空白期間を忌み嫌う日本の転職市場は誰も幸せにしない

パチプロの友達がいて、彼は一時期本当にパチンコだけで生計を建てていた。

プロのギャンブラーというと傾奇者ってな感じだけど、結局何を生業にしてもプロともなると実態は職業的だ。毎晩閉店間際にパチンコ屋に出向いて各台の回転数などをチェック。家に帰ったら深夜まで集めたデータをさらい、翌日に打つ台を決める。そして朝は早起きして開店前から並び、確実にその台に座るのである。当たりやすい時間帯というのがあるらしく基本的にその時間しか打たないと言ってたけど、それでもずっと座っていると腰に負担もかかる。

こうなるともう時間に合わせてパチンコ屋に「出勤」しているようなもんで、ギャンブルとしてパチンコを楽しむノリではない。普通の会社員並みの勤勉さが必須だし、統計的に数字を読む技術も求められる。出そうな台が複数あるときは、当時も無職だった僕が「打ち子」として彼のビジネスを手伝ったもんだ。

そんな「仕事」で彼は高級車を乗り回していたのだから、結構羽振りが良かったんだと思う。すげーな。もうずっとこれでいいじゃん(=^・・^=)♬

「いやぁ…」

大勝ちした日は流石に上機嫌なものの、それなりな日の彼にはどこか影がある。

「とりあえず食えてるけど、俺なんてなんの役にも立ってない社会のクズだかんね。ジワジワ滅入るよ」

あぁ(=^・・^;=)

その時も僕は日本で無職だったので、彼のジワジワ滅入る気持ちがよくわかった。人生はおカネに困らなければ良いというもんじゃなく、幸福に生きるには「社会の一員として誰かの役に立っている」という充実感がとても大きいんだ。まぁ僕はおカネも無いわけですが…。

そんな風に社会との繋がりを渇望し始めた時が転職活動の始め時。

人間だもの、日がなゴロゴロ3食昼寝付きが良いに決まっている。でもその惰性を充実感の渇望が超えた時、こんな僕でも必死に履歴書を送り始めるし、面接では心のそこから「ここで働かせてください(=^・・^=)!」と訴えた。これは単におカネがほしいというだけじゃなく、本気で社会の一員として役に立ちたいと思っている偽りなき情熱である。

情熱の欠如

1月4日金曜日。今日1日だけ有給休暇を取ればさらに連休が伸びるにも関わらず、ブログのアクセス数を見るに今日が仕事始めだった人も多いのだろう。

その中には正月休みこそは転職活動を前に進めようと意気込んでいたものの、実際に休みに入ると気が乗らず、コタツビールの沼に溺れただけだった人もいるに違いない。いや、ビール片手に転職サイトをちらっと覗いてはみた。でもそこに並ぶ求人を見ても脳に謎のブレーキがかかり、エントリーに至らずそっ閉じ。

結局、もう働きたくないんだ。

もちろん今の待遇に満足していないってのもある。でも根底では今の会社でも別の会社でも働きたくない。もうコタツとビールが満載の冷蔵庫を往復するだけの人生が良い。その程度の労働意欲、その程度の情熱では、100均で買ってきた履歴書を前にしても筆が進まないし、特に志望動機なんて「今の会社が嫌だから」以上に書くことはない。やめたやめた(=^・・^#=)

情熱の欠如。

でもいざ本当に会社が嫌になって無職になり、マジでコタツでビール飲んで酔ったら寝てを繰り返すと、楽しいのは最初の1週間くらいのもん。そのうち焦りの方が強くなる。

この焦りの正体は目減りする銀行の残高のみならず、業務経験の隙間「空白期間」ってヤツがヤバい。

空白期間を評価しないのは不毛

社会の一員として能力を活かしたい。なりたい自分に近づきたい。

そういう情熱は、マズローの欲求段階説でいえば最も高次の第5段階「自己実現の欲求」に当たる。そんなもん、最も低次の「生理的欲求」であるビールを前に、もろくも崩れ去るのは当たり前だ。

だから高次の欲求を追求するエネルギーがない状態で、無理やり転職活動をしても上手くいかない。経歴の空白期間に焦ってフライングすると、情熱が無いゆえに採用側にもそれはバレるのだろう。それでも数を打てば偽りを通して採用までこぎつけるかもしれない。ところが情熱がない状態で社会的に求められるレベルで実際に働けるかどうかは時の運であり、なにかのタイミングで負荷が上がるとまた簡単にポッキリ心が折れる。

この欠如した情熱を再充填するのが空白期間なのである。

情熱をもって仕事に取り組むためには、やる気を貯めて足りない知識を積み増す時間が必須なのだ。それなのに労働者にエネルギーを貯める時間を認めず、たった半年でも経歴に穴があると書類で落とすような企業はいったいどんな人材を採用したいのだろう。採用にはカネと労力がかかるゆえ、これは企業にとっても不効率なことだ。

パチプロの彼はその後心機一転、タクシードライバーとして再スタートを切った。道端でタクシーに乗ろうか逡巡している人を目敏く見つけ、手を上げてなくても勝手に止まってみるという荒業で稼いでいるらしい。ギャンブラーを辞めても傾奇者はやっぱり傾奇者だ。

僕も僕とてフリーランスのエンジニア/技術翻訳家として再スタートを切った。

それもこれも、空白期間を充分に取って社会の役に立ちたい情熱を貯めたからだし、そんな僕らを認めて仕事をくれる寛大な企業があるからだ。あとは期待を裏切らぬよう、やるべき事を情熱をもってキッチリやるだけ。

空白期間という終身雇用が当たり前だった時代の慣習に固執するのは、労働者にとっても企業にとっても不毛なことだ。