AirBnBがある時代に生きていてよかった。
話題の民泊アプリで、誰も住まない空き家をホテルのように世界中の旅行者に貸し出すサービスだ。この世には都市部や観光地の不動産を持て余すという、奇特な経済状況にある人がたくさんいるらしい。
このアプリをスマホにインストールしてクレジットカードを登録すると、原理的には世界中の空き家にかなり安い値段で投宿できるようになる。ラウンジやルームサービスを利用したいなら高級ホテルに泊まればいいけど、僕のように自炊が基本で世界の何処かで独り静かに文章を書いたりネットで仕事するだけならAirBnBで完全にこと足りる。ほとんどの物件にWiFiがあるしね。
でもひとつ気をつけなくてはならないのは、そのほとんどが元々は空き家であるということだ。人気エリアのシャレオツ物件であれば、地元の人、もっとお金がある人が定住したいと思うだろう。AirBnBに出すまで誰もそこに住まなかったということは、そこにはきっと何かある。さすがに事故物件じゃないと思うけど、築年数がいっていたり、駅から遠い不便な場所にあったり。
僕はまぁ引きこもり体質なので辺鄙なボロ家でもそれほど気にしないけど、もしそれが微妙であれば民泊に当て込んだ投資物件を選べばいい。
本当に不思議なんだけど、この世にはおカネが余ってしょうがない人というのが存在するらしい。そのまま銀行残高の数字にしておいても面白くないから、ここはひとつ家でも買ってみるかと。でも自分の身は1つしかないから、そこに住むわけにはいかない。だったらこの流行りのAirBnBにでも出すか。そんなノリ。もちろんそこにも裏があって、地価や不動産価値が上がったら転売してキャピタルゲインを得たいのである。何年も無人にするのもなんだし、言うなれば地域が発展するまで待って高値で売っぱらうまでのつなぎ。悪い言い方をするなら今は高値で売れない塩漬け物件ということになる。
それでも僕からしたら新築タワマンに格安で住めるのだから、AirBnBに出ている投資物件は基本的にお得で快適である。表面上は。
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タイ王国ノンタブリー県。
僕がいま投宿している民泊物件は、タイの首都バンコクの郊外、中心地から北西に15キロほど離れた場所にある。
東京ならば江戸川を渡った千葉のベッドタウン、ニューヨークのマンハッタンならハドソン川を渡ったニュージャージー州といった感じか。バンコクの中心地から通勤電車で1時間くらいで行けるのだけど、ここはもはや首都とは行政区の異なる「多摩」である。
近年このバンコク郊外のベッドタウンに、日本のODAでパープルラインこと紫線が開通した。MRTというのは大量高速輸送なんちゃらという意味で、見た目は東横線みたいな高架の通勤電車、もしくはそれが地下に潜ったメトロである。日本で言えば都心部の地下鉄とそこに乗り入れる京王や西武線みたいな郊外線を加えたような感じ。新幹線や東海道線みたいな長距離輸送ではなく、郊外の通勤客を都心に送り込む現代の奴隷貿易船である。
僕が住んでいるのはいちおうスポーツジム、プールにサウナまで付いた高級タワマン。AirBnBに出された典型的な投資物件である。
長らくシンガポールで貧民生活をしていた僕は、高層タワマン・コンドミニアムにコンプレックがある。それはまさに手が届かない頭上の酸っぱい葡萄。毎日がヤブ蚊、ゴキブリ、イモリとの戦いである低層ボロ家とはちがい、僕だって高層階の新築に住めば人生が違う方向に廻るんじゃないか。タワーマンションを見上げるとそんな劣等感を刺激される。これは僕に限ったことではないらしく、給料に見合わないコンドの上階に無理して住んで経済苦からシンガポールを去った人も知っている。
ところが現実ってのは厳しい。運良く高校生のお小遣いみたいな家賃で高層コンドに住めたとしても、それは結局高校生のお小遣い程度のことでしかないのだ。
まず。このコンドはせっかくMRT駅の目の前にあるのに駅に直結していない。高架になった駅のプラットフォームに上がるには、わざわざ炎天下の道路に降りて5分ほど歩かなくては行けない。繰り返すけど駅自体は本当に目の前にあるんだ。そこに30mくらい橋を作ってくれればものの1分でプラットフォームに立てる。それなのにここを設計した人は何も考えていない。エレベーターで降りてコンドの敷地を出て、100mほど離れた駅の入り口まで歩き、そこからまたエスカレーターでえっちらおっちら高架駅まで上がる。極限までに無駄な5分間である。
