ホームシック。
海外暮らしが数ヶ月、数年と長くなってくると、日本のアレコレが懐かしくなる。若いころはそれが日式じゃない本格的な魚介豚骨つけ麺や、スーパーのおつとめ品の200円刺し身だった。でもアフォーの大台に乗った今や、都心の大型書店や下町の古びた銭湯が、胸を締め付けるように時折懐かしくなる。
基本的に、ホームシックになるような人間は海外生活に向かない。
身体やメンタルを構成する不可欠な要素が、深く日本社会や文化に深く癒着していて、祖国から遠く離れると長期的に心の平穏を保てないだのだ。だから僕くらい日本で散々な目にあったとしても、そのような日本人は長くても数年に一度は帰国して、自分のルーツを確認し、日本成分を満タンまで補充して再び海外に出ることになる。これは現実問題めっちゃ太る(=^・・^;=)
それでも。
海外でも定期的に日本成分を補給することがある程度可能である。影響力のある国に生まれて本当に良かった。
ホームシックでヤバいのは「もう無理!日本帰る!」みたいな発作的劇症であり、これを防ぐには海外でも体験できる「なんちゃって日本」を意識的に吸収しておくことがメンタルの安定にとても寄与するのだ。
湯の森温泉バンコク
激しい雨音がする。梅雨みたいだ。
僕はそっと目を閉じる。よく乾いた木の香り、森の匂いがする。
むき出しのトタン屋根を雨季に入りかけたモンスーン気候の荒々しい風がさらい、吹き付ける雨粒が一定のビートを刻む。
これ。
コレを求めて僕は朝っぱらからタイ王国首都バンコクの日本式サウナにやってきた。
落ち着きがなく、移り気が激しく、それで自爆して勝手に疲弊する。厄介な発達障害的な困難を軽減するのにサウナはとても有効だ。
もしツラい「修行」である水風呂とサウナの往復に打ち勝って、至上のリラックス状態「サウナ・トランス」を会得したなら。それはもう深く瞑想するスキルを得たにも等しい究極のライフハックと言える。
100℃近い灼熱の木の箱のなかで、僕はプラスチック製のスリガラス状のトタン屋根に雨粒がぶつかる音に集中する。周囲の空気は完全なログハウスのそれだ。よく乾燥された太い木材からは、鬱蒼とした森の香りがする。当然、このサウナにテレビはない。さらに狭い木造の空間ながら、開店して間もない時間だけに僕以外に誰も居ない。完全なる雨音と、乾いた森の香りだけ。
さらにここでは焼け石に水をかけ放題。電気式のサウナ炉にはカンカンに熱せられた花崗岩が山盛りに積まれており、独りなら尚更誰にも気兼ねすることなくここに外から汲んできた水をぶっかけることができる。
充満するフレッシュな灼熱の湿度。
森の香りと過剰なまでの湿気に満たされたこの空間で蒸されていると、なんだか俗世の喧騒が遠い異次元空間の出来事だったかのように思える。遠い世界の話なのだ。そんな自分に関係ない世界のことをウジウジ悩む必要がどこにある?
バンコク湯の森温泉は、クオリティの高い日本風の銭湯である。それはもう意識をかき乱す鬱陶しいゴミみたいなテレビがないぶん、日本で正統派とされるサウナよりもむしろ完成度が高く居心地が良いとさえ言える。
海外移住に成功しても、わざわざ移住国の日本大使館にいって律儀に届け出などしない。それに僕みたく旅行者と定住者の狭間で存在を曖昧に暮らしている日本人もたくさんいる。その結果、10万人を超える日本人が住んでいると言われるバンコクには、我ら越境ジャパニーズの根源的な欲望を満たすコンテンツがここまでかという程に揃っている。
この湯の森バンコクの至高のサウナも確実にそのひとつだ。
男が憧れる美男が多い
足先ちょん。
サウナから出て水風呂にザブンして、僕は全身を駆け巡るゾワゾワした至高のリラックス、サウナ・トランスを楽しんでいた。目を閉じ、全身に広がるサウナの熱を帯びた部分、そして水風呂の冷気に触れた部分を、まだらに感じる。すると突如、頭から足のツビ先まで、ゾワゾワしたセンセーショナルな感覚がやってくる。痺れているのとも違う。くすぐったいのとも違う。でも、その丁度中間にある、心地よい痺れ。鈍麻。この感覚こそが、僕の日頃のストレスを、自分と無関係で遠い異次元空間にすっ飛ばしてくれる。
足先ちょん。
ああ。もう11時なのか。現実逃避とも言えるこんな水風呂とサウナの往復をもう2時間も繰り返していたわけだ。日本ではその手の友人から「お前は女にも”男にも”モテなくて哀れだねぇw」と言われたこともあるくらい。
でもここバンコクでは違う。なんでかわからない。でもLGBTのうち、男性を対象とする男性から、この空間ではアプローチを受ける事が多い。
実際、湯の森バンコクは男性LGBTの憩いの場として機能している側面がある。そりゃもう開店した当初からそうなのだから、今でもそうであることを疑う余地はない。ただし、とはいえいわゆる発展的な関係になる場所ではない。あくまで社交の場、出会いの場なのである。
だからか、湯の森バンコクには美男が多い。
それはかつてニュース番組でいい加減なコメントを垂れていた、美容整形魔の充血日本人、高卒ホラッチョみたいな風貌だ。頼れる肩幅に堀の深い顔立ち。嫌味にならない隆々とした筋肉がほどよく日焼けしている。背が高い。そんな「俺も生まれ変わったらこんな風がいいな」と、つい思ってしまうような美しい男性が、この湯の森バンコクには東南アジア一帯から集まってくる。たまにガチムチなオーストラリア人もいる。ぐだーい。
