人生に満足している。毎日が楽しい。
僕は合法的にどこの国にも税金を払っていない。満員電車にも乗る必要がないし、そもそも企業に雇用されることなく、なんだかんだもう1年近く生き延びている。不安で押しつぶされそうな時期も2018年の年末あたりにあったけど、それでもビールを飲んで元気を出してここまでなんとかやって来た。
海外ノマド。
なんか努力して望みを叶える的な「攻めの自己実現」がモテはやされる。でもそれと同じくらい嫌なことを人生からバッサリ切り捨てる「逃げの自己実現」を並行して行っていくことが成功のカギだと確信している。
たとえば僕は出来る限り労働したくない。
仕事をするからには徹底して真面目に取り組むし、当然キッチリ成果を出す。直接ギャラに結びつかないところで勉強したり、練習がてら小さいプロジェクトをこしらえるのも好きだ。
でも。
そういう張り詰めたモードでいる時間は最小限にしたい。出来る限り。だって。それよか南国の特濃青空を眺めて、もくもくと成長する積乱雲をつまみにNujabesでも聴きながらビール飲むほうが幸福じゃんか(=^・・^=)♬
労働時間をガッツリ減らす場合、同じ生活水準を保つには何かを切り捨てる必要がある。そこで僕は税金を払わない決断をした。税金や社会保険料を払わなければ、その分が全て手取りになる。すなわち税金や年金として公務員様に貢いでいた分、まるっとそっくり労働しなくても同じ可処分所得を得られるのである。
どこの国の政府も僕に課税できない生き方を選び、今の現状に満足している。これはいわば人生を賭したライフハックだ。
海外ノマドの前に海外現地採用
僕はいま一時的にタイのバンコクに住んでいるけど、きちんとしたビザを取得して定住しているわけではない。合法的な滞在期間が過ぎる前に、正直めんどいけどまたどこか別の国へ移動しなきゃいけない。どこの国にも税金を払わないためには、どこの国にも定住しなければいいのだ。
永遠の旅行者である。
このような生き方をするには (1) 外国銀行口座 (2) ネットで完結する仕事 (3) 民間健康保険 の3つが必要なのだけど、僕がその全てをマルっと手に入れるにはシンガポールの米系企業で現地採用として働いた経験が多分に役立った。もしシンガポールで働いていなかったら、僕はとっくの昔にこの世にいなかっただろう。
じゃあうつ病無職だった僕がどうやってシンガポールで仕事を得たのかという話だ。
勝手知ったる日本でさえウダツの上がらない自分が、英語だって微妙なのに海外で上手くいくハズがない。そうだね。ぼくだってそう決めつけていた。でも諦めたら試合終了というか、ちゃんと調べて行動したらなんとか上手くやる方法があったんだよね。ちゃんと国際情勢を見極めて自分という労働者を必要としている場所に狙いを絞れば「ここではないどこか」は見つかる。シンガポールで職を得るのに僕がやったことは、具体的に以下の2記事にまとめてある。
しかも実際に現地採用で6年以上も海外に住んでみると、日本で上手くいく特性と単身海外に出て上手く泳げる個性は全然別物だったのである。
たとえば、気の合う仲間たち大勢いる人はそもそも地元を離れる踏ん切りがつかないし、もし現地で馬の合うひとに出会えなければイッパツで異国生活が破綻する。自分の世界が確立していて仲間が大勢いる人には孤独に耐性がなかったのだ。
それは食べ物の好き嫌いも同じで、偏食家の方が海外生活に向いているとさえ考えるようになった。好き嫌いが多い僕のような偏食家は、得てして同じようなものばかりを繰り返し食べる傾向にある。故に海外移住したとしても、現地でただひとつ好みにあう食事を見つけたならば満足出来るのだ。
逆に毎日「今日は何を食べよう」などとグルグル悩むグルメさんの方が、むしろ現地風にアレンジされた日本食にアレコレ文句をつけてヒンシュクを買ったり生きにくそうにしている。いつもの定食屋に入って黙ってても生姜焼き定食が出てくるような人の方が、実は海外生活に向いているのだ。
甘くない海外現地採用
ただし、そう甘くない現実もある。
海外現地採用は年々難しくなっている。この事実は否めない。
