決まった家を持たず、毎月のように違う国を転々とし、汚らしい街角のカフェで仕事をしている。
ブラックコーヒーをさっき確かに頼んだはずなのに、出てきたのは水で薄めた麦茶みたいな薄茶色い液体だった。これ、飲んで大丈夫だろうか。店先には皮膚病だらけの野犬が戸口から漏れる冷房を求めて集まっている。それでいてWiFiだけは何故かめっぽう速い。客が少ないからか。
そんなカフェ。
住所不定有職。海外ノマド。
僕の場合はそれで食えているし問題ないんだけど、そりゃまぁ問題が全然ないわけじゃない。にんげんだもの。
その問題は社会保険みたいな国家の庇護を一切頼りに出来ない自業自得的な話もあれば、ちゃんとした仕事場を見つけるのが大変という、どちらかというと牧歌的な話もある。
うるさいのだ。もうね。東南アジアってめっちゃうるさい。
僕は東南アジアの薄汚くて暑苦しい雰囲気と、そこで暮らす何をするにも気ダルそうな人たちが大好きで、好き好んでこの地域で暮らすことを選んだ。それでもやっぱり集中してここ一番の成果を出すべき時は、静かで平穏な場所で仕事だけに集中したいじゃないか。
ところが店内には爆音でアメリカン・ロックが流れている。隣の客はこれでもかってくらい音を出したままYoutubeでドラマを見ている。しかも大爆笑だ。そうかと思えば戸口では野良犬が喧嘩して、往来のクルマがクラクションを鳴らしている。
ちょっと君たち。すこし静かにしようか(=^・・^#=)
道路がうるさい
まず、もう、何をもってしても、道路がうるさい。まぁガソリンを爆発させて鉄の塊が爆走しているわけだから、道路とは宿命的にうるさいものだ。
でも東南アジアの道路は度を越してヤバい。とりあえずマフラーを改造しているクルマやバイクが多すぎる。そりゃもうヤンキー仕様に改造しないといけない法律でも有るんじゃないかってくらいにみんな改造している。
他に主張するところがないのだろう。
成績が良くて運動も出来てモテるイケメンは、わざわざカネかけてバイクをうるさくしようとは思わない。なお、成績が悪くて運動もイマイチでモテず、それでいて不良になる勇気もなかった僕はブログ(当時はホームページって言われてた)を開設して悪口を書いてはウサはらししていたわけだが…。
そんなことはどうでもいいとして。
ゾッキーバイクで15の夜を駆け抜けようとか思っちゃうヤツは、日本だと団塊世代が若かったころに多かったという。若者の人口が掃いて捨てるほど多いから、ちょっとやそっとじゃ一目置かれる存在にはなれない。でも派手なバイクで暴走すれば、あら不思議。お手軽に仲間も出来るし往来の注目を集められる。
東南アジアは今まさに、そういう人口動態にあるんじゃないかな。
さらに東南アジアの道路がうるさいのはクラクションである。あれはたまに鳴るからビックリするのであって、全員で一斉に鳴らしたら何の意味もない。特にベトナムがヤバい。都心部のみならず、ちょっと郊外に出ても深夜までクラクションが鳴り止まない。あれはもはやクラクション本来の意味を失って、とりあえず乗るなら鳴らせ的な運転のメタファーと化している。
Grab Bikeというバイクタクシーの配車アプリがあるので、以前より気軽にベトナムの夜の街を2ケツで駆け抜ける事ができるようになった。おっちゃんと喧嘩腰に値段交渉する必要もない。
それでおっちゃんドライバーの背中から見ていて思うのだけど、クラクションを鳴らすハードルがガバガバに低いんだよね。ちょっと待ってればどくだろうクルマにも、むしろ自分が避けるべき状況でも、頑なに相手の運転が悪いことにしてしまう。
自己中か。
そこに犬やネコや牛やブタやニワトリやヒトが飛び出してくる。東南アジアの交通状況はカオスであり、聴覚過敏殺しである。
音楽がうるさい
クルマの騒音に関してもっと言えば、カーステレオの音量がヤバい。スピーカーの音が割れてもなんのその、とりあえずボリュームつまみはMAXで固定する法律があるに違いない。
本来音楽を楽しもうと思ったら、適度な音量ってものがある。絶対にだ。ここまで頑なに音量MAXを貫くのは、道行く人に「俺のグルーブを届けたい」というマッチョな意図をそこに感じる。いわば独りDJ、独り放送局である。
自己中か。
カフェに入っても音楽が音量MAXでかかっているし、一番タチが悪いのは静かなカフェだと思ってドリンクを頼んだ瞬間に「あ、サービスなんで」ってな感じにお気に入りのズンドコ節を流してくれちゃう「優しさ」。ドリアンにくくりつけてチャオプラヤー川に沈めたい。またはスモーキー・マウンテンでレチョンにしてやる。
あとは…アザーンだよね(=^・・^;=)
インドネシアやマレーシアみたいなイスラム教徒が多い国では、なんと朝5時、いやむしろ4時半の夜明け前に、オッサンが音量MAXのスピーカーから音の割れたカラオケを始める。
日本でも最近は除夜の鐘がうるさいなどと苦情をいうアホが湧くらしいけど、大晦日の1日くらい文化のために我慢せい!
