タイ王国の首都バンコクは、東洋のベネチア、水の都と呼ばれる。
人口800万人。埼玉や神奈川みたいな首都圏も含めると1200万人が暮らす、インドシナ半島の経済首都だ。街の中心をチャオプラヤー川が優雅に蛇行し、その周辺を細い運河が網の目のように走っている。この運河はクルマ社会化したバンコクが尋常じゃない交通渋滞で世界に汚名を馳せるようになった現在でも、市民の交通手段として重宝されている。例えばセンセープ運河を航行するボートバスは、毎日6万人の通勤客を輸送しているという。
世界各地の「水の都」と呼ばれる場所は、得てして水はけの悪い低地にある。当然、本家総本山のベネチアも海抜1mとかだ。
平均の海抜がわずか2メートルと言われる首都バンコクも例外ではなく、チャオプラヤー・デルタに形成された天使の都クルンテープは、歴史的に何度も致命的な大洪水に見舞われている。直近で一番大きな被害を出したのは2011年で、このときは進出した日本企業の工場も派手に水没して操業出来なくなり、ハードディスクみたいなコンピュータ部品はもちろん、冷凍エビなんかの値段まで高騰した。あれは日本経済のタイへの依存度を思い知らされたし、日本にいながらも現地の被害規模を実感できた。
バンコクの洪水は冗談抜きにけっこうヤバい。毎度命を落とす人もいる。
なにしろ世界的な地球温暖化で海面が上昇しているのに加え、バンコク周辺に誘致した国際企業の工場がはりきって地下水を汲み上げている関係で、年々ジワジワと地盤沈下も進行中らしい。タイの東大、チュラロンコン大学の研究によると、今後50年でバンコク都市部の多くの地域が海に飲み込まれると言われている。中でもヤバいのがバンコクの玄関口、スワンナプーム国際空港の周辺で、あそこはもうほんの1m海面が上昇しただけで主要設備が水没してしまうようだ。
ヤバい。
そんなわけで地域リスクを分散するため、タイに進出した日本企業は2011年の大洪水以降、バンコクの一極集中を改め、車で2時間以上かかる周辺のなんもないクソ田舎に工場を移転している。娯楽どころかちゃんとしたご飯を食べるのもヤバい僻地に赴任しなければならない高給駐在員のことを思うと、今日もバンコクの歓楽街で飲むビールが美味いのである。
うっひっひ(=^・・^=)♬
緑の都、バンコク
高層ビルに登ってバンコクの街を俯瞰すると、視界に入る緑の多さに驚嘆する。
これは公園都市を目指して半世紀も都市計画を進めてきたシンガポールにも勝る勢い。本当に鬱蒼とした森の中から、林立する高層ビルがニョキニョキ顔を出しているように見える。その姿はまさにSFに出てくる自然と調和した都市国家のそれで、もうバンコクは完全に未来をいっている。
都市計画で建物の間にゆとりを持たせて公園を整備したのだろうか。植物の成長スピードまで考慮して首都緑化に成功したのだろうか。
…んなわけないじゃんね。
だってここ、タイだし(=^・・^;=)
ビルの展望から下界に降りて、ビール片手に実際にその緑地のように見える区画に赴くと、雑草ボーボーの空き地にブチ当たる。バイオハザードに出てきたダークサイドの野犬がたむろしてウンコしている。野良ネコ軍団が集団デキちゃった婚してフワフワでちっこいのがニャーニャーしている。むしろ人間のちっこいのがニャーニャーしていることもある。産業廃棄物の不法投棄も目立つ。今日はなぜか便器がそのまま落ちていた。
ここはお世辞にも都市計画によって作られた空間には見えない。せいぜい「放棄地」くらいがしっくりくる。
街のいたる所に存在するこの「放棄地」を理解するには、バンコクが本格的な雨季に突入する9月ごろに訪れると良い。この時期のバンコクは、カラっと晴れていたようでも突然暗雲が立ち込め、土砂降り、カミナリ、なんでもありの大嵐になる。そして2時間もすればまたカラッとした青空が広がる。まるでメンヘラ女子のソレだ。