日本でも外国人労働者の受け入れを巡る議論が続いている。なし崩し的にやってくるベトナム人「実習生」の宙ぶらりんの不遇や、彼らの犯罪が批判される。海外に目を向ければ中東からヨーロッパへ地中海を漂流して流れ着く「経済難民」、謎のイスラム難民ロヒンギャ、米国に流れ込むヒスパニックとカリブからの不法移民。その反動で民族主義的なパワフルな指導者が世界各国で誕生している。
いま、世界はこういう流れにある。外国人労働者は基本的に歓迎されない。
ならばどこかにサンクチュアリはないのか。いま外国人として働きやすい国はどこなのか。調べる方向性はこうなる。自分の中で勝手に作り上げた異国の幻想を追い求めるのではなく、いまこの瞬間の情勢をニュースから読み取って自分に適した「オーダーメイドの正解」を導くチカラ。
これが海外に出て現地採用として満足できるカギだと思う。
そして自分なりの答えが出たならば、好機が訪れていると考える国に旅行者として下見にいくと良い。他人の話を聞くと、自分の目で見るのとでは雲泥の差がある。そのギャップを一撃で埋めるのが、現地に赴き「ここで働いている自分」をロールプレイしてみることだ。朝、満員のバスにのって現地のオフィス街へ行ってみる。現地の日本食スーパーに行って手に入るものだけで肉じゃがを作ってみる。牛肉、人参、玉ねぎ、じゃがいも、そして出汁と醤油。これは満足に料理できる場所を現地でどう確保するのかにも繋がる。
体力とメンタルに余裕があるなら、現地の転職エージェントに登録して履歴書を送り面接まで体験してみるのも良いだろう。住んだつもりになって行動してみると、かなり深い土地勘を得られるものだ。
一方、憧れていた幻想の海外暮らしに執着すると、詰むかもしれない。
たとえばバブリーなシンガポールにあこがれて、貯金を食いつぶして去っていった日本人現地採用を何人か知っている。現地のシャレオツタワマン、高層コンドミニアムに無理して住んだり、分不相応なエリアで分不相応な人たちと毎週末お茶したり。あからさまに金持ちぶっていなくても、東南アジアの裕福層は日本の中流階級が想像できないくらいに裕福なのである。
そうした偽バブリーの背後には「日本人ならこれくらい」と現地の人たちや他の外国人労働者を見下す価値観が潜んでいることも。彼らと違うワタシを演出して自爆するのは滑稽だ。
それでも。そうしたトラップを回避していけば、現地採用はキャリアのひとつとして非常に魅力的なものだと確信している。具体的に僕の場合を語るならば、どこの国にも住まずにネットで仕事を取っていくリズム感。そしてちゃんと納期までに仕上げるスキル。あと無視できないのが、この国のこの街ならこのくらいの生活でいくらかかる という「生き抜く土地勘」である。
6年間のシンガポール現地採用で、東南アジア各国についてこういうノウハウを獲得できたことが僕の今のノマド生活を支えている。
駐在員の下請けにならないために
まぁそうなると、ですよ。
何が何でも現地採用にこぎつけるために、現実的な選択肢になるのが現地国に進出した日本企業なんですよね~。
日本で育った日本人なら努力しなくても身についているネイティブ日本語が強みになる。日本ではパッしなかった職歴も、日本より経済水準の劣る国であれば輝くキャリアとして評価されるかもしれない。
だとしても。僕は日系企業の現地採用を絶対にオススメしない。ゼッタイにだ。
必要書類にこそ英文履歴書が含まれていたり、登録エージェントでは英語面接があったり。でもいざ現地法人へ面接に赴くと、そこで待っているのは新橋あたりにいそうな汚いオッサンである。平然と日本スタイルの面接が日本語で始まる。日々のリスニング対策は一体何だったのか。
そして入社してからも、社風や風通しや根回しや男尊女卑、休暇が思い通りに取れなかったり…。宇宙のどこにあろうが根腐れ日系企業は根腐れ日本社会なのである。
しかも海外の日本企業で働くと、日本の働き難さに駐在員と現地採用の間に存在する歴然とした待遇の差が加わる。同じ職場で同じ仕事をしているのに、現地採用の給料は駐在員の半分以下。駐在員様は家賃補助でタワマン、自分は貯金を取り崩して貧乏長屋でゴキブリとヤモリと同居するハメになりかねない。っていうか、宝クジに外れるくらいの確立でそうなるだろう。
