大切な人のために頑張らない。まず自分の幸福を実現して周りにおすそわけ

シンガポール現地採用時代に毎週テニスをしていたシンガポール男子氏と、今だに仲良くチャットしている。彼は世界ランキングで東大よりずっと賢い大学のコンピュータ・サイエンス学部を卒業したエリートである。

ところが僕と気が合うだけあって、彼も仕事ダルい派だ。ちなみにタケノコの里派、Vim派でもある。

情熱はある。でもそれを企業組織の中で上手く発揮することができない。それでいて自分で起業するほどのエネルギーと実務経験もない。だから今日も会社に文句を言いつつブー垂れながらMRTこと地下鉄に乗って、好きでもない会社に人生を二束三文で売りに行くのだ。

と思ったら。なんと先週で会社を辞めたらしい。

なんという思い切りの良さ!僕は正直彼を見直した。いよいよ日本の雪山で語り合ったプランを実現するべく起業ですか!ししもんをnginxとMySQLのメンテ係として雇ってくれませんかね?

「母校の高校で講師の仕事をしようかと」

…(=^・・^;=)

「起業するカネもないし。両親に心配かけたくないし」

……(=^・・^;=)

「理不尽で会社を飛び出したけど、母にまだ言えずにいるんだ」

………(=^・・^;=)

「まず安定した仕事に就かなくちゃ」

…………(=^・・^;=)

家族のために頑張る?

泣く子も黙るタイのアユタヤ遺跡。

言わずと知れた世界遺産の街なわけだけど、これが歴史の知識がないと行ってもろくすっぽ面白くない。っていうかある程度知識があってもあんま面白くない。

すっかり歴史に埋もれてしまったアユタヤだけど、かつてタイの首都だったことがある。1600~1700年代、日本で言えば江戸時代真っ盛り。例の朱印船貿易のアレやコレやで、この地に日本人街が形成されたこともあるらしく、当時の王政に仕える傭兵部隊としてサムライ一派が活躍したらしい。文字通りのラスト・サムライである。

とは言え、そんな重厚な歴史も現在でいうミャンマー勢にあっけなく滅ぼされてしまうのが、いかにもタイらしい。マイペンライだ。現在ではあんまインスタ映えするところも無く、ブッダ像が寝たり起きたり、静かに木に埋まったりしているだけである。

要はただのブッダが寝たり起きたり木に埋まったりしているのを見ても、そもそもブッダに興味が無ければ皆目意味ない。そりゃもう学校の歴史の授業並みに退屈だ。それでいて昼寝するにはあまりにも暑すぎる。

バンコクのビールエリアから電車とバスで2時間半。なんでこんな場所に好き好んでカネまで払って来てしまったのか…。

でもカネ払って来た以上、もとは取りたい。にんげんだもの。

と思って、寝たり起きたり木に埋まったりしているブッダの周辺で途方に暮れていると「ナンデスよ」という、ちょっとイントネーションの外れた日本語が聞こえてきた。これはキタね(=^・・^=)♬ 日系大手の旅行会社による、アユタヤ遺跡世界遺産観光ツアーの御一行様がいらっしゃった。そりゃもう見るからに海外に慣れてない、混じりっけ無い血統書付きカモな日本人の御一行様だ。

言葉が理解できるガイドツアーにちゃっかり混ざるのは、海外でクソつまらない観光地を無理矢理楽しむための必須スキルである。日本語が達者なガイドのタイ女子にしても、オーディエンスが増えた方が張り合いがあるというもの。

ところがツアーガイドのタイ女子(メガネ黒髪ショートカット推定23歳)も、寝たり起きたり木に埋まったりしているだけのブッダに飽きたのか、僕が混ざると全然違う話を始めた。

「今日はたくさんお子さん達もイラしゃいました。日本のパパは忙しい。ママも忙しい。ここに来る家族はみんな幸せデス」

日本人の印象ってやっぱりまだにこうなんだな。24時間戦えます的な。でも実際間違ってない。たくさんイラっしゃったパパの背中には「家族サービス中」と書いてある。だって疲れて全然楽しそうじゃないんだもん。

みんな幸せデス。これはきっとメガネ黒髪ショートカット推定23歳、絵に描いたように真面目なタイ女子が、炎天下で冷え切った場を盛り上げようと言ってくれたハズなのに。忙しいらしいパパママ達は仏頂面でリアクションなし。そりゃもう、こんな炎天下を延々歩いて寝たり起きたり木に埋まったりしているブッダ像を見て回るだけとは思わなかったという顔をしている。まぁ僕もそうだけど、ぐったりである。

ちなみにその息子や娘も楽しそうじゃない。なんかルーチンワークをこなしている感じ。町内会の清掃活動って感じなのだ。まぁアユタヤ遺跡ってマジにブッダが寝たり起きたり木に埋まったりしているだけだもんな。早くホテルに帰ってDSやった方が良いよ。

彼らはなんのためにタイにやってきて、バンコクから70kmも離れた炎天下、仏頂面で頑張っているのだろう。

本当に彼らは幸せなのだろうか。

本来微笑ましいはずの海外家族旅行は、僕には「家族」という世間体を維持して「社会的に落ちこぼれない」ためのサバイバル活動に見えた。家族を海外に連れていける裕福なパパ、家庭を支えるママ、そして品行方正なお子様。

マトモに生きるためのロール プレイング ゲームじゃないか。

まずは自分が幸福にならねば

家族ってなんだろう。大切な人ってなんだろう。

僕にだって家族はいるし、当然彼らにも幸福でいてほしいと願っている。

でも。

家族を幸福にするために、やりたくないことに耐える。家族を幸福にするために、自分の人生を犠牲にする。家族を幸福にするために、夢を諦める。家族を幸福にすることを言い訳に、リスクを取って挑戦することから逃げる。

それは、結局自分も家族も誰も幸せにしないのではないか。いいとこ、大切な人を幸せにしたんだと自己満足に浸るだけじゃないか。

飛行機の安全のしおりに書いてあるとおりだ。まずは自分の酸素マスクを装着してから、子供にもつける。そうじゃないと子供につける途中で親が酸欠になり、親子共倒れする可能性があるからだ。

まずは自分自身が幸福にならなければ。本当の意味でまわりを幸福にすることは出来ない。

理不尽に耐えられず会社を辞めてきた自分の決断。今後を思う不安な気持ち。10連休。せっかく海外旅行に行くなら子供なんて気にせずビーチでのんびりしたかった正直な気持ち。タイの炎天下で町内会の清掃活動をするより、そのカネでPlayStation 4VRシステムを買ってほしかった本当の欲求。

そういうのを包み隠さず、素直に言えるのが家族なんじゃないか。大切な人に本心を隠して、こっそり我慢するのは誰も幸せにしないんじゃないか。

わからない。

でも僕は大切な人には、大切な人だからこそ、等身大の自分の正直な気持ちをいつも伝えるようにしたい。まずは自分の幸福を実現してから、周りにおすそわけするような愛情を示したい。