こちとら毎朝欠かさず朝5時に爆音でオッサンの雄叫びを聞かされてるんだぞ!
アザーンがどのくらいの騒音かというと、日本だと夕焼け小焼けの「帰りましょ」アレが近い。あれが毎朝欠かさず朝5時に、オッサンの肉声で熱唱される感じ。そういう人がモスクの担当にいるのだろう。どこのイスラム教国のどのオッサンも、朝っぱらから本当に気持ちよさそうに熱唱していらっしゃる。夜明け前からジハード熱が高まるというものだ。
もう少し近隣に暮らす異教徒の存在に配慮してほしい。アプリの通知でアラーム配信するとかさ。神様だったらそのくらい出来るっしょ。なにしろ仏教道教キリスト教を信じる中華系住民、ヒンドゥーやシク教を信じるインド系も増えているのだ。
それでいてインドネシアやマレーシアは、多文化共生国家とか自称してはばからない。本当にイスラム教国は夜型ノマドに向かない。困ったもんだ。バルス!
動物がうるさい
インドシナ半島の経済首都バンコクも、ちょっと郊外にいくと野犬とか首輪をつけた野犬がたくさんいる。ネコもいるし、ニワトリもいるし、国によってはブタとか牛とか水牛とかヒトまでいる。
そして悪いことにこの動物たちはみんな申し合わせたように夜型で、マトモな人間が寝ようと思う時間になると一斉に鳴き始めるのだ。しかもワンワン・ニャーニャーではない。ガチ喧嘩。あれは種族のホコリと意地を賭けたガチンコの闘争である。
あと、あれ。ニワトリが日の出とともにコケコッコーと朝を伝えるってやつ。あれは都市伝説だ。あいつらは1日中24時間コケコッコーしている。早朝だろうと深夜だろうと関係ない。
特にフィリピンの田舎町に投宿した日には、そりゃもうサファリパークで野宿している気分。ふれあい動物園とは、たまに触れ合うから可愛いの。みんなで夜明け前の枕元に大挙して押し寄せて、耳元でワンワンブーブーコケコッコーされたら、まとめて刻んでプルコギにする勢いである。
あと、ブタの必死の悲鳴…。
フィリピンの田舎町にはレチョンという国民食を作る場所がたくさんある。レチョンはブタの丸焼きなんだけど、その制作過程は軽薄な僕でさえ敬虔な菜食主義者になり兼ねないくらい生々しい。まず仔ブタを屠殺して腹をかっさばき、文字通り金属のヘラで内臓を掻き出す。次に肛門からノド元まで棒で串刺しにする。伝統的には竹を使う。そして直火にさらして表面がカリカリになるまで香ばしく焼くのである。
まぁいうてブタの丸焼きじゃんね。たとえその調理過程を知ったとしても、にんげんだもの、美味しそうに感じるかもしれない。
でも問題は、次に順番がやってくる残りの仔ブタたちが、その一部始終を見ているのである。鉄の折の中から。人間なら教室で1人ずつ呼ばれて黒板の前で八つ裂きにされるようなもんだ。バトル・ロワイアルならまだしも、鉄の折から逃げることも出来ない。
この断末魔の鳴き声は、ヤバい。生き物としての根源的な、叫び。誤解が多きブタだけど、彼らは実は高い知能を持っている。しかも可愛い。そして美味しい。
ビーガンになろう。僕ももうビーガンになろう。これを書きながらキメているレチョンとビールを片付けたら。たぶん。
人間がうるさい
そんな音が溢れた環境で育ったからか、東南アジアの人たちは集団の会話で声がデカい。もちろん東南アジアにも内気で声が小さいヒトもいるだろう。でもそんなポリコレ的なことはどうでも良くなるくらい、集団で会話する時に彼らはとにかく声がデカすぎる。聴覚過敏殺しだ。
その昔、仲良くなった中国人に「なんで怒鳴るようにしゃべるのか」「喧嘩してるみたいで恐いよ」って言った時の答えが衝撃的だった。
ボソボソしゃべって俺のいうこと誰が聞くね!!!
