自分の仕事のお客さんになれないのは資本主義経済の末期症状

タイ王国の首都バンコクはマッサージのメッカだ。

スクンビット通り沿いの日本人が多く住んでいるエリアには、犬も歩けば棒に当たるレベルでマッサージ屋が立ち並んでいる。中には日系資本の店もあるし、別に日系じゃなくてもメニューは何から何まで全部日本語の世界だ。施術してくれるオババも片言の日本語で基本的な意思疎通は可能な感じにトレーニングされている。ガラッと扉を開けて冷房の効いた店内に入り「肩と腰だけ1時間よろぴんく(=^・・^=)♬」で充分こと足りるのだ。

それだけ日本人客が多いのだろう。っていうか、店内を見回すとほぼほぼ全員日本人なんだよね(=^・・^;=)

受付でプランの選択と支払いを(ぜんぶ日本語で)済ませ、マッサージ師のオババに僕のクソ汚いサンダル足を洗ってもらって上階の施術室にいく。するとそこにいるのは全員日本人駐在員とおぼしきオッサン。後から入ってくるのも日本人のオッサン。僕もオッサン、君もオッサン。タイのマッサージ屋はさながら日本人オッサンのサロンだ。なお、ひとつ上階に行けばそこは日本人BBAと駐妻(BBA)のサロンになっているハズである。

ここまで完璧にジャパナイズされると、片言のタイ語や英語に切り替えるとむしろ面倒くさがられる。彼女らにとって僕みたいなオッサンは、ベルトコンベアに載ってくる薄汚いダンボール箱でしかない。あのビジネスモデルで高いコスパを維持するには、オッサンはテンプレ通り無感情に処理するのが合理的。そんな下らない存在に演技的親近感みたいなムダな感情を差し挟むことは、生きるエネルギーの浪費なのである。

余計なことを口にせず、お荷物はお荷物らしく黙ってベルトコンベアに載ってろって話。

寂しいものである。

タイ マッサージの歴史と中国

タイ王国の首都バンコクがここまで(経済合理性における)マッサージのメッカになったのには、一応の歴史がある。

その理由を語る時に外せないのが、頻繁に下剋上が起こってきたタイの王朝のなかでも、現代まで続く権力構造を確固たるものにしたラーマ1世である。彼はアユタヤ時代から存在したと言われる「菩提樹廟」を改修し、現在のワット・ポーの原型に繋がる立派な仏教寺院とした。それを後世の国王たちが徐々にアップグレードし続けて今に至る。

まぁ何はともあれ。歴代の王様が寺院をアップグレードした目的のひとつが、タイ各地に息づく伝統知識を収蔵し後世に残そうという世代を超えた王家の一大プロジェクトである。その学問知識は詩などの文学、歴史、そして医学であり、時にインド経由でもたらされたサンスクリット語の経典や、中国語の専門書も含まれた。

そういった背景でワット・ポーには医学知識を元にしたマッサージのノウハウが蓄積され、この場所でタイ独自の医療が体系的に確立していった。タイ マッサージとはsenと呼ばれる中国医学でいうところの「気血」の概念を中心にした、れっきとした医学なのである。

とは言えまぁ、その過程がほぼ全てが1800年代、いまからせいぜい200年くらいのスパンにマルっと収まってしまうところが、タイの近代史に僕が有難味を感じない原因なんだけども…。

そんなことはまぁどうでもいいとして。せっかくあくびでもすれば50mに到達しただろう、46mの涅槃仏像。あの金ピカの御方で有名なワット・ポーという寺院には、歴史的にタイの全国各地から知識や技術が集約され、タイで最初の大学と呼ばれるに至った。

めでたしめでたし(=^・・^=)♬

でもここまで調べると疑問が湧く。

タイのマッサージの基本概念であるSenは、元々は中国医学に根ざした概念だ。タイの観光市場を進撃している中国人が、本国よりも安くて本格的なタイ マッサージに殺到しないのはなぜだろう。なぜ少子高齢化で滅びゆく日本人がいまだにバンコクのマッサージ店で幅を効かせ、イナゴの群れのごとく押し寄せる大陸勢に駆逐されないのだろうか。これは僕にとって長年の謎であった。

ま。でも。

マッサージが大好きなのって、世界広しといえど実は日本人くらいなのかもしれない。

中国人や中華系〇〇人は、赤の他人に身体を触られるのを生理的に嫌うのである。なお、褐色の肌をした東南アジアのイスラム教徒も同じ傾向にある。そりゃもう、女子中学生が男子に触れられてキャーキャーという勢い。あの強烈な嫌悪感を男同士にも適用する感じ。

僕などマッサージはするのもされるのも好きだから、周りの友達が「あ~疲れぽ」とか言って欠伸をしたら、さり気なく肩をもんであげたりする。なお対象の98%は男性であり、残り2%も女性の身体もしくは心を持った、見た目男性だ。それなのに彼らは、僕の無垢な好意に対して「むず痒い!」「俺は…そ、そういうのダメ…」「あぁ…うぅ…」などとのたまいける。

