タイ王国の首都バンコク。僕はこの日、ダイソーに行きたかった。
100円均一のパイオニアとして日本で不動の地位を築いたダイソーは、ほとんど同じコンセプトで東南アジア一体に進出している。でも流石に輸送費がかかるのか、例えばシンガポール、マレーシア、タイなんかではざっくり200円ショップという感じで展開している。
国によって品揃えが違うのだけど、シンガポールでは熨斗袋や印鑑の朱肉とか、こんなの東南アジアで誰が買うんだと首を傾げるものまで日本から持ってきていたり。異国のダイソーを覗くのは僕にとって大きな楽しみである。
さて、この日も僕はダイソーに行きたかった。そろそろAirBnBで借りているコンドがホコリと抜け毛だらけになってしまい、いわゆるひとつのクイックルワイパー、床のホコリが良く取れるゴワゴワのアレが必要になったのだ。あれは我が大和民族が誇る叡智だと思う。そろそろイグノーベル賞くらい受けてもよい頃合いだ。
ぶっちゃけバンコクにはそこら中にダイソーがある。でもコスメグッズに集中していて、よほど大きな店舗じゃないとクイックルワイパーは在庫しておいてくれない。しかもタイのダイソーでバイトをしている人には英語がほとんど通じないため、店員さんにあれこれ尋ねるのもなんか気後れしてしまう。僕だってイラン人が突然ペルシャ語で話しかけてきたら緊張するもん。英語で突然当たり前のように話しかけるのは時と場合によっては失礼なのである。
そこで僕はショッピングモールのインフォメーションに行くことにした。これだけ大きなモールならもちろん受付の人に英語が通じるし、クイックルワイパーに似たお掃除グッズがどこかで売っているかもしれない。雑貨屋が他にないか尋ねるのだ。
ところがクイックルワイパーの神様はまた僕を見捨てた。運悪くカウンターに座っていたのは、非常に残念なことにタイ男子だったのだ。
終わった。
輪廻を転生すべき事案
「あぁ、ダイソーね。あのエスカレーターで2階に上がると目の前にあるよ~」
インフォメーションの若い男性スタッフは気だるげにそう言った。え?またダイソーがあるの?僕は隣のモールのダイソーからハシゴしてきたのだ。いくら集中出店といっても、ありえないダイソー密度じゃないか?Google Mapにも載っていない。
でもまぁ行ってみるか。タイだし。
そう思った僕がアホだった。言われた通りエスカレーターで2階に上がると、そこにはMinisoこと優の良品的なメイソウが鎮座していた。僕がネトウヨだったらドリアンにくくりつけてチャオプラヤー川に沈める勢いの間違いだ。
いや、ほんと。
バンコクに初めて来たときは「こんな態度で働けるなんて天国じゃないか」「仕事で鬱になった自分はなんだったんだ」という具合に、グダグダなタイ男子には癒やされたものだ。だけど今となっては。これで国家が成り立ってるのが信じられない。まぁなんとかなるよね。そんなノリで病院や軍隊や省庁が廻るハズがないのだ。
きっと彼ら男子の分まで頑張っている人がいる。
女子がなんとかしてくれる
その夜、僕は裏路地の屋台でクレープを買った。なんか甘いものが食べたかったのだ。
その屋台は若い男女のカップルで営まれていた。ちなみに同性のカップルで営まれている屋台も多いのがタイらしい。でも働いているのはもっぱら彼女の方で、注文を取るのもクレープを焼くのもお釣りを渡すのも彼女である。彼氏はというと、もっぱらゲームに夢中。それも宇宙の果てまで廃れたハズのキャンディークラッシュである。
そんな彼にもやっと出番が来た。彼女が焼き上がったクレープを包む袋を探しているのだ。そしてその袋の束は彼の目の前にある。好機!でも彼が手渡した袋は小さすぎたらしく、彼女はそれを使わず脇にどけ、自分で適切な袋を見つけ、クレープを入れて僕に渡した。
これはあれだ。小学校の調理実習。
男子とは基本的になんの役にも立たず、むしろ騒がしく邪魔な存在である。でもマセた女子どもは隣の班に意中のイケメンがおり、彼に良妻賢母ぶりを見せつけたいがために健気に頑張るのである。ちなみにそのイケメンもスパゲッティをコンロで燃やして超絶役に立っていない。イケメンであることが彼の価値であり、イケメンでさえあれば何もしなくても価値なのだ。
タイ女子はなんだかんだいって、グダグダなタイ男子を頼りにしている。ただしイケメンに限るかもしれない。例えば道に迷って売り子の女性に尋ねると、大抵はそばにいる男性に「これであってるわよね?」みたいに確認してから僕に教えてくれる。
ところがその彼は明らかに道をわかってない。あぁ…まぁそうなんじゃね?みたいな。
日本と同じく男子にしか王位継承権がないことからもわかるとおり、タイ社会もなんだかんだいって男尊女卑だ。要職の多くを男性が占めている。こんなグダグダな男子ばかりで国家運営が成り立つのか。
成り立つのである。タイにだってキチンとした男子はいるのだ。サウナとかにね。
意識が高いバンコク男子はサウナにいる
サウナは意識が高い空間である。朝7時にカフェに集合してスティーブン・コヴィー「7つの習慣」を読み合わせる会くらいには意識が高い。
アツいし、水風呂は冷たいし、おっさんの汗が容赦ない。いわゆるサウナトランスという究極のリラックス状態を楽しめるようになるには、修行とも言える厳しいサウナ慣れが必要になる。これを乗り越えてでもサウナに入ろうというのは、相当に意思の強い人物であろう。
僕だって宮城県の日和山くらいには意識が高い。だから今日もコンドミニアムのサウナで汗を流す。するとサウナにタイ男子が入ってきた!なんということだ。今までこのサウナで人に会ったことは一度もない。これは何かの好機かもしれない。
僕は思わず話しかけた。
「ああ、普段はサウナとか入らないんですけど、明日は大事な試験があるので、勉強の集中力を取り戻すためにサウナとか良いかなと思って」
サウナに入ったらむしろ眠くなるんじゃ…と思ったけど、そんなことはどうでもいい。なんと意識の高いタイ男子だろう。話を聞くと今は医科大学付属の養成学校で救命救急士になる勉強をしているらしい。卒業試験に向けたテストが定期的にあり、最近は家と学校の往復だと。
卒業後は救急車でバンコクの渋滞と戦うのかと思いきや「今回の成績次第だけど、卒業後は出来れば同じ大学の医学部に入り直して救命救急医になりたいんです」という。「医者のほうが人のために出来ることが広がりますから。」
このように。サウナとは意識が高い空間なのである。
しかもこのコンドミニアムは親が勉強部屋として買い与えてくれたらしい。意識が高い上に家柄もいいとか。でもその代償か、彼は横幅にかなりの課題を抱えていた。タイの神様(仏様?)はバランス配分についてどうお考えになったのだろう。僕が厨二病を発動して110度に設定したサウナで、むしろ救急車にお世話になることにならなければいいのだが。
そんなわけで、意識が高いタイ男子はサウナにいた。彼のように世のため人のために努力して結果を出していく人が、この国を廻し、この街をインドシナ半島の経済首都に押し上げているのだろう。