孫子の兵法にそう書いてあるのだろうか。
東南アジアの人々にもズバリこのノリがあり、みんなに聞いてほしいときは怒鳴るように会話に割って入る。熱意をもってみんなから話を聞いてもらうためには、正攻法ではまず一目置かれる存在になるべきなのだが、とりあえず声のボリュームを上げて注目を集めようとしてしまう。ゾッキーバイクで15の夜に駆け出してしまう。
勉強がデキず、スポーツもデキず、おまけにモテない。けど俺の話を聞け。ゾッキーマインド。そういうヒトに出会うと僕は心底残念になる。
AirBnBでタワマンを借りよう
さてそんなわけで。
東南アジアは生活費も安く、日本にも近い。だからネットで仕事をある程度もらえるようになったら、ノマド暮らしの候補地として最適だ。
でもうるさい。東南アジアってマジで冗談抜きにうるさいのである。
本当にうるさい。特に僕みたいに聴覚過敏があり、ちょっとでも音(とくに声)がすると全神経と全集中力をもってかれてしまうような人間にとって、東南アジア各国は仕事をする上でなかなか過酷な場所でもある。
ここで絶対的唯一の解決法を伝授しよう。
タワマンである。
タワマンに住むのだ。
バンコク、ハノイ、クアラルンプール、ジャカルタ、セブ、どこでもいい。とにかく地上からエレベートされた高層マンションに住むのである。
非モテのゾッキー、動物の断末魔、そしてムダに声がデカい人たちが闊歩する地上から隔絶されているということは、それだけで大きな価値なのである。社畜だったころの僕は、勝ち組都市「武蔵小杉」のタワマンを買った根腐れ商社マンが、朝6時に暴動が起きそうなくらい混んだ駅に入るために、雪が降る寒空の下で行列を作っているのを見てザマァ見やがれと思ったわけだが。徹夜の残業上がりにね。
僕は海外に出ることで、憎き日本の成り金サラリーマンがタワマンに住みたがる理由を理解してしまった。
天空の城ラピュタでシータ王女は「土から離れては生きられないのよ!」とのたまいけりなイタズラに。そりゃそうだ。僕だって美味いビールを醸造できない以上、毎日下界に降りてセブンイレブンに行く必要がある。
だとしても。
別に24時間地上にベッタリでなくても良いではないか。非モテのゾッキー、動物の断末魔、そしてムダに声がデカい人たちが闊歩する下界へは、冷蔵庫のビールが切れたら降臨すればいいのである。旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だ。
地上に這いつくばって暮らすのはなかなかしんどい。異国からやってきた分際で業突く張りで申し訳ないけど、せめて仕事をするときくらいは静かにしてほしい。
もしこの文章を読んでらっしゃる方のなかに、僕と同じように東南アジアでノマド稼業を営もうとする人がいるならば。僕は迷わずAirBnBみたいな民泊アプリで、地元の金持ちが所有する高層コンドミニアムに一部屋借りることをおすすめする。