人生をマーケティングの餌食にするな

渋谷で暴動が起きる日としてすっかり定着したハロウィン。下品な東京の奇祭がようやく終わったかと思ったら、翌朝から唐突にクリスマス商戦が始まった。

今朝いつものようにカフェに「出勤」したんだけど、一夜にしてテラス席から見える景色がガラッと様変わり。昨夜まで黒と紫とオレンジが目立っていたのに、今は赤緑白でこれ見よがしにデコられている。社畜が徹夜で模様替えしたんだろうか。

ハロウィンはもちろんクソだけど、クリスマスは僕にとってもっと邪悪な儀式だ。

クリスマスの何がダメって、まず趣味の悪いテーマソングがたくさんあるところ。しかもその全てが様々なアーティストにカバーされ、クラシックになりジャズになりオルゴールになり、近所のスーパーから病院に至るまで洗脳が如く無限再生される。中華圏の春節もそうだけど、この時期はクリスマスソングが耳について疲弊する。今からでも遅くない。健康に悪いのでクリスマスは粉砕するべき(=^・・^#=)

しかも純粋に祭りを盛り上げようってならリア充の悪行と割り切れるのに、クリスマスソングの真のメッセージは別のところにある。

「なんか買え」だ。

脅迫マーケティング

この時期の日本は急速に寒さが増して無駄に「人恋しさ」を誘発する。独居老人が孤独に耐えかね新興宗教にハマるように、この漠然とした寂しさは危険な感情だ。心にぽっかり空いた穴をいつまでも開けっ放しにしていると、そこをマーケティングにわし掴みにされ財布の紐をいいように操作されてしまう。

僕は学生時代にイブ夜閉店後の模様替えバイトをしたことがある。

クリスマス用品や販促ポップや売れ残りのケーキ自作キットなんかを撤収し、本部から送られてくる門松やら年末商戦のアレコレを売り場に配置するのだ。そんな風に模様替えすると実際に売り上げが伸びるんだよね。逆に言えば無理やりにでもイベントを打って消費を喚起し続けないと、街に飽和した小売業を維持できないんだろう。

まぁそうやってでっち上げられたのが東京の奇祭ハロウィンってわけだ。ハロウィンには仮装して無意味に黒いハンバーガーを食え、クリスマスはケーキとフライドチキン、正月はおせち、節分は恵方巻きを買え。春になったらエステに通い夏に備えて水着を買え。浴衣を買って花火を見ろ。

さもないと。

君、仲間うちで孤立するよ?

コミュニティの同調圧力を操作することによって人々の心の隙間に付け込む。マーケティング用にでっち上げられた季節イベントは悪質な脅迫だ。

消費は人生を縛る

電車の至る所に張られた色とりどりの釣り広告。あれは訪日外国人が興味をひかれる日本の特徴だ。

でもマジマジとあらためて見ると消費者金融とマンションの広告がやたら目につく。借金しないと暮らせない人と、マイホームを持つ余裕のある人。たぶん電車に乗るような中流階層に強烈な格差が広がっているんだろう。

最初はそう思ったんだけど…。

よく考えるとアタッシュケース満載の諭吉でドンッと家を買う人はほとんどおらず、慎ましく住宅ローンを組むのが一般的。ってことは消費者金融もマンションの広告も、結局はどっちも「借金しろ」っていうメッセージじゃん。キャッシュフローがマイナスな人には「もっと借金しろ」、貯金できる人にも「借金して家を買え」ってわけだ。

ひどくね(=^・・^;=)

借金と不動産は、人を仕事と土地に縛り付ける。これは国と根腐れ日本企業にとって好都合だ。仕事と土地に縛り付けられた人は、満員電車で毎日都心に輸送され、理不尽に耐えて文字通り死ぬまで働く賃金奴隷なのだから。

マーケティングに踊らされて黒いハンバーガーを買っているうちはまだ良い。でもそのままのメンタリティで「幸せ家族」の幻想に踊らせれ借金して郊外に家を買ってしまうと、もう人生の決定権は自分の手に残っていない。あとは国と企業の手のひらで踊るだけの日々。

人生をマーケティングの餌食にするな。洗脳で押し売られるガラクタと引き換えに、いつでも・どこでも・なんでも出来る自由を手放すな。