足先ちょん。
休憩のベンチで横になっているときに、つま先につま先をぶつけてくるのは「この後どうよ?」っていう誘いの合図だ。日本で30年近く生きてきたんだ。そのくらい知っている。
湯の森温泉は埼玉の所沢に有名な店舗があり、シンガポールにも支店がある。だけど、こんな直接的なアプローチが許されているのはバンコクだけだ。さすがタイ。女風呂に果敢に突撃してくれるブロガー女史の報告によると、女子には簡易の使い捨てビキニが渡され、いたって大人しい落ち着いた空間らしい。でも男風呂は基本裸だ。今まで感覚を開けて3回も湯の森バンコクに来たけど、黒い紙製の海パンなど渡された試しはない。
そのせいだろうか。
僕はイライラしたのもあり、足先ちょんしてきた中年の男性に話しかけてみることにした。
改めて対面すると、還暦に近いかもしれないお爺ちゃんだった。頭髪は薄く、下の毛にも白いものがかなり混じっている。肩周りの上半身は弱々しいのに、腹だけが異様に出ている。シワが目立つ顔。垂れた目尻。絶対に悪い人じゃない。むしろ孫に囲まれていそうな優しいお爺ちゃんだ。
Yo!君は髪型が中華系に見えるし、ローカルのタイ人にはぜんぜん見えない。少なくとも東アジアっぽい風貌だけど、どういうバックグラウンドなの?頼むぜ。僕は寝ぼけてもイケメンじゃないし、そりゃ筋トレしてるけどガチムチ兄貴ってわけでもない。それなのにどうしてこの美男ばかりの空間で、わざわざ僕にアプローチするわけ?
「そりゃ君。ロッカー鍵を足首につけてるからさ」
めっちゃ英語が通じるじゃないか!!それもそのハズ、彼はシンガポール人だったのだ。
男性同性愛が違法なシンガポール
同性愛、とくに男性間の性交渉が法律で禁止されているシンガポール。21世紀になった今でも、それは「秩序の国」としてメンツの一部を形成しており、今後もそう簡単に制度が近代化する風潮はない。
そんなコンサバで保守的なシンガポールでさえ、今でこそあからさまな同性カップルを街で見かけるようになった。でも亡きリー・クアン・ユー氏の目が黒かった時代を生きた、今の還暦世代は受難だっただろうと思う。なにしろ愛する人を愛していると表明するだけで刑罰の対象になったのだ。
あの世代のシンガポールの同性愛者たちにとって、タイのバンコクは歴史的にサンクチュアリであり続けた。その随一たる首都バンコクには、長い歴史を持つ発展的な関係になる場所が無数にある。そりゃもう「ノンケ」である僕でさえいくつか知っているレベルだ。
バンコク在住のシンガポール人である彼もその「犠牲者」のひとりなのか。
足首にロッカー鍵?これが????
「ボクは別にイケメンにこだわってない。継続的で安心できる関係を求めている。君はとても落ち着いているように見えたし、こうしてちゃんと話し合うこともできる。それを魅力に感じていけないかい?」
彼いわく、銭湯でロッカー鍵を足首に結わえるのはいわゆる「オッケーサイン」らしい。商売としてそういうアピールをしている人もいれば、その日の気分で積極的なアプローチに使う人もいるらしい。
はぁ?ふざけんなよ!
僕は触覚過敏持ちで、手首にブラブラ汚らしい鍵がついてたらもう常にそれしか意識できなくなる。本当は銭湯のロッカー鍵などパスコードか指紋ロックに置き換えて、この世から完全に消し去ってほしい。でも所詮はまだ21世紀でしかないのだ。
しょうがない。僕は手に持っていたハンドタオルを丸めて、そこにロッカー鍵のゴムを巻きつけることにした。
平日の午前中が良い
僕は同性愛者に対して特別の感情を持っていない。世の中にはそういう人がいるし、僕の友達にもそういう人がいる。それだけだ。でもこの記事では直接的な言い方を避けている。真面目で真摯な話題でも、広告主を忖度する必要があるのは、ブログ収益モデルの課題だと思う。
さて。もしそんな男性LGBTをそのまま受け入れられないなら、湯の森バンコクは平日の午前中がオススメだ。LGBTの社交の場としてすっかり有名になってしまった感があるけど、当然危ない場所ではまったくない。でも平日の午前中ならそもそも利用者が少ないし、あの時間帯ならそういうストレスと無縁に過ごすことができる。
落ち着いた風呂で汗を流すのは、突然日本に帰りたくなるホームシック予防の特効薬。湯の森バンコクは東南アジアで手軽に「日本成分」を摂取するのに最適な場所なのだ。
湯の森温泉バンコク
- 9~24時(タイの祝日は要確認)
120/5 Sukhumvit 26 Alley, Khwaeng Khlong Tan, Khet Khlong Toei, Krung Thep Maha Nakhon 10110 Thailand
- ざっくり1500円くらい。JCBカードで払ったら謎に1000円くらいになった。
BTSスカイトレインのプロンポン駅から1キロちょいだから、まぁ駅から歩けるっちゃ歩ける。でも歩道は狭く気持ちいい道とは言えない。特に風呂上がりは排ガスで余計臭くなるかも。
だからまぁトンロー駅やアソック駅近辺からタクシーで行くのが現実的かもしれない。ただそこはタイなので、風呂に入りたくなる時間帯は「渋滞ガー」とか言ってメーター使わず割り増し要求してくる。マジでゴミ。
従ってバンコク慣れしている人ならプロンポン駅からバイクタクシー1択!