隣組教が廃れて新興宗教に日本が乗っ取られる

日産のカルロス・ゴーンが逮捕された。

地上波利権に切り込んだホリエモンが逮捕されてしまったライブドア事件の時もそうだけど、特捜が絡む経済案件にはなんだか政治のニオイがプンプンする。とりあえず言えるのは、フランス政府が大株主であるルノーに、しかもゴーン氏に個人的に通じている元フランス経済大臣マクロンが現職大統領であるこの時期に、経済事件でゴーンを立件しちゃうってのは日本政府のお墨付きがあるよなぁってことだ。日本語の新聞には書いてないけど。

ようはレームダック状態のフランス政府が経済対策の切り札として日産と三菱をフランスの国有企業にしようとしているなか、こんな無理矢理な方法でそれをぶっ潰したら国際問題になるのは明らか。日本政府っていうか経産省が、国内産業を守るため首相お墨付きでゴーンをハメたんじゃないかと僕は勝手に考えている。

だからゴーンがたとえ無罪や微罪を勝ち取ろうとも、再び日産の経営に影響力を持つことはないだろう。日本のメディアを刷新しようとしたホリエモンが、今や掘られたときとロケットで失敗したときしか注目されなくなってしまったように…。

まぁフランスなんて今やイスラム移民に乗っ取られかけているEUの経済二流国。フランス料理はチマチマ食うのが面倒くさいしバゲットは歯茎にぶっ刺さるし、もう日本にとってあんな国どうでもいいよね(=^・・^=)♬ ってわけなんだろう。移民政策に失敗して国力が下がるってのはこういうことなんだな。まさに今日移民法を改正して低スキル外国人労働者を大量に入れようとしている日本にとって、フランスの現状は反面教師なハズなのに…この扱いである。

振り向けば新興宗教がそこにいる

まぁ政治の話はどうでもいとして。

今から20年以上前、東京都下の小学生は観光バスを仕立てて日産の自動車工場に社会科見学に行くのが慣例になっていた。ご多分に漏れず僕も小学2年生のときに行って、当時クソほど売れた日産マーチが急ピッチで組み立てられている様子を見学したもんだ。その時に粗品としてもらった廃車のバンパーをリサイクルして作られたというマーチの形をした模型的な何かは、まだ実家の屋根裏のどこかでホコリをかぶっているはず。

で。その場所こそ、倒産寸前の日産に乗り込んだコストカッター、カルロス・ゴーンがまず最初に閉鎖した生産拠点「日産村山工場」なのである。いま現在、その工場跡地は広大な空き地になっていた。そりゃもうこんな広い更地が東京に存在するのが信じられないくらいで、その広さたるや地平線に目をこらせばキリンやゾウが歩いているんじゃないかと思うほど。ししもん的には住めるレベルのサバンナだね。

そしてこの荒野とも言える土地は、今やすべて新興宗教の持ち物となっている。

宗教法人真如苑。

ゴーンが潰した日産村山工場の広大な跡地をマルっと購入したのは、全国に100万人近い信者を抱える新興宗教だった。当初はここを明治神宮みたいな鎮守の森にするという触れ込みだったらしいのだが、購入から何年経ってもその広大な空き地に植樹が施される気配はないらしい。さらに宗教法人ゆえこの土地は固定資産として非課税。

カルロス・ゴーンが更地に変えたその場所は、住民の往来を妨げ税金も落とさない、地域にとって百害あって一利無しのどうしょもない荒野になってしまっていた。

自分で考えることから逃げるな

久しぶりに帰国して実家に帰ったら親が新興宗教に入信していたなんてっていうのは、海外現地採用のあるある話である。

我が家とて今回帰国したら「反アベ教」にすっかり染まっており、とにかく安倍憎し自民党憎し。それでなんでそんなに憎いのかと聞けば、テレビと新聞でそう言ってるからだと。

あぁ…(=^・・^;=)

「どうしてみんなと同じように出来ないの!」「決められたルールを守りなさい!」そりゃ頑張ってもみんなと同じに出来ないからだし、誰かが勝手に決めたルールに従う意味を理解出来なかったからなんだけど…。

僕はこの実家でそんな風に怒られ続けて育った。

確かに日本社会の秩序ってのは少なからずこうした同調圧力によって維持されている。だから自我を通す上にみんなと同程度の能力がない僕みたいなヤツは、社会の和を乱す問題児になってしまう。これは事実だ。

でもその一方で、そんなムラ社会は自分で考える能力を奪う。

終始キョロついてみんなと同じに振る舞ってさえいれば社会と摩擦が起きず安寧な暮らしが出来るゆえ、自分で情報を集め・自分の頭で考え・自分独自の結論をだして・自分で行動する能力が自然にいつのまにか退化してしまうのだ。

ところが21世紀とは、突然現れたフランス人によって地域社会を支える産業が消え、夢のマイホームを建てるのも言葉すらろくに通じない外国人労働者頼みの時代。時の政治家、有名企業のカリスマ経営者、テレビのキャスター、近所に住む外国人。それぞれ別の価値観で別のことを言う。

今までは周りのみんなが期待することを何も考えずに踏襲すればよかったのに、もう誰も「正しさ」を示してくれない。

この「普通」を定義できない時代に「みんなと一緒」と思うための「みんな」はもう存在しない。何が正しくてどう振る舞うべきかは自分自身で各人が考え決めて行動しなくてはならない。だからこれまで「みんなと一緒教」と、それを監視し合う「隣組教」の教えに従ってきた従順な日本人は露頭に迷う。

幼少の僕を攻撃してきた隣組教の大人達は、いつのまにか偉そうな誰かから「コレが正しい生き方だ!」って示されないと不安になっちゃう頼りない老人になっていた。

彼らはいわばイデオロギーによって安易に扇動される迷える子羊。

新興宗教が地域社会を進撃していく背景にはこういった不確実な社会があるんだと思う。しかも新興宗教は選挙の洗礼を受けていない私人により運営されている。このままでは隣組教が廃れ新興宗教により日本社会が乗っ取られてしまう。

これは民主主義社会の根幹を揺るがす事態だ。

最近は新興宗教が災害支援などでも存在感を示しているという。でもどこの馬の骨ともしれない人間に人生の決定権を安易に差し出してはいけない。各人が自分で考え・自分で結論を出し・自分で行動し・その結果に自分で責任を負うことなしに、安定した人間社会を運営することは出来ないんだ。

久しぶりに帰ってきた東京多摩の地元で、僕はそんな風に思った。