2018年は居心地の良い全能感から蹴り出された年だった

帰国した当初は年中行事なんてマーケティングの買え買え攻勢にしか見えなかったけど、もう3ヶ月も日本にいると「久し振りの初詣はどこへ行こうか」などと考えている自分に気づく。人混みだと過敏性大腸炎で下痢するから空いていそうな山の上の神社がいいかな。

人生をマーケティングの餌食にするな
渋谷で暴動が起きる日としてすっかり定着したハロウィン。下品な東京の奇祭がようやく終わったかと思ったら、翌朝から唐突にクリスマス商戦が始まった。今朝いつものようにカフェに「出勤」したんだけど、一夜に...

シンガポールではどこの国のどこの風習にも属していなかったので、和製クリスマスからこっち、特定の日に特定のことをするっていうガチの「祝日」が新鮮だ。明確な季節がない場所で祝日もないとなると、1年が節目なくのっぺりと過ぎていく。これはとても気楽で自由な生き方なんだけど、あえて欠点を挙げるならちょっと前の出来事を思い出そうとすると時間の流れが曖昧で2年前だか3年前だかわからなくなる。

7年ぶりに日本で年越しするわけで、これを人生の節目として心に刻むべく今日はこれ見よがしに蕎麦でも食おうかなどと計画している。

海外で依存する全能感

自分は何でも出来る、今からでもなんにでもなれる。可能性に満ちた人生は幸福だ。そして人生を可能性で満たす方法は2通りある。

ひとつは常に学習と挑戦を続け、スキルを高め成功体験を積み増していく。でもこれは一部の馬力のある人を除いてやり続けることは困難で、企業社会の落伍者たる僕などハナからこっちの生き方は諦めている。

そしてもうひとつは幼児性の全能感を傷つけぬよう守ること。将来の夢に「海賊王」とか書いていい子供の自尊心を、大人になっても可愛がり続けるのだ。自分は努力さえすれば何にでもなれて何でも出来る。でも今はダルいから努力していないだけ。可能性のなかに将来を塩漬けにしたまま生きていけるのだから、何も努力せずとも自尊心を満たせる。

この生き方には依存性がある。

海外生活をしているとこの根拠なき全能感にハマりやすい。日本でやってれば大したことない仕事であっても、海外で同じことをするとヒトカドの人物になれた気になるからだ。実際海外の外資に転職すると給料もあがるんだけど、それだってデフレの日本を脱出したからであって自分のスキルが上がったわけではない。

でもバブルを知らぬ僕みたいな世代にとって、給料がバンと上がる経験は未知のもの。

それで調子に乗り、日本では危機感に後押しされてやっていた細々とした自己研鑽を止めてしまう。僕も日本でやっていた語学や資格の勉強をシンガポールではやらなくなった。海外で働けているんだからもう充分だろ、みたいな。でもその実、ネイティブのアメリカ英語でまくしたてられたら自信ないし、字幕なしだと映画のセリフを理解出来ない部分は多い。現実はその程度なのだ。

2018年はこの根拠なき全能感から追い出された年だった。帰国したらただの人。ただの人だったらまだしも、ただの無職である。

実力だけで生きていく

ところが今こそ努力を始めようと決心すると、ものの5分で己の無能さを突きつけられる。

文章を書けば平々凡々、プログラムを書けば公開まで至らず、異文化交流に顔を出せば英語力の無さに絶望。もう家に飛んで帰って布団に包まってダンゴムシごっこである。僕なんていなくなった方がいいんだ。

現実と向き合うことは、己の無力さを認めることなのだ。

またここから始めなければ。

幸いなことに3ヶ月も日本で右往左往とダンゴムシごっこをしていたら、フリーランスとして仕事をポツポツいただけるようになってきた。あとはキッチリ仕事をして信用してもらうだけ。2019年こそは実力だけで生きていけるようになってやる。そして今度はノマドとして東南アジアに凱旋だ。

来年もこのブログをご贔屓に。良いお年をお迎えください(=^・・^=)♬