敏感にも程がある。せめて毛が生える前に出直してこいってもんだ(=^・・^#=)

マッサージされないタイのマッサージ師

僕は自身が重度の肩こりと腰痛に長年悩まされている関係で、マッサージについてはそれなりに詳しい。

並々ならぬ興味があるのでちゃんと専門書を読んで勉強しているし、患者として中国医学にふれる機会があれば折に触れて人体に対する考え方や扱い方を老師に訪ねてまわっている。中医のセンセに専門用語を交えて質問すると「語りたい」モードに突入してくれることが多く、いままでシンガポールやマレーシアの中医治療院では数多くの見識を得てきた。

でも。バンコクのマッサージは技術的に今ひとつなことが多い。っていうか、ほぼほぼ残念賞である。

マッサージおばばに専門知識がほぼないのだろう。骨格に対する筋肉の付き方、コリが偏在している箇所、そして胃腸が弱い僕の体質。Senだ気血だの前に、そういうマッサージに興味を持ったなら絶対に抑えるべきポイントを完膚無きまで見事にハズされ、「そこじゃない…」的なもどかしさをずっと抱えたまま1時間が終わってしまうことも。これなら自分でやったほうがマシ…。

彼女らは肩がこらない人種なのだろうか。もし本人が肩が凝るひとであれば、マトをあえて外すようなマッサージはやってて自分がムズ痒くなるし、ましてそれを職業にしている人なら自尊心にも繋がってくる話だと思うのだが。

花火師は命懸けの打ち上げ作業が過酷で、自分でデザインした花火を見上げる余裕がない。

ガーナ人の農夫は貧しいので、自分が生産したカカオから作られたチョコレートを食べることはない。

その手の話はたくさんある。タイのマッサージおばばたちも、もしかしたら貧富の格差によって虐げられた存在なのかもしれない。

マッサージおばば達は「はぁ疲れぽ。今日はマッサージ行ってから帰ろうかしら」みたいな経済的余裕を持たないのだ。自分自身がいくら疲れても、自分が毎日提供しているスキルを自分の給料で買うことが出来ない。むしろそんなカネがあるなら別のことに使いたいし、使うべきもっと差し迫った必要があるのだ。

国内の経済格差はみんなの不幸

仕事。仕事とは本来、カネのために不本意ながら嫌々やる「原罪」の代償なハズ。

でも実際問題、微々たるおカネを得る手段として仕事をすると、徐々に不幸になっていく。いささか細やか過ぎる報酬のために、食うに足るか明らかに足らないその報酬のために働いていると、自分の人生がスリ減っていくような、生物としての根源的な存在を毀損しているような、空虚な敵意に支配される。

そんな処遇では、仕事に情熱という最高の価値を提供しようとは思わないだろう。

経営者が鐚一文でしか働く価値を提供しないのなら、クビにならないギリギリまで手を抜くのが経済合理に叶う行動だ。

タイの女性は本当に働き者で、工事現場で20キロはあろう砂袋を担いで運んでいるのも女性だったりする。僕はこれまで結構な数の国や文化をビール片手に垣間見たけど、それでも純粋に筋力がモノをいう肉体労働で女性をここまで見かけることはなかった。それは昔日本で引っ越しを頼んだ時にプロレスラーみたいなオバちゃんが来て、僕には絶対に持ち上げられないタンスをヒョイと持っていかれた時以来の衝撃である。

世の中の女子勢はもっと力強くあるべきなのかもしれない。

とは言えまぁ、タイで頑張る彼女らが、自身が頑張って提供しているサービスのお客さんになれないのは大いに問題だと思う。タイ マッサージは単なる歓楽街の娯楽ではなく、タイの歴史に根ざした文化。むしろ医療である。もしそこに探究心や向上心といった深い水準の欲望がなければ、仕事は痩せ細り、ひいては文化が廃れていくのである。

シンガポールの運送業は、安かろう悪かろうな外国人労働者によって提供されている。その結果、マクロなシンガポール経済が先進国入りした21世紀でも、荷物は紛失するし、誰でも盗める状態の雨ざらしで放置するし、彼らの仕事ぶりには閉口するしかない。

でも彼ら自身は、シンガポールで通販を受け取ることがない。

彼らの労働ビザではプライベートで家を借りることが難しく、そういう待遇だからこそ何十人ものタコ部屋で共同生活をしている。自分がお客さんになることはない物流システムに対して、どうやればもっと良いサービスが出来るかなど考える余裕がないのだ。

かつては意図的に貧困国を作り出すことで、安い労働力を使い捨てにしてきた焼き畑資本主義。

その限界が来ているように思う。国家をまるごと貧困に落とし込むことが難しくなった21世紀には、先進国の国内に同様の格差を「あえて」作り出し、奴隷階級を産むことでこの病んだ経済システムを廻している。

でもそれは結局、醜悪な延命策でしかない。栄養チューブで雁字搦めにされた資本主義に、サービスを提供する側のみならず、対価を払う「お客様側」も満足できなくなっている。

その先にあるのはいったいどんな世界なのだろう。