でも、そもそも電車で通勤するような庶民はこんな場所に住めないのかもしれない。この40階建てコンドの6階までは巨大な駐車場になっており、そこには高級車がズラリと…ない。ガラガラだ。一応いい加減なことはかけないので取材に行ったんだけど、平日の夜9時にも関わらず、コンドの駐車場は本当にガラガラ。100台止まれるスペースに5台くらいのものだ。
それもそのはず。本来なら家族の団らんが見られる時間なのに、駅のプラットフォームから遠景で見るこのタワマンにはほとんど明かりが灯っていない。入居率5%ってところか。暗い部屋にはカーテンも設置されていないし、ところどころ建設中にガラス窓を守るための養生材が貼られたままになっている。
こうなるともはや投資物件ですらなく、過剰供給の焦げ付きではないか。
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なんでそんな不便な場所に宿をとったかと言えば、とにかく安かったからだ。東京都心の高校生ならお小遣いでここに住めるだろう。しかも僕は観光に一切興味がないので、別に郊外だろうがそこらへんでビールを買って裏路地でのんびり嗜めばタイ暮らしを充分楽しめると思ったのである。
ところが。
僕はバンコクの郊外を甘く見ていた。そもそも、そこらへんにビールを売ってる店がない。ビールどころかバナナさえ売ってない。日本でも田舎街の象徴はイオンだけど、ここでは電車に乗って最寄りのメガモールまで足を伸ばさないと基本的な日用品すらまったく手に入らない。それが故の超クルマ社会。コンドが面している幹線道路には歩行者というのがほとんどおらず、だからこそキチンと歩道も整備されていない。そんな車道をトボトボ歩いてモールに行くのは危険極まりない。高速道路を歩いているようなもんだ。タイの街の構造は、たいてい徒歩移動に向かないのである。
そしてそびえ立つ荘厳な集合住宅も、ここの内装を見ると施工のお粗末さを隠せない。窓枠と壁の間には亀裂が走り、エアコンの室外機はベランダの「天井に」付いている。とうぜん水がポタポタ落ちてくるので、このベランダに出ても例えばタバコとか吸うのは現実的でない。迷惑なホタル族を駆逐する革命的設計だ。でもそうなるとこの小さなベランダはいったいなんのための空間なのか。このコンドミニアムにはこうした謎の空きスペースがいたる所に存在する。あと変なところに謎の段差があって、ちゃんと足元を見ていないと慣れるまで躓きまくる。ビーサンで躓くのだから非常に痛い。このバリアフリーの流れに喧嘩を売るような床の設計は直ちに粉砕するべきだ。
さらに極めつけは停電。チェックインしたとき入り口に懐中電灯がぶら下がっていて不審に思ったのだけど、この地区を担う発電または変電設備が都市開発のスピードに追いついていない。電力需要が増える夕方には定期的に停電になり、ネットもエレベーターも何もかもが止まる。
純然たる多摩っ子である僕はむしろバンコク郊外に親しみを持ってここでしばらく暮らすことにしたんだけど、ここまで不便だとは思わなかった。
だからだろう。スペック的にはジムもプールも付いた高層タワマンながら、この立地だと不動産はめっぽう安い。一番お手頃な部屋だと500万円くらいからある。スタジオじゃなくてステューディオと呼ばれるワンルームだ。なんで僕が仮住まいの値段まで知っているかというと、空き家になっている部分の外壁(ほとんどだ)に10m四方はあろうでっかい横断幕が掲げられ、そこにタイ語で「駅チカ物件500万円から!」と書いてあるのだ。
そんなステータスの現実大公開!な物件を誰が買うというのか。自分でそこに住むつもりのない人だ。周囲には広大な空き地も残り、その一角には巨大なショッピングモールやIKEAも進出してきた。この物件を買った裕福なタイ人投資家は、これから人口が増え物件価値があがる未来を見据えているんだろう。
でも家は人が住むためにあるべきだ。
こうした転売目的のネタ物件は、どうせ塩漬けにされるので実際に人が快適に住めるように作られない。地味な機能より投資家に見栄えが良い方が高く売れるからだ。そしてタワマンが建っても空き家のままで、住人が増えないのだから変電設備も増強しない。そしてノンタブリーの地元の人々はここから見下ろす古びた低層物件から人生をアップグレードできない。
有人廃墟のタワマンの窓から電力不足でブラックアウトした低層住宅を見下ろすと、この資本主義の末路が見えた。