フリーランスにアルコール依存は致命的。脳がジンジンする瞑想で断酒に挑戦

はい!また始まりましたよ、ししもんの断酒宣言が。

どうせダメに決まってる。うん、自分でもそうだと思う。しかも今日でまだ3日目だし。なんの説得力もない。

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でもね。最近、アルコール依存に対して人生最大の危機を迎えている。僕はなにしろフリーランスなのだから平日の朝からでも飲み放題。東南アジアの降り注ぐ太陽のもと、80円ビールが飲み放題。こりゃむしろ飲まないほうが損じゃないか。

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脳がザワザワして眠れない夜と、お酒とデパス

…生活が破綻するよね。

始終酔っ払っているようなヤツは信用できないし、まして仕事など依頼しようとも思わない。当然だ。実際それでちょっとした失敗をやらかして、人生で億千万回目となる断酒をすることに決めたのだ。

でも不安になる。孤独になる。もう何で生きているのかわからなくなる。

自信の無さ。僕の問題の根底にあるのは自分で自分が好きじゃないことだ。自分でやっていること、やってきたこと、その上に積み重なっていく未来が嫌だ。こんなハズじゃない。もっとデキる。もっとデキなきゃマズい。手を動かせ…。

なのに僕の薄弱な右手は冷蔵庫を開け、中が空っぽだと気付くと今度は不道徳な両足がコンビニへ僕を走らせる。そして今日という貴重な時間はまたドブに流れ、やるべきことが一歩も進まず暮れていく。

いつの間にか酔いつぶれ、薄暗くなった部屋でハッと目を覚ましたとき、僕の頬を涙が伝う。また現実から逃げてしまったのだ。

酒は飲んでも飲まれるなというのは完全に詐欺だ。アルコールと相性が良すぎる人にとって、酒に飲まれないためには最初から1滴だって飲んではいけなかったのだ。

最初から良さを知らなければ絶対に依存しないのだから。

触覚がないハズの脳がジンジン

精神論は全然信用できない。頑張るとか耐えるとか気合とか、僕はそういうので何か達成できた試しがない。当然今回も断酒に僕の薄弱な精神は太刀打ちできないだろう。今の僕に必要なのは具体的な行動だ。

何かはっきりと上達していくような…。

はい、またまた。ししもんの瞑想がんばる宣言ですよ。まったく信用できない。続くハズがない。

いやいや、実は瞑想の練習は続けていた。目をつぶるって瞑想に入ると脳がジンジンと痺れて全然呼吸に集中出来なかったんだけど、同じような感覚を持っているとおっしゃるブログの読者さんから、このジンジンする感覚をマントラ代わり意識してやれば上手くいくというアドバイスを頂いたのだ。だから良くある瞑想指南本はマルっと無視して、我流のジンジン瞑想を疲れた時に実践してきた。

精神論を信用しないくせにオカルトに頼るのか。

そうなんだよね(=^・・^;=) 脳には感覚神経が存在しないらしい。だから脳は痛みを感じないと言われる。いやいや、頭痛があるじゃん。そう思ってお医者さんが書いているようなサイトを掘るんだけど「頭痛の原因はよくわかっていません」とか出てきてもうお手上げ。脳を通る血管や、脳を包んでいる膜たちは痛みを感じるらしいから、それらが関係しているのかもね~みたいな感じでお茶を濁されてしまう。

でもさ、本当に脳がジンジンする感覚があるんだもん。ほんとにトトロいたんだもん! 嘘じゃないもん!

瞑想ってこれであってるのだろうか

シンガポールでヴィッパサナ瞑想の講習会に参加して来た

僕はこの脳がジンジンと痺れる感覚を子供の頃からずっと持っている。長時間退屈な映画をジッと座って見終えたとき、テスト時間終了のチャイムが鳴った時、集中して仕事したあとのトイレ。そういう長時間頑張ってふと緊張がほぐれた時に、疲労した脳がジワジワジワと痺れてくる。まるで正座を崩したときの脚みたいに。

でもこの感覚は不快じゃない。血液に乗って栄養が運ばれ、脳のダメージが回復しているような。そんな穏やかな気分になるんだ。

酒を飲みたくなったら、っていうかむしろ酒で逃げないと耐えられないような精神状態に陥ったら、とりあえず座って目を閉じ、ゆっくり呼吸しながら脳のジンジンに身を任せてみることにする。それでとりあえず3日間は断酒できている。今後どうなるかわからないけど、いよいよ練習してきたジンジン瞑想を実戦配備する時が来たってわけだ。

久賀谷亮『最高の休息法』読了。実践的な瞑想のすすめ。

マントラの代わりにジンジンを使う

都立高校の入試の前日。僕が通っていた塾の先生が最後の激励をしてくれた。

彼ほど教えるのが上手だった人を後にも先にも知らない。数学といういくらでも退屈に教えられる教科にも関わず、彼は問題を全部笑いにしてしまう。ムダな雑談ではない。純粋の数学の解法をネタにして、見事に教室をわかせる。当然記憶にバッチリ定着するわけで、中学3年生だった僕の成績はぐんぐん伸びた。

そんなことはどうでもいいとして。

高校入試前日の彼の激励はちょっと普通じゃなかった。

「明日人生で初めて入試本番を体験をする人がほとんどだろう。緊張しない人はいない。でも大丈夫。アガってる自分に気がついたら、深く息を吸って、こういう状況を思い浮かべるんだ。

(ひたいを指差しながら)ここに火の玉みたいなのがあるって考える。そのうち本当に暖かく感じてくる。すると、その火の玉を身体の好きなところに持っていけるんだ。じんわり暖かい感覚。これを頭から脚の先まで、行ったり来たりさせると、いつの間にか試験が始まる時間になるさ。

昨日先生が変なこと言ってたなって思い出すだけでもいい。トイレに行くのを忘れずにな!」

あの時先生が言っていたことは、インド式の瞑想そのものだ。インド思想に基づくヨガや瞑想では、チャクラと呼ばれる身体の結節点みたいな場所を順番に意識していく作法がある。きっと彼も瞑想の実践者だったのだろう。もしかしたら脳がジンジンする感覚を持っていたかもしれない。

翌年から大手塾に引き抜かれたと聞いたけど、今はどこでどうしているのか。今度は瞑想を教えてほしいな。