人や土地に愛着が薄いADHDの遺伝子は遊牧民に多く動乱を生き残る

ここ最近、白砂のビーチを1キロくらいテクテク歩いて海岸沿いのWiFiカフェまで「通勤」している。

東南アジアの灼熱の太陽も朝8時にはまだ大人しく、ヤシの木の隙間から淡く溢れるオレンジ色の光が美しい。波打ち際には子供が駆け回り、少し沖合には褐色に焼けたサーファーたちが点々と波待ちしている。煌めく朝日に浸かっているみたいだ。

ここは世界的に有名なサーフィンのメッカであるらしい。来るまで知らなかったんだけど(=^・・^;=)

「へい!サーフィン!」「ナミノリ?」

サーフボードのレンタル屋とかサーフィン教室の男たちは、こんな僕にまでスゴい熱量でめっちゃ声をかけてくる。完全防備でイヤホンを装着し、MacBookを裸で抱えているんだけども…。しかも僕は見た目がモロに日本人だから、二言目には日本語に切り替わり「ナミノリ!なみのり!タノシイヨ!」になる。これは明らかに「なみのりピカチュウ」の功罪だ。面倒くさいなぁ。

僕はサーフィンっていうよりビールが似合う男なんだよね。スクサマッ!

その時はこれでなんとか逃げられたんだけど。

ところが昼まで仕事して、ちょっと昼寝でもするかと白人女子の際どいビキニを眺めながら同じ砂浜を歩いて帰る途中。朝と同じサーフィン男が僕のご所望の通りに今度はビールを用意して待っているではないか。なんて商魂たくましい。

「ビイルゥね、ビイルゥ!」

日本人にビアではなくBi-Ruってのは物売りの世界常識らしく、この言いにくいRuをムダに頑張って発音するのがカワイイ。たぶんローマ字にLが無いからRと書いているだけなのに。

しかし少年よ。買ってあげたいのは山々谷々なのだが、今日は金曜日だ。日本文化にはノウキってのがあって。残念ながら午後もガッツリ仕事しないと終わらないんだよ。さらに僕は原価厨でね。そのビールを道を渡った、ほら、あそこのサークルKで買えば、50円安いの知ってんだよね。

でも、あれだ。後ろから歩いてくるあの女子たち!あれも日本人だろうから、冷えたビールをこのビーチで在庫しといてくれた君の手間に50円の価値を見出すかもしれないよ。

「じゃあ明日は土曜日だから買うってことだな!明日も来いよ!サーフィンもしよう!」

いや、原価厨だからさ…。でも良いヤツだ。明日は彼からビイルゥを買おうと思う。それにサーフィンだってやってもいいかもしれない。

僕はこういうわけわからん場所で、わけわからんヤツと、通じてるのかすらわけわからん会話をしていると、なんか幸福な気持ちになる。なんでかわからないけど、これが僕が東南アジアで放浪生活をしている根源的な理由である気さえする。

人や土地に愛着が薄い

多分ドラえもん公式のお話。前回の記事からまたまたドラえもんの話題で恐縮だけど。

しずかちゃんとの結婚前夜。のび太がジャイアン・スネ夫・出木杉と集まって、前祝いをしているシーンが昔ネットで話題になった。育った地元で、幼馴染と結婚し、それを昔ながらの仲間が祝わってくれる。変化の速度が早すぎて人間関係すら流動的な現代において、これがどんなに幸福なことかと。

当時はどういう方向でバズっていた。

もちろんそうだろう。僕だってそういう人生は豊かだと思うし、地元に根ざした幸福を見出している人たちを否定するつもりは一切ない。

でも。僕には無理だろうな。って、当時コメントを読みながら思った。

岡田尊司著「ストレスと適応障害」という本を読んだ。

この本は「愛着」をキーワードにして、適応障害の原因であるストレスに対処する方法を読み解いていくんだけど。まぁこの方はどうにもテレビに出てるなんちゃって精神科医とかなんちゃって社会学者と同列な感がある。ご著書を拝読していると「マジにマジ?」「根拠薄くない?」って思うことが多い。でも面白いんだこれが。この本にも面白いことが書いてあった。

ADHDになりやすい遺伝子の人は「デスクワークにまったく向かない」「そもそも定住生活に向かない」「絶えず動きながらできるような仕事の仕方に向いている。」

まんま俺じゃんwww

このADHDになりやすい遺伝子の特性を「新奇性探求が強い」というらしい。本書によるとドーパミンD4受容体に関係する遺伝子に繰り返し配列が長いと新奇性探求が強くなる傾向がある。新奇性探求は冒険やリスクを好みむ気質ゆえ、遊牧民や歴史的に大移動を経験した民族にこの遺伝子型を持つ人が多い傾向にある。つまり動乱の時代であれば生き延びるのに有利な特性ながら、現代のような平和な時代には適応しにくい場合があると。

発達障害は有利な遺伝子だから古代より生き残ってきた

そして次の下りには思わず手を打った。

  • 裏を返せば人にも土地にも愛着が乏しい
  • 引っ越しや仕事をかえることがむしろ活力剤になる

まんま俺じゃんwww

わけわからん場所で、わけわからんヤツと、通じてるのかすらわけわからん会話をしていると、なんか幸福な気持ちになる。

これは要するに、それが何の責任も伴わない一時的な関係だからだ。これが深まって一緒に仕事をしたり、深い友達になり、女性であればパートナーになるかもしれない。そういう責任と自由の拘束が伴う関係になると、一撃で生き苦しくなる。同じ場所で、同じ人と、同じようなことを永遠に続けるという、やりたいのに上手く出来ない、とても歯がゆく、劣等感に打ちのめされ、幸福なハズなのになぜか溜まってゆく「ここではないどこか」願望…。幸福と、何故かそれに幸福だけを感じる事ができない意味不明な自分に対するフラストレーション。

僕は自分が抱えている根源的な問題と向き合わず、向き合えず、今日も東南アジアで人生から逃げ続けているんだ。

国家が頼りない時代の根無し草

ただ。なんか世の中の方が安定した平和から、動乱の時代に変わってきた気がするよね。

結局僕らの世代は国家お墨付きで年金だけじゃ老後を暮らせないことになった。タイに良くいる沈没老人にすらなれないわけだ。

それでも毎月天引きを続けるってんだから理不尽にも程がある。っていうか、なんでみんな今も黙って年金と税金を払っているんだろうね。たぶん、もうどうしていいのかわからないし、なんとかしようっていう元気もないんだよね。デモしても何も変わらなかったし。

何やられても黙って現状維持が安パイだ。

それほどに、問題は多々あれど大きな問題が顕在化しない「ハリボテの日常」ってラクなんだろう。明日も今日と同じだろうって思えることが幸福なんだ。

でもね。

僕は今日と同じなら明日を生きる意味ないじゃんって思う。問題の芽がどんどん大きくなってるなら、今日のうちに根っこからブッこ抜いとかないと不安になっちゃう。片目をつぶってハリボテの日常を楽しむことが出来ない。老人を養うために毎月給料の2割以上も寄付なんて絶対にしたくない。

それなら、むしろこの気質を有利だと思いこもう。実際、定住せず、毎日違う場所で仕事でき、税金も年金も払わずに生きられているんだ。問題が起こったらどこにでも行ける。原発も年金も安全神話が崩壊した21世紀の中盤を生きるのには丁度良いじゃないか。

国家が頼りない時代には、再び遊牧民の遺伝子が有利になるかもしれない。

ひつじでも飼うかな(=^・・^=)♬

独身ノマドが税金・年金・健康保険を払わず合法的に南国で暮らす三種の神器