平日昼間の各駅停車で出会う自閉症当事者たち

独りで日本の電車に乗るとき、僕は駅ホームのキオスクで小さいボトル入りの焼酎を買って必ず列車の先頭に陣取る。

特に人が少ない平日昼間の各駅停車が心地よい。

各駅停車は文字通り全ての駅に止まる。さらに信号や速度制限の標識に必ず従い、たとえ遅れや事故があってもそれが既存の信号や標識に反映されて予め策定されたルールが絶対的な法則として機能する。

世界広しとは言え、ここまでルール・ドリブンな仕事を僕は他に知らない。

鉄道は厳格な法則性によって安全が確保させており、しかも法的な規制に基づく故に横暴な経営者とてそこに踏み込むことが出来ない(ことになっている)。

この美しいまでの規則性、何人の私情にも汚染されない完璧なルールに僕は引きつけられ、今日も尿意を催しにくいハードリカーをポケットに忍ばせて各停電車の先頭に食らいつくのである。

愛すべき同類

「かぶりつき、ください」

そう言われて僕は我に返った。背格好からして高校生くらいの青年が僕の後ろから話しかけている。ほとんど坊主刈りの短髪に、太陽を知らない陶器のような白い肌。そののっぺりとした丸顔から、僕は瞬時に表情を読み取ることが出来ない。

そうか、電車の先頭で景色を眺める行為は「かぶりつき」という一語で表せるのか。日本語は便利だ。そしてそれを「ください」ということは、この場所を譲れという意味か。

Why?

僕だってこの時間を楽しんでいる。なぜそれを君ごときに譲らねばならないのか小一時間問い質したい…と思ったんだけど。僕の手にはスマホが握られ、Kindleアプリで電子書籍が開いてある。

無意識にスマホ画面に見入っていたようだ。

そしてこの青年…。

たぶん自閉症当事者と思われる。ADHDだアスペだと発達障害が話題になる昨今でも、そこに言語障害や知的障害を併発している自閉症が話題になることは少ない。

必要最低限の単語を並べて、それでも短刀直入に自分の意思を伝えてきた彼。彼の目は僕を見ず、あさっての方向、たぶんすでに列車進行方向の車窓に釘付けになっている。

おっけー!おーらい!

ここまでの逡巡に2秒くらいかかったけど、結局僕は「かぶりつき」を彼に譲ることにした。焼酎片手にスマホに見入る僕はこの場所に相応しくない。雑念に駆られてスマホに見入るようなニワカがチョロついて良い場所ではないのだ。

ここは「乗り鉄」にとっての聖域なのだから。

日本も住み良いのかも

実は日本でこうした出会いは頻繁にある。

なんといっても平日昼間の各駅停車の先頭は、僕を含め学校や会社に「普通に」通っていない者の「特等席」なのだ。だから僕みたいに「普通」に働けないヤツと、彼のように同学年の大多数と同じ学校に通ってないであろう彼が出くわしても不思議はない。

でもその一方で、これは日本特有の出会いでもある。

治安の悪い途上国では当然のこと、シンガポールを含め世界の先進国でも自閉症当事者が介助者もつけずに自力で外出しているのは珍しい。あまつさえ彼は自分の意思を伝えて僕から「かぶりつき」を奪いとったほど。

これは日本社会が圧倒的に平和なことと、ルールベースでことが進んでいることがデカいと僕は考える。

残念ながらこの地球のほとんどの場所は、チカラだけがものを言うヒャッハーゾーンだ。それは実力行使の腕力もさることながら、必要に応じて適切な救助を求める「知力」も含まれる。

だから少しでも危険がある場所では、自閉症当事者はヒャッハーの格好の餌食になりかねない。

さらに日本の公共交通機関はパラノイア的に信頼性が高い。だから「この時間にこのホームから赤い電車に乗ればここに何時に着く」みたいなルーチン化が可能になる。

僕から「かぶりつき」を奪った彼は、視界に入る信号や踏切にあわせて「進行!次はぁ〜」などとやっている。それ、僕の役目だったんだけどなぁ…。

今日彼と出会い、僕は考えようによっては日本も住み良い国だななどとしばし染み入った。