タイに暮らす人々の懐の深さを表すマイペンライ

タイのコンドミニアムが素晴らしいのは、ステータスの象徴としてサウナが君臨しているところだ。日本のタワマンだと、駅送迎、グッドデザイン賞、コンシェルジュサービスと、わりかし僕的にどういうメリットがあるのかわからないウリ文句が並んでいるわけだけど、ところ変わってバンコクではもう押し並べてジム・プール・そしてサウナなのである。シアタールームよりもサウナが推されているところに興奮する。

ところが客寄せパンダにありがちなことで、とりあえずサウナ付き物件に住んでいるというのが重要なステータスであり、実際に毎日サウナに入りたい人はそんなにいない。さらにここは投資目的で建てられ売れ残り激しい失敗物件。平日の昼間など、サウナなんて100%誰も利用しない。なんてったって、外に出ればサバンナ気候乾季の炎天下。35度なのだ。なんでわざわざサウナに入ろうと思うのか。

でもそこであえて楽しめるのが、真のサウナ好き。そう僕のことである。

かくして今日も昼間から貸し切りサウナを楽しんだ。電気代がかからないのをいいことに温度もエクストリームに設定して、焼け石に好きなだけ水をぶっかける。高熱の水蒸気は白い湯気になることなく、木材でできたサウナの空間に溶けていく。そしてひとしきり熱くなったら、これまた誰もいない平日のプールに飛び込むのだ。僕はここの住民で一番この物件を謳歌していると思う。

ところが満足いくまで楽しんで、サウナの外で汗を拭いていた時に、事件は起きた。

昆虫の輪廻

僕は滝汗をかいているので、床には僕の足跡のカタチそのままに汗が水たまりになっている。

ところが、少しはなれた足跡にゴキブリさんがお越しくださっているではないか。しかも恐れ多きことに僕の汗を夢中ですすっていらっしゃる。ホモ・サピエンスこと我らが人類にも男子更衣室の臭いが好きという奇特なフェチズムがあるというが、これはそういう趣味のゴキブリなんだろう。

突然眼の前に非日常な光景を見せられると、僕は驚いたり逃げるのを忘れてその場に立ち尽くし、その様をじっとり観察する習性がある。まぁ観察眼が命のブロガーには向いているのかもしれないけど、きっと探偵や刑事になったら真っ先に消されるタイプだ。

ところがゴキブリもゴキブリで、東南アジアにいるヤツらは皆ひどく鈍くさい。別にソロリソロリと近づかなくとも、普通にサンダルでサクッと踏み潰すことができる。もはやこの世の生にあまり執着がないように見えるし、そりゃもう世界を代表する仏教国タイに住んでいるゴキブリくらいになると、ようやく昆虫の輪廻を外れられるとばかりにむしろ本望なんだろう。

そこへ突然、コンシェルジュ件雑用係のタイ女子が長ほうきを持って現れた。それまで僕はボケっとそこに立ち尽くし、この世の生に執着が薄いゴキブリ氏が僕の汗を美味そうにすするのをじっとりと観察していたわけだ。

コンシェルジュ女子がタイ語でなにか言っている。

とりあえず僕も誇り高き男系の男子だし、こういう時は率先してイニシアチブを取った方が良いのかもしれない。ゴキブリをしげしげと観察していたのが恥ずかしかったこともあり、いちおうビーサンを手にとって「ここは俺が!」的なポーズを取ろうとしたんだけど。

「マイペンライ!」

そう言うが早いか、彼女は「ぎぃぃぃ!!」という悲鳴を上げながら長ほうきを振り下ろした。この世の生に執着がない件のゴキブリは、無事に昆虫の輪廻から開放された。

マイペンライと大丈夫

タイの女性は、世界一般にKであるべき発音がGに置き換わっている気がする。だから「キャー!」という悲鳴は「ぎぃぃぃ!」になるのだ。

それにしてもやっぱり聡明な顔をして制服まで着ているタイの女性は決断力と行動力を兼ね備え、おまけに親切だ。殺生の瞬間こそ若干取り乱したものの、後は冷静にA4のコピー用紙をチリトリ代わりにしてキレイに残骸を片付けてくれた。

僕はと言うと、相変わらずそこに立ち尽くして「マイペンライ」に相当する日本語はなんだろうと考えていた。東南アジアのゴキブリ並みに鈍くさいのである。

マイペンライは日本語でおそらく「大丈夫」なんじゃないか。

今まで僕はマイペンライに対して「ダルいし放っとこうぜ」みたいな無責任で無気力な印象を持っていた。それはある意味正しくて、例えば小銭がないままタクシーに乗ってしまい、運転手にもお釣りがない場合、マイペンライ的なことを言って、結構な額のお釣りをよこさない場合が今でもたまにある。

マイペンライじゃねーよ(=^・・^#=) ゴキブリの輪廻にすっ飛ばすぞ(=^・・^#=)

なんだけど、今回のコンシェルジュ女子のように、ここは俺が片付ける!だからお前は早く逃げろ!的な自己犠牲の精神を伴った使い方もあるのだ。

「大丈夫」だから。

他にも例えば。

意外なことにタイでは14時から17時までお酒の販売が禁止されている。ちなみに0時から翌朝までも酒は手に入らない。だから僕は冷蔵庫に大量の缶ビールを備蓄してある。そんなことはどうでもいいとして。

でも14時から17時というのは1日のウチで3番目くらいにビールが飲みたくなる時間帯だ。それでついうっかり、コンビニなどでビールを買い物かごに入れてレジに持って行ってしまうことがある。酒類販売禁止時間は、基本的に酒類のコーナーに警告が貼られるのだけど、そこはタイなので掲示を忘れていることが多々あるのだ。もちろん僕だって忘れている。

そのいい加減さとは裏腹に、この酒類販売禁止令はかなり厳格に守られている。この時間帯、レジにビールを持っていくと、キャシャーのお姉さんは「あ、警告貼るの忘れてたわ」的な困った顔で酒売り場を恨めしそうに一瞥し、タイ語で「17時まで待って」的なことを言う。

僕はすまなそうな顔をして「ごめん、戻してくるわ」というんだけど、そこで必ず「マイペンライ」。マニュアルでもあるんじゃないかというほど皆こういう反応をする。後で私が戻しておくから「大丈夫」。

マイペンライとは、ここにある困難を、私も一緒に分かち合おう。そんな、とても包容力のある、優しい言葉なのだ。そしてこのタイ人の懐深い心意気こそ、いろいろあってイライラもするけど、僕がタイが大好きな理由だ。

サウナにゴキブリが出ただけで2500字も書けてしまう僕は、我ながらブロガーに向いてると思う笑