日本社会の孤独を射倖心で埋めてみた

気温がズンズン下がってきて最近のししもんは鬱々真っ盛り。冬季うつ病ってヤツかしら。やっぱり南国の1年中蒸し暑い気候が僕には合っているんだな。

しかも気候だけじゃなく、日本の街を歩いているとマニュアル仕事ばかりなのにメンタルを削がれる。

プロの仕事だといえば聞こえがいいけど、日本の仕事は人格や個性のスイッチをOFFにしてロボットになることを求められる。ソフトバンクが作ったロボット店員「ペッパー君」がイマイチ普及しなかったのも、もっと安いコストでロボットよりロボット的に働く人間がたくさんいるからだと僕は確信している。

っていうかそもそもロボットになれないと例えバイトでも職に就けないんだよね。長所に短所に弊社を志望する理由。そりゃ政治家になろうってんなら実現したいアツい思いがあるだろうが、ただのマニュアル仕事に生活費を稼ぐ以上の動機がありえるなら、むしろ雇う側にアピールしてほしいくらいだ。そんな正解があり得ない質問に「期待する正解」が存在し、雇う側が設定する正解ってのはたいてい個性や人格をOFFにしないと導けないようになっている。

よく出来たもんだ。

そんな厳しい品質テストをクリアした人型ロボットにばかり接していると、僕は「この街で暮らしている」という安心感を削がれていく。面と向かって接する人格はその店員さん個人ものもではなく、店が従業員にインストールした作り物のファームウェアなのだから。

しかも東京の郊外には店主が直接店頭に立っているような小規模な個人店が少ない。

例えばシンガポールの屋台料理街、ホーカーセンター。最初のうちは釣り銭をぞんざいに放って返される、敵意さえ感じる仕事っぷりにウンザリしたものだけど。でも街に馴染んでくると人情あふれる人がたくさんいることに気付く。仲良くなるとおまけしてくれるオバちゃんとか、好みの味付けを覚えていてくれるお兄さんとか。

シンガポールをはじめ東南アジアの街には唐突に店員さんと2言3言何気ない会話をするような機会がたくさんあった。そういう何気ない人との淡いつながりは「自分はこの街の一員だ」という安心感を与えてくれた。僕は知らないうちに人間味あふれる街の活気から元気をもらって生きていたんだ。

これ以上ブリキのラビリンス東京で消耗する前に、早いとこフリーランス稼業を軌道に乗せて太陽がギラつく国に凱旋しなきゃな。

心のスキマと射倖心

心の隙間を埋めるのは、酒・女・ギャンブルと世界の相場は決まっている。でも僕はすでに酒に溺れているし、女やギャンブルにハマれるだけのカネはない。

だから安易にゲームセンターに足が向いた。

巨大なポムポムプリンのぬいぐるみが宙吊りにされている平和なクレーンゲームを素通りし、電車でGO!の新型をチェック。でも僕の目的はゲーセンの奥にある薄暗い「大人ゾーン」のメダルゲームだ。もう10年近く前、ウツ都市つくばに住んでいたころはFORTUNE ORBという機種だったハズなのに、それが僕が日本から離れているうちにFORTUNE TRINITY、しかもバージョン3にまで進化を遂げていた。

まるで浦島太郎の気分でメダルをトレーいっぱい買って、空いている席に座る。

するとまるで脳に電気ソケットを差し込まれたようなショックを覚える。音と光の洪水に掻き立てられ、欲望が堰を切ったように溢れ出てくる。これは味の素を舐めたときの感覚に似ている。舌の無条件で美味しいと思うポイントを、強すぎず弱すぎない適切な刺激で心地よくくすぐられる化学調味料。なんの味もしないくせに「ただ美味しい」という刺激だけが舌の上でチクチクと踊る感覚。

そういう意味で、ギャンブルが掻き立てる射倖心は感情の味の素みたいなもんだ。人間が無条件で興奮するポイントを光と音で的確に刺激して、心のスキマを手際よく虚構で埋めたてる。

僕がそんなメダルゲームを好きなのは、特別なスキルが要らず何も考えなくていいからだ。ただ射倖心に身を任せて行動していれば、適度な興奮で脳を飽きさせず、よく考えて結論と結果を出さねばならぬアレやコレやから一時の開放を与えてくれる。

そんな妖しいマシンに昼間から集まるのは、まるで孤独と虚無を抱えた「社会の影」ような人たちだ。みんなきっと、向き合わなければならぬ何かを忘れるためにここにいる。もちろん、僕も。メダルゲームを取り囲む薄暗い一体感に埋没して、今日という貴重な時間がメダルと一緒に吸い込まれていった。

人格を否定しない空間

本来、このような心のスキマは人間関係の中で満たされるべきものだ。

孤独でいることは1日あたりタバコ15本分健康に悪いという研究があるらしいけど、そんなこと言われなくたってわかっている。昼間っからメダルゲームに人生とカネを捨てに行くような生活をするほど、考えなきゃいけないことから逃げれば逃げるほど、未来は先細り孤独がさらに深まる。

東南アジアの裏路地や、上野や新橋の立ち飲み屋で昼間っから集まって酒を飲んでいるオッサンたち。彼らは人生に大満足しているようには見えないけど、少なくとも孤独ではない。もちろん生産的で笑顔が絶えない暮らしが出来ればそりゃ幸せだ。でも例えそれが無理でも、薄暗いゲーセンの妖しい機械に繋がれて光と音で虚無感を埋めるまえに、逃げ込めるような居場所がある暮らしの方がずっと幸福だと思う。

でも皆なにかに追われ忙しく暮らす東京では、仕事のみならず人と関わる上で満たすべき人格が厳しい。そして僕はそれを容易に満たすことが難しい。

…これは…言い訳だな。

性格が合う人間が少なすぎる。考え方が同じ人がいない。1000人に1人いれば良いほうだ。そうやって僕自身が自ら付き合う人間を狭めてきた。まずは僕が改善しなくてはいけない。相手に求めるハードルを下げ、この孤独を打破しなくてはいけない。