人生を理想の自分を目指す冒険RPGと思うと楽しい

作業中はピコピコ系の音楽を聞くことが多い。

ブログとか翻訳みたいな言語絡みの作業は無音でしか出来ないんだけど、なぜだがプログラミングとか単純作業はEDMやトランスみたいな電子音を聴きながらやった方が効率よく終わる気がする。昔はツタヤでレンタルしてきたCDだったけど、今ではすっかりYoutubeやTuneInみたいなアプリでストリーミング配信を垂れ流し。時代を感じる。

それを遮音性の高いイヤホンでボリュームを絞って静かに効くのが集中力を引き出すポイントだ。

発達障害持ちのプログラマにEDMファンが多い理由
発達障害の適職として頻繁に挙げられるのがプログラマー。僕もご多分に漏れずプログラマーとして社会人デビューした。もう10年以上前だけどね。 プログラマーが発達障害に向いている理由として、僕の個人的...

EDMやトランスみたいな電子音が作業BGMに向いているのは歌詞を意識しなくて済むのがデカい。でも今日は何の気なしにYoutubeの作業用BGMを聴いていたら、突然歌詞の一節が言葉として意味を持って意識に飛び込んできた。

せっかく生きてるんだ
楽しまなきゃね ソンソン
憧れのキミに もっと
近づくための冒険

CAPSULE、Adventure。ヤスタカサウンドって程よく明るいグルーブもさることながら、時々歌詞が深くてハッとさせられることがある。日本の音楽業界には恋愛に絡めないと干されるルールでもあるのか、この「憧れのキミ」っていうのも曲の後半では恋愛対象であるかのような展開になっていく。でも前半の展開通りに「人生とは憧れの自分自身に近づくための冒険だ」というメッセージとして解釈すると、僕には人生を大いに盛り上げるヒントな気がしたんだ。

RPGはカネ払ってでも楽しいのに人生は

去年シンガポールの米系企業をクビになってから、早いものでもうすぐ半年が経とうとしている。この6ヶ月、ほんとーーーーに色々なことがあった。それは4000m峰キナバル山に登ったり、フリーランスとして「第三の人生」をスタートさせたたり。そりゃもうアドベンチャーと呼ぶに相応しい時間だった。

東南アジアの一番高い場所で迎えた夜明け
深夜2時半。ここはマレーシア領ボルネオ島。しかも標高3300mの山小屋である。よしかつ、琴音、そしてワタクシししもんというシンガポールブロガー3人組は、世界遺産キナバル山の中腹で不安そうに天気を伺...

その何が冒険かと問われたら「自分の人生に対する全権限」をフルに行使していることだろう。

毎朝起きる時間に始まり、目覚める家、時間をかけて淹れる珈琲の味、その日を過ごす街・人・仕事。そういった日常を構成するすべての要素が、この180日のあいだ目まぐるしく変わっていった。僕の意思によって。好きな場所で、好きな人と、好きなことが出来る毎日。そしてその結果と責任を自分独りで負わなければならない重圧。自分の選択を誰のせいにも出来ない。

これはもはや冒険RPG「ファイナルししもん伝説」だ。

ゲームの世界では「常識」とか「マナー」みたいな下らんルールに縛られることなく、持てるチカラと仲間を武器にステージを進めることができる。この180日、僕はまさにその状態にあった。傍若無人に仕事というモンスターを倒して、得られるアイテムは新しいスキル、そして実家やAirBnBの民泊物件はHPを回復するための宿屋だ。

ただ、残念ながら人生とRPGは根本的に異なる。

それはキャラクターを選べないところと、リセットボタンがないところだ。

例えばマリオカート。大抵は考え無しにマリオから使いはじめ、程なくスタートが速いヨッシーが有利だと気付いて乗り換える。でもそのうちコントロールに慣れると、事故らなければ最強のクッパを乗りこなせるようになってくる。ゲームというのはスタート時にキャラを選べるし、最初からその特性が明らかになっている。

でもところが人生では自分の能力やキャラの特性を客観的に理解するのがまず無理だし、さらにそれを使いこなすとなると至難の業。

しかも初期の選択をミスると、なんかストーリーがおかしくなったり深いダンジョンから出られなくなる。それでも人生ゲームにリセットボタンはないし、攻略本もなければ回復の呪文だってない。無い無い尽くしのこここそが、RPGはカネ払ってでも楽しいのに人生はツラい根本原因である。

人生とはパラメータ配分とルールが明確でない、かくも難しいクソゲーなのである。

人生はRPGと思うと程よく気楽

それでも、僕はこの半年、自分の人生を冒険RPGのようにプレイしてきた。

パラメータ配分とルールが明確でなく、キャラクターを選べないしリセットボタンもない。普通、こういう条件でステージに放り込まれると、多くのプレーヤーは守りに入る。マップで人が多そうな場所に混ざって、多くの人がやっている戦い方を真似る。大衆。それが一番生存確認が高いのだ。

ところが僕は、なんていうか、守りに入ったら毎日がつまらなくなる確信がある。みんなと同じ選択をして、有力者に褒められるような日常をすごす。新卒で入った会社でツマラナイ仕事をイヤイヤ続け、そのうち惰性でローン組んで50年しか保たない家を買うような人生がそれだ。それは確かにゲームオーバーになる可能性を低くする戦略では有るけれど、同時に大きく勝つ可能性もない。

ようはツマラナイ。

毎日 ほんの少し無理をして
苦にならない きっと楽しい
Wake up やる気奮い起こして
しょうがないか

あー あー

毎日ちょっとずつでも挑戦して、少しずつリスクを取る。ほんの少しずつの冒険と、持続可能なささやかな無理。この積み重ねで僕は人生が前に進んでいく確信がある。必要なのは、大衆に馴染まないちょっとしたあきらめと、毎朝起きた時に深呼吸で奮い起こす「人生を楽しむ」覚悟だ。