そういうメンヘラ級ゲリラ豪雨が来ると(実際に雨季にはほとんど毎日来る。まさにメンヘラである)こうした放棄地の多くが沼地と化す。そりゃもうスマホを落としたら金のiPhoneか銀の中華Padを選ばせる、お節介な女神が湧いて出そうなくらいには、ちゃんとした正統派の沼地だ。予め準備してあったかのようにガマノホ的な植物まで生えている。
雨季になると、いや乾季でもちょっとした雨が降ると、バンコクのいたる所に巨大な水溜りが出来る。しかもそれが乾く前に次の雨が降るという…。だから海面から2mしかないチャオプラヤー・デルタのなかでも、更に海抜が低い場所はもう本格的な沼地であり、高層ビルはおろか平屋の民家でさえも建設に向かないのである。
それでも首都中心部では貧しい人々が泥水の上に高床式のバラックをこしらえて、かなり大規模なスラムが形成される。有名なクロントゥーイとかね。でもそこまで人口密度がない郊外では、そんな場所に好き好んで住む人はいない。
これがビルの上から鬱蒼とした森に見える、バンコクの放棄地の正体だ。
洪水にマイペンライしているうちに水没するバンコク
そんなこんなで。
チャオプラヤー・デルタのド真ん中に首都を構えてしまったバンコクには、使いにくい湿地帯が水疱瘡のオデキのように街全体に散らばっている。こうなった時に困るのが道路だ。
家を点とするなら、道は線だ。道路はある程度はまっすぐに作らいないとクルマ酔いする国民が増えてしまう現実的な問題もある。そこで首都のほぼ全体が沼地であるバンコクでは、歴史的に運河の隣に道を通してきたのが興味深い。
沼だろうがなんだろうがとにかく土地を掘り返し、そこを運河とする。そして掘り返した土を積み上げて土手を作り、その上に簡単には水没しない盛り上がった道を通す。すると船も車も通れる無敵の交通網の出来上がりというわけだ。
バンコクにはこのように成立した、運河と並行して走る道路のセットがたくさんある。例えばラーマ4世通りはこうして出来たと言われる。まぁ車移動が主流になった現代では、運河の方は多くが埋められて新たな道路になってしまっているのだけど。
このような洪水に対する工夫は、近代では日本の技術協力もあり、歴史的に様々な対策が施されてきた。そのひとつはバンコク中心部を堤防で取り囲み、壁の中に溜まった雨水はラートクラバンなど首都東側の田園地帯に逃がす戦略。農村をある意味犠牲にすることで首都機能を守るわけだ。台風が来たら誰も住んでない埼玉で荒川を計画氾濫させて東京を守るみたいな感じ。
チャオプラヤー・デルタは本当に平坦で、上流に降った雨が海に流れるのに10日もかかる。ちなみに急峻な日本では3日ほどだ。だから平野部に優先順位を設けて、人口が少ないエリアを犠牲にして最重要の都市機能を守るのは非常に現実的な対策と言える。
ところが。
その雨水を逃すはずの田園地帯のド真ん中に、どうしてどうしてスワンナプーム国際空港をブッ建ててしまったタイ政府。マイペンライ政策にもほどがある。マジで本当に、心の底から何も考えてない。たとえ酔っ払っても人類はもう少し思慮深い生き物であるはずだ。
マイペンライ。
もうね、タイは滅びるまでこのまま行くのだとおもう。洪水が起きて人が死んでも、首都が海の底に沈んでも、不屈のマイペンライ精神で、シンハビールでも飲みながら次の首都をどこにするのか決めるのだろう。
可能性を予測して前もって対処するよりも、起こってしまったことにグダグダ適応するのがタイの歴史的なアプローチ。それは僕がこの国を愛してやまない理由でもある。夏休みの宿題は9月になってから手を付けるのが正義であり、バンコクの歓楽街でビール飲んでサバーイな人種は多かれ少なかれそういう種族なのだ。