快適なサービスがある。
都会の激安カプセルホテルだ。
オッサンのセーブポイント
カプセルホテルって、客もスタッフも全員疲れている気がする。
なんていうか、やつれている。スタッフは全然寝てなさそうな腫れぼったい目をして、しかもサービスマンとしてはちょっと髪が乱れていたり。客も客でヨレたスーツに覇気のないため息みたいな声でモソモソと受付をする。
まるで1日中客と数字を追いかけてきた企業のお抱えハンターが、モンスターとの歴戦でボロ雑巾みたいに疲れ果てた末に辿り着く宿屋みたいなもんだ。
そこはまさにオッサンのセーブポイントと呼ぶに相応しい。
でも客層がそんなお察しレベルにも関わらず、カプセルホテルでは基本的なマナーが意外と守られていると感じる。マナーモードにし忘れて盛大に恥ずかしい着うたを流すヤツはネットカフェより少ないし、着信があってもそそくさとロビーに移動して対応する人が多い。
なお突然迷惑なお喋りを始めるのはなぜか韓国人観光客ばかり。これはソウルでも似たような業態の宿泊施設が一般的だから、カプセルホテルに泊まることに抵抗が少なく利用者が多いからじゃないかと韓国人元同僚が言っていた。実際、中国人より韓国人が多い印象。
とは言え多くのカプセルホテルは聴覚過敏の僕でさえ耳栓をすれば普通に寝られるレベル。
まるで客が全員、泥のように眠りたいという目的で暗黙に一致しているみたいだ。
ちゃんと寝るという観点から見ても、棺桶みたいな狭い空間は僕にとって理にかなっている。聴覚過敏があると、壁に反射してくる音の違いから部屋の大きさを感じ取ってしまう。たまにちゃんとしたホテルの良い部屋に泊まったりすると、自分が寝返りしたときの音がいつもと違う反響で戻ってきて目が冴えてしまう。
この感覚はなかなか理解して貰えないんだけど、体育館のド真ん中に設置された便器で用を足せといわれたらソワソワするだろう。生活空間は無駄に広けりゃいいってもんじゃないのさ。
3000円の壁
そんなわけで僕はカプセルホテルが好きだ。
それでこの前1泊3500円もする「高級」カプセルホテルに泊まったんだけど、サウナが2つも付いていて大浴場もWebサイトの写真の通りだった。広告に偽り無し。あれにはちょっと感動さえ覚えたくらい。
ところがこれが1泊3000円をきると、ほとんどそこに住んでいるような人を見かけるようになる。生活に必要な一切合財を詰め込んだ大きなヨレヨレのカバン。その底からタワシみたいになった歯ブラシを発掘して、もっさりと洗面台に向かう。鏡に写ったその目は死んでしばらくたった魚みたいに濁っている。
これが彼の1日の始まりなのだと思うとこっちまで暗澹たる気持ちになってくる。
貧困は悪循環だ。
ヨレヨレのスーツの印象が悪くて契約が取れず業績が落ち、給料が下がってスーツが更にヨレヨレになるような…。1夜にして劇的に無一文に堕ちるのではなく、大切なものが握り込んだ指の隙間からサラサラとこぼれ落ちていくように、ゆっくりとでも確実な凋落。
1泊2000円台のカプセルホテルには、まさに貧困のスパイラルが渦巻いている。それはネットカフェ難民へのカウントダウンであり、いわば1泊3000円というのはカプセルホテルにおける「真人間ライン」なのかもしれない。
あれ。でも僕も同じだわ(=^・・^;=)
僕も国際ホームレスみたいなもんだから、大差ないね。そんな場末のカプセルホテルで目覚め東京の街に繰り出すと、僕もちゃんとしなきゃって思うんだよね。
僕は自分が真人間ラインを割っていないか確認するために好んでカプセルホテルに泊まるのかもしれない。