あんなの単なる成り金日本人、駐在員さまの下請けである。しかもそんなコテコテの日本社会で切磋琢磨した経験は、海外で働いた経歴としても光らない。
実は外資も保守的で風通しが悪い
そこで捻くれ者の僕がオススメするのが、海外の欧米系企業だ。語学や労使感の違いから内定までこぎつけるのが最初は大変だけどね。
もし中国語や中華文化圏に興味があるなら大陸中国や台湾・香港の会社も今の時代は魅力的かもしれない。でも中国語を自在にしゃべる優秀な中華系シンガポール人であっても、地元企業(ある意味で中華系?)やガチ大陸中華資本で経験を積んで、最終的には良い条件で欧米資本に転職していくのを見る。特に金融、マーケティング。だから特別中華にこだわりがないなら、最初から欧北米系企業がいろいろ整ってて良いんじゃないかと感じた。
そりゃもう突然に整理解雇された僕でさえ、人生で一度はアメリカ企業で経験を積めたことに感謝しているくらい。会社都合退職だから割増退職金ももらったしね(=^・・^=)♬ いろいろ整ってるのは良いよ。
とはいえ当然この世に桃源郷など存在しない。だから理想の労働環境だって、理想の生活指導員、理想のヴォルデモート卿、理想の北朝鮮くらいにあり得ない存在だ。
欧米系企業も実は日本人が勝手に憧れているほどにフランクじゃない。部署間の風通しは悪いし、上席者にあからさまに意見することは日本企業と同様に快く思われない。あと上司にもよるだろうけど「そのくらい言われなくてもやっといてくれないと」みたいな暗黙の業務指示だってある。空気が読めないと上手く泳げないし、すべて契約書通りとはいかないのである。
もちろんこの広い世界には理想の労働環境を提供する株式会社ヘブンが存在するのかもしれない。でも僕が勤めていた企業や欧米系企業に務める知り合いと話している限り、社内政治や人間関係など、いろいろドロドロしているのが不都合な真実ってやつ。
それでも。外資系企業でそんな苦労や不快感を「体験したこと」は、その後の海外ノマド稼業にダイレクトに効いてくる。なぜなら僕みたいなフリーランスにドバドバ仕事を廻してくれるような企業は、得てして欧米資本だからだ。
外資企業の現地採用経験はノマドに役立つ
さて。まとめである。最近ここに至るまでに書きすぎて良くない。
シンガポールを去った後の人生にノマドを選んで本当に良かった。
なにしろ週に4日くらいしかちゃんと働いていない。文字通り死ぬほど嫌だった満員電車から完全かつ最終的に開放された。うざい上司も飲み会もない。ビールが100円しない大好きなユルい国で、伸びきったパンツのゴムみたいな暮らしをしている。
それでいて犯罪世代団塊の飼育費である税金や年金を払っていないから、可処分所得は日本でダラリーマンしてた時代より多い。
まじ、発達障害とかクソな考え方だなって思う。世界でも特殊な日本社会に上手く馴染めないだけで障害にカテゴリするなと。過集中を駆使してエイヤー!ってなノリで日本社会から脱出できたのも、衝動的に後先考えずシンガポールで就活して渡航2日で内定をゲットしたのも、思い返せばみんな発達障害的な僕の特性に支えられてきた。
とまあ、こんなデカい口たたけるのも、僕がシンガポールの外資企業に現地採用として潜り込めたからだ。あそこで6年働けたことは、僕がその感覚に慣れて彼らの仕事感でパフォーマンスを出す訓練に最適だった。感謝しかない。
海外外資企業の現地採用経験はノマド稼業の役立つ。僕はそう確信している。
もし地元を離れ、慣れない土地でゼロからやり直したいと考えている人がこの文章を読んでいらっしゃるなら。挑戦する価値は充分にあると僕は思う。そこで必要なのは体育会系のヤル気でも、漠然とした人間力でもない。
集中して語学と専門性を短期間で高め、具体的なスキルで海外の企業に利益をもたらす人材になるのだ。それさえ出来れば、海外現地採用で得た経験がその後ノマドとして独立したとしても活きてくる。
その際は。努力して望みを叶える「攻めの自己実現」だけでなく、嫌なことを人生からバッサリ切り捨てる「逃げの自己実現」を並行して達成していくこと。理不尽を徹底的に排除していくことが成功の秘訣だ。